第2話 熱心な信奉者

 人ひとり分の幅しかない道だ。明かりが届いておらず、薄暗く、空気が澱んでいる。もし、僕の使命のためでなかったら逃げ出していただろう。

 シャロン・ナイトは、僕の2歩ほど前を歩いてテルミドールという男の所へ案内をする。

 そして、彼女は日本刀と思われるものを腰に差している。日本刀について尋ねた時、昔の救世主が作ってプレゼントしてくれたこと、これは模造刀で、殺傷能力はないとのことだった。武器を持っているのは、彼女が僕の、騎士……いや、従者のような存在だからかもしれない。

 しかし、一番の理由は、ここが治安の悪い……、これをスラムというのだろう。そんな場所だからに違いない。生きているのか死んでいるのかもわからない人が路地に座り込んでいる。いずれの人も襤褸ぼろを身にまとっていて、清潔であるとは言い難い。たまに、こちらを鋭い目線で見られている気がして、その度に背筋がピンと伸びる。シャロン・ナイトがそばに居るとはいえ、怖いものは怖い。

 いくつもの分かれ道を進み、表通りから奥へ行くほど襤褸を纏った人は少なくなる。

 人が少ないということは、危険があるということではないか。だとしたら、鋭い目線を向けられてでも、人がいた方が良かった。

 それに、これから会うテルミドールという人についても不安がある。確か、ここに来る前にシャロン・ナイトは――


――「テルミドール様は、路地裏の最奥に住んでおり、言わば“路地裏の王”です。路地裏の王と呼ぶ人もいますが、多くの人は“ドブネズミ”、“クソ野郎”、“あのアホ”そして……」

「ちょっと待って、それどこで聞いた情報?ただの悪口だと思うんだけど」

「聞きこみ調査の結果です」

「その人、いくらなんでも嫌われすぎじゃない?」

「ですが、その中でも一番言われていた名は……」

 そこで彼女は一旦言葉を止め、僕の目を真っ直ぐ見つめ直した。その視線にドキリとしてしまう。

「“熱心な信奉者”」

「信奉?誰を信奉しているの?」

「椿様です」

「僕……?」

「“救世主”という概念を信奉していると言った方が正しいかもしれませんが、彼はあなたを強く、深く信奉しているのです――」


 僕を信奉しているのだから、少なくとも敵意は向けてこないだろう。そこは安心だ。だけど、彼女の話からはその人が善人か悪人か判別できなかった。

 理性的な会話ができる状態であって欲しい……。

 そう願っていると、シャロン・ナイトは扉の前に止まった。黒茶色で、恐らく木製だ。この先に部屋が続いているのだろうか。古ぼけていたこれまでの通りと一変して、そこだけ新しく見えるのが異様だ。まるで、オシャレなバーにでも繋がっているようなこの扉の先に、テルミドールはいるのだろう。

「それでは椿様、これからテルミドール様と会いますが、心の準備はよろしいですか?」

「うん」

 僕の答えに彼女は頷き、扉を開けた。少し前に進み、部屋の中に入る。

 部屋の中は、やわらかな光が全体に行き届いていて、ほっとため息が出てしまいそうなぐらい落ち着いた雰囲気だ。

 後ろでドアの閉まる音がしたすぐあとに、シャロン・ナイトは僕の隣に立った。

「お久しぶりです。テルミドール様。こちらが、13代目救世主の椿 恵斗様です」

 シャロン・ナイトの視線を追うと、男の姿が目に入った。王座のような場所に座っており、肘掛に肘を置き、頬をついている。足を組んでいて、偉そうに見えるが、護衛の姿も見えず、王座のようなものも少しボロく見える。

 テルミドールとみられる男は、探偵がよく着ているような形の黒いコートに、これまた黒いズボンと革靴を履いている。だが、革靴は履き潰されているのか、王座と同じく少しだけボロく見える。そして、髪の色も瞳も真っ黒で、闇の中に溶け込んでしまいそうな見た目だ。

 テルミドールのことを観察していたら、彼と僕の視線が合ってしまった。僕は、反射的に身体がピクっと反応するほど驚いた。でも彼は、僕よりも大きくビクッと動き、少しよろけて居住まいを直していた。それが、先程までの彼の態度とは真反対で大袈裟に見えたためか、口元が緩んでしまった。

