第3話:稽古

アルフレッドとの奇妙な共同生活は、単に生きるための術を学ぶだけの日々ではなかった。


「違う、リヒト! 剣は力任せに振るうものじゃない。体の軸、重心の移動、力の流れ。その全てを連動させて、初めて一撃が活きる!」


朝一番の剣の稽古。俺が振るう木剣は、アルフレッドのそれと比べると、あまりにも拙く、力任せだった。彼は俺の後ろに立つと、腰に手を当て、足の位置をミリ単位で修正させる。


「敵の剣を体で受けろ。骨で感じろ。そうすれば、次に相手がどう動くか、言葉よりも雄弁に伝わってくる」


組手では、容赦なく打ち据えられた。だが、稽古が終わると、彼は必ず打ち身に効く薬草を練ったものを渡してくれた。ぶっきらぼうな優しさが、そこにはあった。


昼間は、森でのサバイバル術の実践だ。


「このキノコは『笑いダケ』。食えば美味いが、一日中笑いが止まらなくなる。こっちのよく似た赤いキノコは『死に至る舞踏』。一口でも食えば、苦しみながら踊り狂って死ぬ」


「怖すぎだろ、そのネーミングセンス!」


俺のツッコミを無視して、アルフレッドは淡々と説明を続ける。彼の知識は、まさに森の百科事典だった。動物の痕跡からその種類と行動を読み、天候の変化を肌で感じ取る。その全てが、俺には新鮮で、驚きに満ていた。


二人で罠にかかった猪を解体し、その肉を塩漬けにして保存食を作る。川で魚を釣り、焚き火で焼いて食べる。命をいただき、生きる糧とする。そのサイクルの尊さを、俺は体で学んでいった。


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訓練を始めて数ヶ月が経ったある日の夕暮れ。稽古を終え、二人で焚き火を囲んでいた時だった。

「リヒト。お前は、何のために強くなりたい?」

アルフレッドが、静かにそう問いかけた。


「え……?」

唐突な質問に、俺は言葉に詰まった。考えたこともなかったからだ。

「何のため、って……。それは、生きるため、ですかね……?」

俺がそう答えると、アルフレッドは深いため息をついた。

「生きるため、か。それも間違いではない。だがな、リヒト。ただ息をして、言われるがままに剣を振るうだけでは、生きているとは言えんぞ」

彼の目は、揺れる炎の向こう側で、厳しく俺を見据えていた。

「今のお前は、俺に言われるがままに動き、ただ流されているだけだ。それでは、いつか必ず行き詰まる。自分の意志で道を選び、何をするかを決め、その結果に責任を持つ。それが本当の意味で『生きる』ということであり、『自由』ということだ。お前自身の『目的』を見つけろ」


目的。

その言葉が、俺の胸に重くのしかかった。元の世界でも、俺にはそんなものはなかった。親に敷かれたレールの上をなんとなく歩き、大学に入り、特にやりたいことも見つからないまま、時間を浪費していただけ。この厳しい世界で、生きる以上の目的など、果たして見つけられるのだろうか。

俺が黙り込んでいると、アルフレッドはそれ以上何も言わず、ただ静かに火の番をしていた。


その日の夜、アルフレッドが暖炉の前で、小さな革袋から何かを取り出して手入れをしていた。それは、鈍い黄色の輝きを放つ、翼を模した小さな首飾りだった。


「師匠、それは?」


俺が尋ねると、アルフレッドは一瞬手を止め、物憂げな目でそれを見つめた。


「ん?ああ、これか。聖教会の騎士章の名残りのようなものだ」


「聖教会……騎士……」


「そうだ。この世界で最も力を持つ組織だ。そして、その教会が何よりも大切に守り、崇めている存在がいる」


「崇めている存在?」


「人々が『天使』と呼ぶ、神の使いだ」


天使。その言葉に、俺は少しだけ身を乗り出した。


「天使は、神の代理人。この世界に、同時に三人までしか存在しない。生まれながらにして常人を遥かに凌ぐ『マナ』をその身に宿し、邪神の使いである魔物を討ち滅ぼすことを宿命づけられた存在だ。その巨大な力を使うとき、額の周りには光の冠が、背中には魔力の翼が顕現すると言われる」


アルフレッドはそこで一度言葉を切ると、物憂げな目で首飾りを見つめた。


「……詳しいことは、またいずれ話してやる。今は、お前が知る必要はない」


その説明は、まるでおとぎ話のようだったが、彼の表情が、それがただの物語ではないことを雄弁に語っていた。


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そんな日々を過ごしつつ、俺とアルフレッドの訓練は続いた。そして、訓練を続ける中で、俺は自分の体に起きている驚くべき変化に気づき始めていた。


剣術なんて、もちろん生まれて習った。最初の頃は、木剣を振るだけで腕がパンパンになり、翌日は全身が悲鳴を上げるほどだった。だが、不思議なことに、その筋肉痛はすぐに引き、日を追うごとに体が軽くなっていくのを感じた。


一月も経つ頃には、アルフレッドの厳しい稽古にも、どうにか最後までついていけるようになっていた。三月経つ頃には、基本的な剣の型を、ぎこちないながらも一通りこなせるようになっていた。


