Side-M 金魚のフンの飼い方
土曜日。
アタシは部屋で笑いを噛み殺していた。
あの日アヤカにぶちまけたフラペチーノの感触が、まだ指先に残っている。完璧だった。アヤカのあの歪んだ顔。あの絶望と恐怖と屈辱が混ざり合った、最高のアート。
スマホの画面には、世界の終わりみたいなニュースが流れている。アナウンサーの震える声が「これは、大規模なサイバーテロの影響です」と訴える。
アタシはその言葉に強く頷いた。
うん。そうだ。
全部あのレイヴンとかいう誰かさんのせいだ。
アタシの人生をこんなに面白くしてくれて、ありがとう。
スマホを開くとアヤカの裏アカウント。昨夜、最後に投稿された短い呟き。『死にたい』
それを見て、アタシの心はどうしようもなくゾクゾクした。壊れかけの人形。最高じゃん。もっと壊してみたい。もっと弄んでみたい。
アタシはその投稿に、何の躊躇もなく自然と「いいね」を押した。いや、押さずにはいられなかった。
指が画面に触れた、その瞬間。
部屋の電球が、一瞬だけ強く明滅した。チカッ、と。
アタシはそれを見て眉をひそめる。なぜか、遠くから視線を感じた気がした。氷のように冷たく、すべてを観測するような、突き刺さる青い視線だ。
「あー、やっぱ、あのニュースのせいか。電波も狂ってるし」
そう呟きながら、アタシはスマホをポケットに突っ込んだ。
ユウトからLINEが来た。
「アヤカ、大丈夫かな? 今から家に行くけど、ミカもどう?」
アタシは「行く!」と返信する。
最高の舞台装置が整った。さあ、次のゲームを始めよっか。
アヤカのマンションへ向かう途中、横断歩道で信号が赤に変わる。
「チッ、ウザい」
アタシが舌打ちした、その時。目の前の信号機が、バチン、とショートして火花を散らした。
街が小さな混乱に陥る。車が急ブレーキをかけ、クラクションが鳴り響いた。
ユウトが隣でスマホを取り出し、興奮した声で叫ぶ。
「うわ、マジかよ! おい、ミカ! 見ろよこれ! また、あのレイヴンがやったんだ! やっぱ、あのテロの影響らしいぜ!」
アタシはそれを見て笑った。
「マジ、迷惑だよね」
心の中で「ホント、どこまでも、最高の舞台装置」と呟く。
アヤカの部屋のドアをノックする。数回叩いて、ようやく開いた。
そこに立っていたのは、幽霊みたいに真っ白な顔をしたアヤヤだった。目は泣き腫らし、焦点が定まらない。カーテンが閉められた部屋の中は薄暗い。
アヤカはアタシたちを見ると、子供のように縋り付いてきた。
「ミカ……ユウト……助けて……怖いよ……」
アタシは優しくアヤカの背中を撫でた。
心の中で、
「もっと、泣け、泣け泣け泣け!」
と念じる。
部屋の照明が、僅かに、揺らめいた。フワッ、と。
アヤカはその超常現象にさらに恐怖し、アタシにしがみつく。
「怖いよ……全部、あのテロのせいだ……」
アタシはそんなアヤカを慰めながら、心の中で笑っていた。
最高だ。
レイヴン、あんたのおかげで、アタシのゲームはどんどん面白くなっていく。
壁に貼られたポスターが、なぜか微かに歪んで見える。部屋の空気が奇妙に淀んで、重くなっていく。ユウトはただ、「また電波がおかしいのか?」と首を傾げるだけだ。
アタシはアヤカの耳元で囁いた。
「でも、アヤカが裏切ったのが悪いんだよね? ねぇ…?」
その言葉と同時に、アヤカのスマホの画面が一瞬だけノイズにまみれてフリーズする。アヤカは絶望のあまり、それに気づかない。
その瞬間。
アタシは自分の手のひらで、アヤカのスマホが微かに震えるのを感じた。
それは、着信でも、通知でもない。
もっと、深い場所から響いてくるような、不気味な共鳴。
まるで、アヤカの心の奥底から、直接アタシの手のひらに伝わってくるような。
カチリ。
アタシの脳の奥で、小さな音がした。何かが完璧に噛み合ったような、静かな音。
その音と同時に、アタシの視界に、街を覆う醜く光るノイズのイルミネーションが一瞬だけ視えた。恐怖、嫉妬、憎悪――人間たちの感情の、どす黒い塊。それは一瞬で消えたが、アタシの内側で何かが起動したという確信だけが残った。
アタシはアヤカからそっと視線を外し、自分の手のひらを見つめる。
そこに何があるわけでもない。
だが、確信した。
この、ゲームは、もう、
アタシの、ものね。
SEVENTH WAVE: Side-X @ren_nananami
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