若鷲は今日も海をゆく
アブクマ
第1話 20☓☓年、日本列島、海の牢獄と化す
第三次世界大戦。核兵器の使用こそ避けられたものの、戦争は長期化し、世界中の通信網・物流・国家機構が次第に歪み始めていた。
西側:米・EU連合。東側:中露協定圏。
その衝突の只中に――またしても、日本は居た。
だが、第三次世界大戦下における日本の立場はかつてと異なっていた。
当時の内閣総理大臣「九条海翔(くじょう・かいと)」は、前例なき国策としてこう宣言する。
「日本は、いかなる軍事連携にも属さず、東西いずれの陣営にも資源提供を行わない。完全中立国として、いかなる戦闘行動にも関与しないことを宣言する」
この声明は支持と同時に、世界中の猜疑を呼んだ。
中立を謳いながら、かつてない速度で日本は防衛力を再構築していく。
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海の檻(ミネ・ブロック)――海防封鎖戦略「海底の盾」
第三次太平洋沖海戦、および第三次日本海海戦の勃発により、日本のEEZ(排他的経済水域)を含む周辺海域は、敵対勢力が意図的に放った約2,000発の大型機雷によって埋め尽くされた。
これは戦略的封鎖というより、もはや国土を囲む「水上の地雷原」であった。
海上自衛隊の大型艦は、身動きが取れない。
商船航路は途絶し、物流も事実上封鎖。
敵も味方も日本近海を避け、日本は「動けない中立国」となった。
これを“静止国家戦略”と呼ぶ者もいた。
しかし、真にそれを静止とは誰も思っていなかった。
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封鎖された海上において、唯一自由に動けた存在があった。
それが、「
全長75メートルの中型艇でありながら、静音・無反射性に特化した鋼体構造。
ミネ・ブロック(機雷原)を縫うように航行できる超高精度の磁気制御フィンと、船底の可変水流ノズルが、まるで海そのものを読むかのように機雷を避けて進む。
さらに、若鷲には秘密があった。
> 機雷網を監視するAI統合センサー・システム「鸛(こうのとり)」が搭載されており、
若鷲は、日本周辺すべての機雷の「生死」「発動パターン」「位置座標」を常時解析していた。
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若鷲の任務とは――
中立国としての領海侵犯監視
敵も味方も、日本の中立を無視する可能性は高かった。若鷲は、侵入艦に対して「発砲しない代わりに、座標情報を送信し、敵国のAI艦へ晒す」ことで、間接的制裁を実行。
機雷回収・再配置任務
ある時は「動かせない地雷」を、再配置して「動的地雷原」を構築。
敵にとって日本周辺海域は、地形すら信用できない水域となった。
「中立維持」の演出
若鷲は世界の監視衛星からも隠れつつ、絶妙なタイミングで中立国らしい“行動”を取る。例えば、両陣営の艦に燃料を届ける“偶然”を演出するなど。中立を続けるには、中立らしく振る舞う演出も必要だった。
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艦橋には、機器の低いうなりと、海のざわめきだけが漂っていた。
苦い煙草の煙が、古びた空調に吸い込まれていく。
相手は、
スピーカーから、柔らかいが乾いた声が漏れる。
『航空母艦の《かが》も、動けないらしいですねぇ。』
田金は、灰皿に煙草を押しつけながら、うすく笑った。
「仕方ないよなぁ。あいつが出れば、どこの衛星にも捕まる。とはいえ……上空がフリーってわけにもいかないから、軽空母の《しょうかく》に、烈風(F3)乗せて運用してるんでしょ。」
『らしいですね。烈風って名前、変えないんですね。相変わらず感傷的だ。』
「そういう国だよ、俺たちは。」
田金はまた煙草に火をつけ、静かに火を見つめた。
『……で、うちは何をやるんでしたっけ。中立国の「哨戒活動」?』
「そうだよ。中立国の、哨戒活動さ。敵味方の区別もつかねぇ、うっすら濁った海でな。」
曇りガラスの向こう、波間に霞む機雷標柱を見つめながら、
田金は、どこか遠くを見るように黙った。
「……で? 今回は、なにが任務なんすか?」
不意に無線に割り込んできたのは、軽薄とも陽気ともつかない若い声だった。
識別信号が切り替わる。若鷲型海防艦・
無線越しでも分かる、性格までゆるい艦長の声に、田金は苦笑を漏らす。
「大多数の……まぁ、要らない。つまり、過剰に設置された機雷の除去だとよ。」
田金は煙草をくわえ直し、火をつけるのも面倒そうに言葉を続けた。
「先に言っとくけど――触雷すんなよ。片付けがめんどくさい。」
干潟からの返事は、気の抜けたような一言だった。
『あいあい。こっちも爆ぜたくて海出てるわけじゃないっすから。』
続けて、《ひぐらし》が割って入る。