生きるのに必死だった俺は、それを師匠の指導の賜物だとしか思っていなかった。


「……妙だな」


ある日の稽古の後、アルフレッドが訝しげに俺の腕を掴んだ。


「お前の成長速度は、異常だ。俺が今まで見てきたどんな新兵よりも速い」


「そ、そうですか? 師匠の教え方が上手いからですよ」


俺がそう言うと、彼は何か考え込むように黙ってしまった。




その数日後、アルフレッドは俺に新たな訓練を課すことを決めた。


「リヒト。剣の腕は上がってきたが、それだけでは足りん。今日からは魔術を教える」


「魔術、ですか?」


「そうだ。剣術がある程度のものになってきたからな。だが、それだけではこの厳しい世界を生き抜くには足りん。まずは、お前のマナを知ることからだ」


「マナ、ですか?」


「ああ。この世界に満ちる、万物の力の源だ。お前の中にも、それは眠っている。魔術とは、その内なるマナを操り、現象として外部に顕現させる技術のことだ」


アルフレッドは、古びた木箱から一枚の羊皮紙のようなものを取り出した。


「これは『感応紙』だ。マナを込めると光り、その色で属性が、光の量でマナの多さが分かる」


彼は感応紙を俺に渡した。


「いいか、まずは目を閉じ、意識を自分の内側に集中させろ。血の流れ、心臓の鼓動……そのさらに奥にある、温かいエネルギーの流れを感じるんだ。それがお前のマナだ。感じたら、それをゆっくりと指先に導き、この紙に触れてみろ」


言われた通り、俺は意識を集中させた。腹の底に、確かに温かい何かがある。それを、そっと指先へと動かしていく。

そしてその力を感応紙に注いだ、その瞬間。


パァァァッ!


感応紙が、今まで見たこともないような眩い翠色の光を放ち、まるで嵐に煽られた木の葉のように激しく振動し始めた。


「なっ!?」


「馬鹿者、力を込めすぎるな!」


アルフレッドが叫ぶが、もう遅い。光はさらに強まり、ビリビリと音を立てて感応紙そのものが裂け、最後には風に舞う灰のように消し飛んでしまった。


後には、呆然とする俺と、眉間に深い皺を刻んだアルフレ-ッドだけが残された。


「……信じられん。これほどの光量……常人の数十倍……いや、数百倍か。これほどのマナ量、騎士団にいた頃でさえ、見たことがない。いや……一度だけ……まさか、な」


彼は、俺の指先ではなく、顔をじっと見つめて呟いた。


「光の色からして、お前の属性は『風』だ。だが、問題はそこじゃない。お前のその膨大なマナは、いつ噴火してもおかしくない火山のようなものだ。制御を覚えなければ、いずれ大惨事を引き起こす」


その日から、俺の訓練メニューに魔術コントロールが加わった。


「まずは、最も基本的な風の魔術、『微風(ブリーズ)』だ。手のひらに、そよ風を起こすイメージでマナを練れ」


俺は言われた通り、そよ風を、頬を撫でる心地よい風をイメージした。


「――微風(ブリーズ)」


詠唱した瞬間、俺の手のひらから放たれたのは、そよ風などという生易しいものではなかった。


ゴオオオオオッ!


小屋の中の物が全て吹き飛ぶほどの、局地的な突風。暖炉の火は消し飛び、壁に掛けてあった毛皮や干し草がめちゃくちゃに舞い上がる。アルフレッドは咄嗟に腕で顔を庇い、俺は自分の引き起こした惨状に言葉を失った。


「……お前は、本当にコントロールが滅茶苦茶だな」


埃まみれになったアルフレッドが、深いため息をついた。


それからというもの、俺の訓練は、攻撃魔術や防御魔術といった派手なものではなく、ただひたすらに魔力を精密に操作することに費やされた。


ロウソクの火を、消さないように、ただ揺らすだけ。水面に、波紋を立てずに、葉を浮かべて動かすだけ。

単純で、地味で、そして何よりもどかしい訓練だった。

「くそっ!」

何度目かの失敗で、ロウソクの火がまたしても勢いよく吹き飛んだ時、俺は思わず悪態をついた。

見かねたアルフレッドが、静かに俺の前に座った。

「いいか、リヒト。よく見ておけ」

彼はそう言うと、俺が失敗したロウソクに、そっと指先をかざした。すると、消えたはずの芯の先に、再び小さな光が灯る。アルフレッドが指先を動かすと、その光はまるで生きているかのように揺らめき、やがて一羽の蝶の形になった。赤い光を放つ蝶は、ふわりと宙を舞い、俺の鼻先を掠めて、再びロウソクの芯へと戻っていった。


「これが、マナを『扱う』ということだ。力任せに放出すれば、ただの破壊になる。だが、意思の力で精密に編み上げれば、命すら宿したかのような奇跡を起こせる」


俺は、ただ呆然と、その光景を見つめていた。俺が起こしていたのはただの暴風。師匠が見せたのは、芸術ともいえる奇跡。その圧倒的な差に、俺は言葉もなかった。

「違う! もっと繊細に! 糸を紡ぐように、マナを扱え!」

アルフレッドの檄が飛ぶ。だが、俺の持つ力は、あまりにも大きすぎた。蛇口を少しひねるだけのつもりが、常に全開になってしまうような感覚。来る日も来る日も、俺は自分の才能の無さと、師匠との絶望的な差に打ちのめされ続けた。

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