第4話 気安く名前を使うな

「俺の名前はシューンだ」


 青年、シューンはそう言った。木漏れ日に照らされた横顔は名画かと思うほど美しい。女性の大半が恋に落ちそうな笑顔へ贈りたい言葉はただ一つ。


「……今更ですか?」


「いや、ドラゴンだからいいかなって」


「諦めが悪いな」


 よほど期待していたらしい。雑な仕事をする女神のせいとはいえ、彼には悪いことをした。東雲は髪を潰すように頭に手を置く。腹いせに暴力を振るって追放するような人間であれば、罪悪感を抱くことも無かったし、今頃は最強になれていた。


「それで、君の名は?」


 シューンの言葉は映画のタイトルに似ていたせいだろうか。東雲は友人と映画を見る約束を思い出した。もはや待ち合わせには間に合いそうにない。謝ることさえできない。心臓が冷たくなったような痛みを感じながら、東雲は口を開いた。


「東雲大輝です。短い間かも知れませんが、よろしくお願いします」


 早く追放されたい。言外のメッセージをシューンは受け取れなかった。ただ忙しく口をぱくぱくと動かす。それが自分の名前だと東雲はしばらくして気付いた。


「よし、覚えた。とても良い響きだね。気に入ったよ」


 あまり好感度を上げないでくれ。東雲は目を閉じて己に問いただした。力が欲しいか? イエス。シューンから嫌われたいか? ノー。どちらか選べ。オーノー。


「しかし、長くて読みづらいな」


 馬鹿の禅問答をしていると、シューンが頭を抱え始めた。言語は同じでも、文化は多少違うらしい。


「しののめでいいですよ」


「そうなのか? たいきは何で略して良いんだ?」


 面倒さ故に省いた説明をシューンは求めてきた。東雲はしばらく考える。簡単でも、自分が当たり前だと思っていることを思っていない人間に話すのは難しい。


「そうだな、俺の世界では2つの名前があるんだ。ひとつは家族全員共通の名前、もうひとつがその人固有の名前。家族の名前が東雲で、俺の名前が大輝だ」


 伝わっただろうか。おそるおそるシューンを見れば、何故かその目が輝いていた。


「めちゃくちゃ良いな、それ! じゃあ今日からうちのパーティーネームはシノノメにしよう。俺の名前はシノノメ・シューン」


 気安く名前を使うな。それだと俺がリーダーみたいだろ。必死の抗議はシューンに届かなかったらしい。


「一つ屋根の下で暮らす仲間と一つの名前を共有する。なんて素晴らしいんだ」


 聞いちゃいねえ。東雲は白旗の代わりを両手を上げた。神の思し召しがあっても、異世界人と話すのは難しい。


「ところで、何で最初はシノノメで呼ばせようとしたんだ。タイキではなく」


 それは聞いていたのか。都合の良い耳に呆れつつ、東雲は考えた。問いに対する答えは自分でもはっきりと分からない。何故だろう。


「さあ。でも、俺の国では家族の名前で呼ぶことが多いんですよ」


「じゃあ家族同士ではなんて呼ぶんだ? 皆シノノメだろ?」


 ――おかえりなさい、大輝。

 ――ただいま、大輝。

 優しい両親の声が蘇る。迎える時、帰る時、家族は言葉を交わしていた。当たり前で、説明する必要もないやり取りは二度と行われない。東雲は静かに目を閉じる。瞳を焼くような熱と零れそうな潤いが鬱陶したかった。


「……家族同士では個人の名前で呼んでますね」


「なら、うちもそうしないとな。タイキ、これからもよろしくな」


 東雲は肩を落とした。どうやら追放の予定はしばらく先になるだろう。最強になれる日は遠い。しかし、口からは笑みが溢れた。

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