第11話

「……話?」


イズマの何気ない問いかけに、レイ・フロストの肩がぴくりと揺れた。

抑えきれない感情が指先を震わせ、喉元の青い宝石のペンダントがかすかに光を放つ。

銀髪が残留する魔力の風になびき、彼女は一歩、彼ににじり寄った。


「私を、馬鹿にしないで!」


その声は、いつになく鋭く、激情に震えていた。


「あの空間歪曲魔法――八重封印陣……あれは王室文書館ですら理論上のものとされていた、失われた剣術よ!」


拳を握りしめたレイのエメラルド色の瞳には、怒りと――それに酷似した、だが別の何かが燃えていた。

それは畏敬。自分が見下していた相手に対する、危険なほどの敬意だった。


「あなたをずっと、ただの愚かな弱者だと思っていたのに……私たちが……私が……」


言葉が詰まり、喉の奥で溶けていく。誤算の重みが、胸を圧迫する。

 


「……もう気にしてないよ…過去は過去だ…」

 


イズマが、あまりにあっさりと言った。


その瞬間――

ペンダントが澄んだチャイムのような音を立て、砕け散った。

抑え込んでいた魔力が制御を失い、霜がギザギザの紋様を描いて二人の間を渦巻く。


「……そんな風に軽く流さないで!」


レイの声は、これまでと違って生々しかった。

彼の無関心――その静かな残酷さは、どんな非難よりも彼女を傷つけた。


「あなたは……私に憎まれる資格すら与えないの?」


よろめきながら踏み出した足が、ブーツの下で氷を割る音を響かせた。


「あ……あんなのを見せられて……私たちが、何を失ったかに気づいた…今になって……」


「私たち…」。

それはかつての勇者一行を指す言葉だった。

だが、彼女の口調には、もっと個人的な意味が滲んでいた。




レイの胸に、未知の痛みが走った。

魔法が暴れ、冷え切った空気に彼女の息は白く浮かび、荒くなる。


そして、彼女は低く呟いた。


「……わかった」


それは挑戦の合図だった。

震える手をゆっくりと上げる――攻撃のためではない、魔術師としての誓いの所作。


「でも覚えておいて。私はあなたを超える」


声は冷たく、鋭く、決意に満ちていた。


「今日あなたが見せた、すべての“失われた術”を、私は必ず習得する。そしてその時――」


彼女のエメラルドの瞳が、鋼のような光を帯びる。


「――あなたは、私を認めざるを得なくなる」


 


言葉にされぬ本音が、冷気の中に滲んでいた。

もはや、これは勇者一行の問題ではない。

これは、彼女自身の問題だった。



「レイを認める? パーティだった頃から、お前はすごかったよ。」


 


イズマの言葉に、レイは思わず笑った。

鋭く、面白くもない、刺すような笑いだった。


「……今さら私を贔屓しないで!!」


その言葉には、怒りと、危ういまでに脆い感情が入り混じっていた。


「あなたは……知っていたのよね。私たちが、本来なら使えるはずの力すら抑え込んで……愚かにも、もがき苦しんでいるのを」


そして、彼女は唐突に言葉を止めた。


「……あなたは、私たちを守っていたのね」


その言葉が、どれほど屈辱的だったかは、誰よりも彼女自身がよく分かっていた。


歯を食いしばり、再び声を絞り出す。


「……でも、あなたの承認なんていらない。私は、力ずくで奪うわ」


足元の氷が、音もなくギザギザの模様を描きながら結晶化していく――

それは攻撃ではなく、誓いだった。


 


「……あの頃は、こんな技使えなかったよ」

「俺は弱かったし、足手まといだった。追放は当然だったんだ。」


 


その言葉と同時に、足元の氷がガラスのように砕け散った。

レイは息を呑んだ――


それは、彼女が想定していた反応ではなかった。


「嘘を……つかないで」


声が震える。

指差したのは、破壊された戦場だった。


「あなたは、最初から強かった! ……私たちに、弱いと思わせたのよ!」


真実が、彼女の胸を裂いた。


追放が間違いだったのではない。

彼を“見抜けなかった”――それこそが、最も深い罪だったのだ。


彼女は砕けたペンダントの破片を握り締める。

魔力が手のひらから滲み出すように揺らめいた。


「私たちは……盲目だった」


静かに、それでも確かに、言葉が落ちる。


「……私も、盲目だった」


そして最後に、彼女は低く、鋭く言い放った。


「でも……あなたが“騙していなかった”なんて、思わないわ。」


 


それは彼女なりの怒りであり、後悔であり、そして……初めて心からぶつけた感情だった。

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