第15話 終わり
数年後――
魔王が討たれ、世界は平和を取り戻した。
あの後もイズマとレイは旅を続けた。
二人は英雄として讃えられ、広場には二人の銅像が建てられた。
平和記念の日。
その像の前に立ち、レイは震えなくなった指で冷たいブロンズをなぞる。
若き日の自分――傲慢な顎の角度、威圧的な姿勢――まるで他人のようだ。
「……恥ずかしい」
風に向かってそう呟く。だが、そこに込められた感情は、温かさだった。
本当の記念碑は、この像ではなく――
あの戦いの合間の静かな時間。
焚き火を囲み、ささやき合った作戦。
そして――強さが、優しさにもなりうると知ったあの瞬間。
彼女は像から背を向け、歩き出す。
足取りはかつてないほど軽やかだった。
広場の向こう。
きっと彼が、今日も変わらず二人の庭の手入れをしているのだろう。
「本当に……草むしりの方が大事な人に、どうして像なんて建てるのかしらね、ばかげてるわ。」
その皮肉めいた言葉に、愛情がにじんでいた。
「レイ。」
彼の声が、彼女の名前を呼ぶ。
何年経っても――その一言に心が跳ねるのは変わらない。
あのときと同じ、ばかげた高鳴りが胸に宿る。
彼女は銀髪をなびかせ、わざとらしくゆっくりと振り向いた。
かつての高慢な口調を真似てみせる。
「まったく……人前で気軽に呼ばないで。
“偉大なる氷の女王”が、まるで平民のように召喚されたら、皆どう思うかしら。」
だが、言葉は途中で止まった。
彼の手に握られていた野花に気づいたからだ。
――ペンダントと同じ、あの青。
息を呑む。
彼は、まだ覚えていたのだ。
「……ばか」
思わずそう呟く。だが、その言葉には愛しさが滲んでいた。
花に手を伸ばし、指先が彼の手に触れる。
その自然な仕草に、昔の自分が皮肉を言っているのが聞こえる気がした。
「……これはうちの庭の花じゃないでしょ?あの花壇、私が植え替えたばかりよ」
「はは……綺麗だなって思って。」
素朴な賛辞は、どんな詩よりも深く胸に沁みる。
彼女は花をそっと胸元に抱きしめる。
かつての自分なら笑い飛ばしそうなこの感傷に、微笑むしかなかった。
もうその頃の自分は、遠くに霞んでいた。
「ほんと、いつもそう……雑草摘んで“花”って呼ぶんだから」
それでも、彼女は花を耳の後ろに挿した。
青が銀に映え、見慣れた風景がひときわ鮮やかになる。
「花を眺める暇があるなら、フロストブルームの植え替えも手伝いなさい。
この酷い暑さで枯れかけてるんだから」
踵を返す。
だが、数歩で――立ち止まる。
二人の間に、静かな“誘い”が漂っていた。
氷の女王はもう、溶けてしまったのかもしれない。
けれど、心の奥の何かは、今でもそっと形を保っていた。
「今行くよ。」
いつもの返事。
普通で、頼りになる、あの一言。
彼が隣に立ち、歩き出す。
彼女は振り返らない。だが、二人の手の間――
ほんのわずか、触れ合いそうなほど近かった。
「今度は苗を踏まないでよね」
そう釘を刺した声も、もう鋭さはなかった。
木漏れ日の差す庭の小道を、ゆっくりと歩く。
レイ・フロストは、今この瞬間を、心から味わっていた。
ふと、気づく。
――いつの間にか、彼の手に、自分の手が触れていた。
どちらが先に手を伸ばしたのか――それはもう、どうでもいいことだった。
-終わり-
追放された英雄と氷の魔女 @Yoshi-kobu
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