このくだらない本能に賭けて

オークマン

このくだらない本能に賭けて



ふと気がつくと光が滲んでいた。

まるで世界が遠ざかっていくように。


私は薄っすら目を開けていた。たぶん。

でも世界は薄い光のモザイク越しにしか見えず、誰がいても、何があっても、どうでもよかった。

見えない。 誰かがいる? 分からない。


光は知覚している。しかし次第に思考が鈍くなっていくのを感じる。


静寂は、やけに優しく、無慈悲だった。

誰もいない。何も聞こえない。何も感じない。

ゆっくりと沈む意識だけが、やけにはっきりと知覚していた。


——沈む。


思考が緩み、解けていく。

重ねた記憶も、感じていた痛みも、意味を持たなくなる。


怒りも、喜びも、愛しさも、

どれも粘度の低い泥のように流れていった。


沈む。

沈む。

沈む。

私とは何か?

なんて、そんな問いが出るだけマシだったと今なら思う。


何となく分かった。ああ、これは死ぬってやつか。

なんだか拍子抜けだ。


輪郭を持たない、ぬるく濁った光が、視界の端にしがみついていた。


……それすらも次第に薄れていく。


何となく境界のようなものを感じた。アレの下に沈めばもう戻れない。戻れない?なんかそれは嫌だな。 沈みきる、その直前。

私のどこか、まだまともに名付けられていない部位が、

反射的に暴れ出した。


突き上げる衝動。

噛みつくような焦燥。

そして、それは一つの叫びになった。


 「死んでたまるか!!」


生きたい? ちがう。

死にたくない? それもちがう。

そんな知的な感情じゃない。

これはもっと、くだらない。

もっと、本能的で、無様で、泥臭い叫びだった。


でもそれが、私をここに引き戻した。

誇れるものなんて一つもない。

ただ、それだけは譲れなかった。

笑わせるな。

こんなもんで死ねるか。

クソみたいな世界でも、俺はまだ、クソみたいに生きてやる。


このどうしようもない本能に、

まだ全部、賭けてみる価値がある。


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