第6話 これからの事
「さてと――」
田金はゆっくりと席を立ち、
灰皿の縁にタバコの火を押し付けた。
ジュ……とくぐもった音がして、白い煙が天井に揺らいで消える。
そのまま、王约翰を真正面から見据える。
「王さん。」
あえて、“捕虜”ではなく“さん付け”で呼ぶ田金。
「日本国は一応、あんたの身柄を“確保”し、“保護”した。
……で、あんたは、これからどうしたい? ん?」
その言葉には、どこか本音を探るような軽さと、
軍人としての重さが同居していた。
「国に帰りてえか?」
通訳する阿賀野の声は、やや震えていた。
その顔は少しだけ曇っていた。
当然だった。
――日本は「永世中立」を宣言している。
――だが、戦争のさなか、**海に浮かぶ“戦争の当事者”**を保護してしまった。
軍事上の倫理? 人道的処置?
それとも、ただの漂流者の救助?
言葉一つ、処理一つで、
EUからも、アメリカからも、中国からも、ロシアからも――
「中立のくせに」と言われかねない状況だった。
食堂の空気が、わずかに重くなる。
王は、その言葉を聞き、静かに箸を置いた。
数秒、いや十数秒の沈黙の後、
彼はゆっくりと、目を閉じて一言呟いた。
「……我不知道。」
(わからない。)
阿賀野がそっと訳す。
「……分からない、そうです。」
田金は、ふっと笑った。
「そりゃそうだ。
……国も、仲間も、船も、全部海の底だもんな。」
飛騨は黙っていた。
島田も、何も言わなかった。
だが、皆、その言葉の意味を理解していた。
「だがな、王さん――」
田金はもう一度、目を細めて彼を見た。
「どこにも帰る場所がないなら、
ここに居場所を作ることも、できなくはねぇぞ。」
阿賀野は、はっとして田金を見た。
だが、彼は笑っていた。
いつものように、ふざけてるのか真剣なのか、わからない顔で。
王约翰は、しばらく黙っていた。
そして、小さく――ほんの少しだけ、頷いた。
日本国・東京。防衛省地下3階。
そこは、窓のない密室会議室。
静かすぎる空調の音と、照明の白さだけが漂う空間で――
「…………んんんんん…………んんんんん〜〜〜…………」
スーツのボタンを外した初老の男が、
机の前で、重たそうに頭を抱えていた。
彼は某部局の統括局長。名前は長すぎて誰も呼ばない。
誰もがただ「えらい人」とだけ呼ぶ、そんな人物である。
その隣、いかにも仕事ができそうな眼鏡の秘書が、
ポニーテールをゆらしながら、手元のタブレットを操作していた。
「んんんん〜〜〜………“王”という方を、海防艦若鷲が保護……」
「んんんん〜……取り敢えず、現在も若鷲艦内に保管……もとい保護中……」
「んんんん〜〜……仕方ない……いや、仕方なくない……いや、でも……うーん、仕方ない……」
えらい人は、空中を見つめて呪文のように唸る。
——“拾ったら国際問題。
放り出せば人道問題。
黙っていれば情報漏洩。
話せば外交問題。”
悩みが重なるたびに、顔のしわが深くなっていく。
「彼は、中国海軍“劉龍”の乗組員であり……
同時に、目撃者であり、証拠でもある可能性がある……」
「現在、台湾艦隊との交戦で沈没した“劉龍”は――」
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……!!」
えらい人が椅子にもたれ、天井を見上げて叫んだ。
そして、苦渋の決断を口にする。
「よし……とりあえず……
“知らぬ存ぜぬ”でいこう。」
秘書が即座にタイプする。
「“当該人物の保護について、日本国は確認しておらず、個別の案件についてのコメントは差し控える”」
「そう、それ。毎回それ。」
えらい人は書類を閉じながら、最後にぽつりとつぶやいた。
「……また一つ、頭痛の種が増えたな。」
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