『除去って……海図にある分だけで数百ですよ? しかも動的配置型の一部は位置ブレてるはず。』
『こりゃ一週間コースですねぇ。』
「冗談言うな、三日で終わらせろ。あと、どの機雷が敵製で、どれが味方製か、まだ議論中だ。勝手に処理すんな。」
田金の声は、どこか冗談めかしていたが、その裏にはいつものように張りつめた緊張があった。
ここは中立国の領海。だが、誰もがその“中立”の下に何を隠しているか知っている。
爆発音ひとつで、すべてが変わる。
それが、封鎖されたこの海という場所だった。
「あー、見っけたわ……」
無線機に軽い、しかしどこか緊張を含んだ声が乗った。
田金は椅子の背に深く身を預けたまま、口元だけで応じる。
「おー、早いな。」
すぐさま、
『何処のっすか?』
ひぐらしの声が一瞬だけ遠ざかり、すぐ戻ってくる。
『ちょっと待って……えー……中国の……神雷(しんらい)だ。神雷型機雷。』
その名を聞いた途端、若鷲艦橋にいた通信士がわずかに眉をひそめた。神雷――電子妨害・磁気反応・静音追尾の三重作動型。最も厄介な“やつ”だ。
『ジャマー起動するから、無線離れるわ。』
「了解。気を付けてな。」
田金の声は平静だったが、内心の緊張がわずかに滲んでいた。
『おう。』
短い返答とともに、ひぐらしの通信がふっと切れる。
艦橋内に、再び静寂が戻る。
田金は静かに煙草に火をつけ、吐いた煙を見つめながら呟いた。
「さて……神雷か。こっからが面倒だな。」
『そっすねー。神雷型機雷は、一個見つけたら周りに五個あると思えって言われましたよ。』
軽い口調で言いながらも、その声の裏には、ただの冗談では済まされない現場の実感がにじんでいる。
田金は煙草をくわえたまま、わずかに眉をひそめた。
「……中国お得意の物量攻撃か? 冗談にもなりゃしねえ。」
『事実っすからねェ。下手すると“自爆連鎖式”ですし。設計思想がえげつないんですよ、あの辺。』
少し間を置いて、田金は問いかける。
「お前んとこ、見つけたのか?」
『ああ、3日前から海に出てるんすが……もう四つ片付けましたよ。EUのやつでしたけど。』
通信機からの声はどこか誇らしげだったが、それ以上に疲れた色が混じっていた。
機雷掃海は神経をすり減らす仕事だ。しかも爆弾相手に、音もなく静かに――
「あそー……」
田金はそう短くだけ返し、灰皿の上で煙草を潰した。
一服の余韻すら、海の爆ぜる気配にかき消されていく。
「うぃーす」
くぐもった声とともに、艦橋のハッチがゆっくりと開いた。
入り込んできたのは、軽めの作業着に身を包んだソナー担当――飛騨(ひだ)さんだった。
油っぽい髪を後ろでざっくり結い、手にはコーヒーカップ。眠たげな目元に、いつもの無精髭が揺れている。
「おーす、飛騨サン。」
田金が軽く片手を挙げると、飛騨はわざとらしく肩をすくめた。
「おめーが艦長だろ。敬語ヤメロ。鳥肌立つわ。」
「おーす、飛騨サン」と、タイミングを見計らったように無線から干潟の艦長の声が飛ぶ。
『久々。』
飛騨は苦笑しながら、コンソール脇のソファにどっかと腰を下ろす。
「おー、干潟の。お疲れ。そっちは音響どう? 静かか?」
『静かっすよ。機雷以外はね。てか、そっちで神雷出たってマジ?』
「マジマジ。ひぐらしのやつが踏んだ地雷を喜々として回収中だとよ。」
田金がそう補足すると、飛騨はカップを掲げて小さくうなずいた。
「また面倒くさい奴出たな。…今夜、眠れねぇかもな。」
彼の声は冗談めいていたが、その奥底には確かな経験からくる警戒が潜んでいた。
海は、静かであるほど怖い。
「あ、そだそだ」
思い出したように、飛騨がカップを置きながら言った。
田金がそちらに目を向ける。
飛騨はコンソールの脇を指でとんとん叩きながら、事もなげに話し始めた。
「2.5キロくらい先に機雷の反応あってね。
ただ、神雷でもなけりゃ、EUのとも違うんだわ。」
「……ん?」
「たぶん露(ロシア)製。信号が重いし、分厚い構造してる感じ。
ってことで、艦内放送で作業員集めといて。」
田金は一拍置き、ゆっくり立ち上がる。
「おー、分かった。……クソ面倒そうなヤツだな、そいつ。」
「そだな。たぶん、エリミネーター型か、あるいは……新型の試作混ざってるかも。
距離詰めたら、対潜ソナー波に反応して起爆する仕様、あれ。」
「嫌なもん見つけてくれたな……」
ぶつぶつ言いながら、田金はインカムを手に取り、手慣れた操作で艦内回線を開いた。
「こちら艦長。作業員は第三ブロック前室に集合。潜航対応装備を忘れるな――2.5キロ先に露製機雷の反応あり。回収準備に入る。」
甲高い艦内ブザーが短く鳴り、艦内に緊張が走る。
飛騨は窓の外をちらりと見やり、いつものように、煙草の代わりにコーヒーをすすった。
「まー、海が静かな日ほど……ろくなこと起きねぇわ。」
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