第3話

 城の近くに与えられた粗末な屋敷に戻ったキャロットは、早速荷物をまとめ始めた。しかしそう時間はかからない。


 庭師なので、着替えは汚れてもいい最低限の服しか持ち込んでいない。神殿から与えられたのは簡素なワンピースだけで、王子から送られたドレスと宝石は居心地良い生活を送るための賄賂として侍女や女官に渡したので殆ど残っていなかった。


 トランクにこれまで支給されたお給料と、王都の本屋で買った植物図鑑を詰めれば終わりだ。


(さてと、そろそろ最後の仕事かな)


 そんなことを考えていると、玄関の方で声がした。


「まあ! わざわざお越しくださるなんて。ただいまお茶を……」

「いならいわ。聖女と二人きりで話がしたいの。誰も入らないで」


 メイドの動揺をよそに、キャロットの私室へ入ってきたのは、ピンクブロンドを揺らすバニラ・ダイヤ公爵令嬢だった。

 先程とは打って変わってやけに機嫌がよさそうだ。


「ごきげんよう、キャロット」

「わざわざ出向いていただき、申し訳ありません」


 キャロットは丁寧に一礼する。

 視線は合わせず、おどおどと肩を震わせる。見下されるのに慣れているフリをするのも、もう手慣れたものだった。


「それで、どうしても伝えたい「秘密のお話し」って、何なのかしら?」

「はい……王都を去る前に、ささやかですがお詫びの品をお納めしたく思いまして」


 そう言って差し出したのは、小ぶりな鉢植えだった。

 葉は濃く艶があり、三色の花弁を付けた小さい花が咲いていた。


「これは?」

「ミイロ・スミレという名の植物です。口に含めば甘みが広がります。先日侍女に試作品を食べてもらったところ、たいそうご好評いただきました」

「ふぅん……まあまあ可愛いじゃない。わたし、可愛らしい花好きよ。特に——甘い香りのものが」


 バニラは嬉しそうな笑みを浮かべ、鉢植えを受け取った。


「さすがは庭師ね。お花を育てることだけは、お上手なようで」

「恐れ入ります」


 キャロットは、控えめに頭を下げた。

 その口元にはバニラには見えない位置で、かすかな笑みが浮かんでいた。


 すでにバニラには、こうして幾つもの苗を献上している。初めは母が品種改良した「プチ・トマート」。これは赤く小さな実を付ける。バニラの茶会でしか食べられない貴重なデザートとして、王族からも注目を集めている。他にも父が作り上げた「サツ・マイモ」は、焼くとホクホクして甘くなる芋だ。こちらも貴族のご婦人方に人気がある。


 キャロットが珍しい植物を育てていると耳にしたバニラは、それらの苗を強奪…献上させた。そして自分がアイデアを出しダイヤ家の庭師に指示して作らせたと触れ回っている。


 だがキャロットが追放されるとなれば、珍しい苗を手に入れることは叶わなくなる。だからキャロットが追い出される前に、根こそぎ苗を奪いに来るのは想定内だった。なので、あえてキャロットは面倒ごとはさっさと終わらせるべく、バニラを招いたのだ。


(想定内すぎて笑っちゃう)


 しかしまだ笑うのは早い。キャロットは媚びる目つきで、バニラを見上げる。


「あの…それから、こちらの苗ですが……。バニラ様からということで、王妃様にお渡しされてはいかがでしょうか」


 キャロットは一つの小さな鉢を差し出した。先ほどとは違い、花も実もついていない。

 だが、爽やかな香りがふわりと鼻先を擽る。


「……王妃に?」


 バニラがわずかに眉をひそめる。だが、すぐに何かを察したように微笑んだ。


「気が利くじゃない。ちょうど何か贈ろうと思っていたの」


 王妃に取り入ろうとする女性は多いが、成功した者はいない。

 バニラも例外ではなかった。というより、王妃はドミニクに近づく女すべてが気に入らないのだ。王子の婚約者に返り咲いたバニラは、王妃から敵対視されるのは分かりきっている。


「ご機嫌取りには、ちょうどいいわね。見た目は地味だけれどいい香りだし」

「紅茶やお菓子に使うと良いと思います。ただ……こちらの植物は、取り扱いには十分にご注意ください」


 キャロットの忠告言葉に、バニラは小さく首を傾げる。


「育てるのが難しいの?」

「この植物は簡単に増やせるのですが、他国では非常に珍しく高値で取引されるのです。悪い輩に盗まれないよう、鉢植えのまま育てて使う分だけ収穫してください」

「ふうん」


 バニラの目が細くなった。明らかに興味を同時に抱いた表情だ。


「それともう一つ。こちには城を堅固にする植物です」

「へえ、便利なものがあるのね」


 キャロットは静かに頷いた。


「はい。外壁を少し削って枝を挿せば、雨水を吸って根を深く張り、構造を内側から補強してくれます。育ちやすく広がるのも速いので、領地の防備にはうってつけかと」

「覚えておくわ」


 手の中の鉢植えに視線を落としながら、バニラが気のないふうを装って答える。けれど、その指先はどこか楽しげに鉢をなぞっていた。


 キャロットはおずおずと顔を上げ、バニラに媚びるような視線を送る。


「それで、あの。伯爵領には……」


 キャロットが言いかけると、バニラは片手を上げてさえぎった。


「分かってるわよ。レイン伯爵家の領地なんて、誰も欲しがらないわ。手出しはしない。約束するわ」


 しかしバニラの言葉が信用できないことを、キャロットは理解している。どうせ一年もしないうちに新しい苗を寄越すよう圧力をかけてくるに違いない。


 何せバニラの浪費は凄まじい。国が豊かになってとはいえ、未だダイヤ公爵家は借金まみれなのだ。


(忠告はしたわ。あとは彼女が、どう使うか)


 キャロットは頭を下げながらほっと息を吐いた。

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