 すると、彼は軽く咳払いをし、劇でセリフを読むかのように話し出した。

「あぁ、ずっとお会いしたいと思っておりました。わたしはテルミドールというものです。あなたのことは伺っております。椿 恵斗様ですね」

 彼はそう言いながら、フラフラと僕のすぐ目の前まで来て跪いた。彼の目は真っ直ぐ僕を見つめている。その視線は、僕がまるで神聖な存在、はたまた畏怖すべき存在を前にしたもののようだった。

「えっと、こんにちは。初めまして?」

「はい、初めまして。あぁ、こんなことを言ってしまえば嫌われてしまうかもしれませんが、言葉が今にも出てきたいと、喉を叩いていて衝動が抑えられません」

 相変わらず劇をしているかのような口調に胡散臭さを感じる。だが、そのおかげで緊張が幾分かほぐれた気がする。

「えっと、なに?」

 目の前の男が何をしようとしているのか、何を考えているかが、恐ろしい程にわからなくて不気味に感じる。

「はい、それではまず、私の左目をよく見てください」

 テルミドールは、目にかかっている髪を横に流し、目を少し大きく見開いた。その目を僕は覗き込む。思わずあっ、と声が出た。その目には、不規則に図形がいくつも重なったかのような模様があった。それは瞳の形、つまり円形状に広がっていた。そして、その模様の中心には“3”と書かれている。

 これが“マーク”なのだと直感的にわかった。彼の場合、あと3回誕生日を迎えたら世界の一部が“無”になるのだ。

「ふふっ、気づかれましたね?ええ、そうです。私は左目にマークがあるのです」

 僕はこれから、この目を破壊しなくてはいけない。僕を真っ直ぐに、一点の曇りなく見つめるこの瞳を。

「私は、今すぐにでも椿様にこの眼球を取りだされ、破壊していただきたいのです。あぁ、ここ数年の生きがいは、その日のことを想像することでした。長く我慢した甲斐がありました。まさか、椿様がこんなにも美しいだなんて。光り輝いていて、直視するのが難しいほどです。私がいきなり近づいてきても叱責なさらない寛容さ!まさに救世主にふさわしいお方だ!そして――」

 会って間もないのに、僕を崇め、言動一つ一つを拡大解釈している。彼のことを止めなければ、永遠と語り続けそうな勢いだ。大袈裟に身振り手振りをつけ、早口で話しているからか、内容が全く頭に入らない。でも、僕のことを褒めていることは明らかだ。

 僕とテルミドールの様子を見かねたのか、シャロン・ナイトが話しかけてきた。

「眼球の摘出作業までは、私がやりましょうか?」

「うん、お願いします……」

 破壊なんてしたくないが、そんなことを言っては彼女を困らせてしまう。それに、破壊しなかったらより多くの犠牲が出てしまう。そんなことは望まない。もう二度と起きて欲しくない。

 そんなことを考えている間も、テルミドールは僕について語っている。破壊されることを彼が望んでいることが、せめてもの救いだろう。

「テルミドール様、私が眼球を摘出し、その後椿様が破壊することになりました。ですから、そろそろ話をやめて準備をしてください」

「準備?準備なんて、このマークが現れたときからできているよ。でも、麻酔はして欲しいな。椿様が摘出してくださるなら必要ないけど、やるのは君だからね。君から与えられる苦痛は望んでいないんだ」

「そうですね」

 テルミドールは嫌味のように言い、シャロン・ナイトはいつもの事かのように軽くあしらっている。そこから、2人は仲が良いのだということが伝わった。

「では、椿様はここで待っていてください。私は、奥の部屋で摘出作業をしますので」

 彼女は、王座の左側に視線を向ける。そこには入口と同じような扉があった。路地も合わせて、アリの巣みたいだと思った。

「少し気恥しいですが、この部屋でしたら好きに見てまわって頂いて構いません。特に何も無く、くつろげる場所と言っても、あの椅子ぐらいしかありませんが……。あぁ、しばらくの別れ、さみしく思います。どうかお元気で!」

 彼は、シャロン・ナイトに半ば引きずられるかのようにして、扉に入って行った。

 後に残された僕の心は、恐怖で埋め尽くされている。

 それでも、僕はこの世界を救えるのだろうか。



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第2話を読んでくださりありがとうございます。

5話から小ネタを載せています。是非ご覧ください!


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