第2話
十ヶ月前、辺境にあるレイン伯爵家に聖女がいると神託が下った。
伯爵家には年老いた婦人と、グラッセ一家しか住んでいない。聖女に相応しい年齢の女性はキャロットだけだったので、消去法で聖女認定されてしまった。
すぐさまキャロットは王都に招かれ、あれよあれよという間に強制的に王子と婚約が成立。聖女はこの国の王子と結婚するのだと知ったのは、神殿で婚約同意書にサインする直前のことだった。
ドミニクと恋仲だったバニラからすれば、キャロットの存在が邪魔だというのはわかる。しかしキャロットだって聖女の勤めだけでなく、王子との結婚まで強制されるなんて初耳だった。
(王子がイケメンだってのは認めるわよ。でも誰もがイケメンに恋するわけじゃないですから)
金髪碧眼のドミニクは確かに格好いい。が、恋をするかどうかは別問題。
正直言ってドミニクはキャロットの好みではなかった。
公爵令嬢との婚約を破棄してまで進めたキャロットとの婚約は、聖女の力を王家に縛り付けるために国王が強引に進めた話だと、後日大司教から教えられた。
教会としては聖女を相談もなしに王家に取られることが許せなかったのだろう。あまりに一方的だと憤慨する司教を前にして、これまで国に対して抱いていた不信感の決定打となる。
神託が降りたと連絡が来て以降、キャロットと両親は王家に対して違和感を覚えていた。
そもそもキャロットは聖女ではない。とある人物をかばい、身代わりとして神殿行きを志願したのだ。
本当の聖女が国外脱出の決意を固め出発の準備が整うまでの時間稼ぎとして、聖女を名乗っただけ。
だから神殿で何かしらの儀式をすれば偽聖女だとバレることはあらかじめ想定し、神官や便利屋などに賄賂を渡して逃走の準備は万端にしてあったのだが……。
今日の今日まで、全く誰もキャロットを偽聖女と疑いもしなかったのである。
神託を受けたと語った神官は遠方から呼びよせた者だったらしく、キャロットが王都の神殿に到着した時には既にこの国を出た後だった。
そして聖女に関わる儀式を執り行う大司教や、神殿仕えの神官達。そして王侯貴族はキャロットが聖女だと疑いもせず「これで国庫が潤う」と手放して喜んだのだ。
しかし全員が全員、喜んだわけではない。
最初に敵意をむき出しにしてきたのは、バニラ・ダイヤ公爵令嬢だった。
自分の愛する人を奪った女として、キャロットを憎むのは理解できる。
だから最初のうちは少しだけ、彼女に対して申し訳ないと思っていた。
だが、そんな同情心はすぐに消し飛ぶ。
バニラがキャロットに対する敵意は、貴族のそれにしては陰湿すぎた。
メイドを使って食事に虫を混ぜられたり、贈られた香水に悪臭を放つ薬を仕込まれたり。
お茶会で椅子を一つだけ用意されず立たされるなど、悪意のこもった仕打ちが続いた。
さらに王と王妃がそれらの虐めを知りながら無視していると神官から聞かされたときには、流石にキャロットも「どうなってんのこの国」と呟いたほどだ。
どうやら王妃は息子である王子に近づく女をすべて敵とみなしており、神官が聖女と認定したキャロットに敬意を払うこともなく、まともに言葉を交わしもしなかった。
更にキャロットを困惑させたのは、度を超した仕事量である。
神殿で儀式が始まれば、十二時間もの間立ちっぱなしで祈らされる。
足の感覚がなくなり、意識が遠のき始めると背後から針でつつかれ無理矢理起こされる。
振り返ると儀式を進行する老神官が細い銀の針を手にしており、無表情で尻をつつくのだ。
それでも意識化が遠のき倒れそうになると、左右から屈強な騎士に腕を取られ、無理やり立たされた。
ちなみに他の神官達は度々休憩を取り、キャロットの見ている前で酒を飲む者までいる始末。
他にも祈りのない日は神殿の経理や、諸事務。掃除に洗濯など下女と一緒に働くよう指示された。
(これはもう、聖女に対する敬意なんて無いじゃない。ただの嫌がらせよね)
週に一度の休日には、キャロットは温室に籠もって黙々と持ち込んだ苗の世話をした。
故郷から持ってきた植物たちだけが、唯一の慰めだった。
芽を出したばかりの青い葉。香りのよい花。
誰も見向きもしない小さな鉢植えたちに、キャロットは一つひとつ話しかけて辛い日々を過ごしたが、やっと今日で終わるだ。
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