11【改善提案】教育メソッドの、パラダイムシフト
翌日、僕たちはヴェノムの手引きで、ルナミリアの研究室に通された。そこは、床から天井まで本棚が埋め尽くされ、怪しげな錬金術の器具が並び、床には複雑な魔法陣がいくつも描かれている、まさに「天才の巣」だった。
その中央、巨大な黒曜石の玉座に、当の本人、「賢老」のルナミリアは座っていた。彼女は僕たちを一瞥すると、心底つまらなそうに言った。
「何の用です、下等生物。私の研究の邪魔をするなら、その場で塵にしますわよ」
空気が凍る。ブリギッテが剣の柄に手をかけるのを、僕は目で制した。大丈夫、これは想定内だ。
「ルナミリア様。本日は、魔王軍の『人材育成における生産性向上』について、画期的なご提案があり、参上いたしました」
僕はマキナに合図し、光のスクリーンを展開させる。ルナミリアの眉が、わずかにピクリと動いた。
プレゼンは、まず彼女への賛辞から入った。
「まず、ルナミリア様の教育に対する情熱と、その高度な理論体系には、私も深く感銘を受けております。その深淵なる知識は、まさに魔王軍の至宝と言えましょう」
おだてに、彼女の口元がほんの少しだけ緩む。よし、食いついた。
「しかし、です。現行の教育メソッドでは、兵士たちの学習曲線が、特定のポイントで著しく停滞しているデータがございます。こちらのグラフをご覧ください」
スクリーンには、兵士たちの魔法詠唱の失敗率と、ルナミリアからの「指導」回数の相関関係を示す、見事な正比例のグラフが映し出された。
ルナミリアは、鼻で笑った。
「それは、被教育側の知能指数が低いだけの話ですわ。素材が悪ければ、完成品が劣るのは自明の理」
「もちろん、それも一因でしょう。しかし! 我々はこの『低スペックなリソース』から『最大のアウトプット』を引き出す新たな手法を考案いたしました。それが、この『ポジティブ・フィードバック・ループ・システム』です!」
僕は、人間の脳が「罰」よりも「報酬」によって、いかに効率的に学習するかを、心理学のデータを元に熱弁した。要するに、「褒めて伸ばしましょう」という、僕のいた世界では使い古された理論だ。
ルナミリアの目が、初めて好奇の色に染まった。プライドの高い彼女にとって、自分の知らない論理で、自分より愚かな者を効率的に操作する、という発想は、新鮮で刺激的だったのだ。
「…くだらない。ですが、その非合理的な手法が、私の合理的な指導を上回るというデータ的根拠を、より詳細に示しなさい」
彼女が前のめりになった。勝った!
僕とマキナが、アイコンタクトで勝利を確信した、その瞬間だった。
これまで黙って話を聞いていたブリギッテが、我慢の限界とばかりに立ち上がった。
「もう黙って聞いていれば!」
ブリギッテは、ルナミリアをまっすぐに指さして叫んだ。
「あなたは、さっきから皆を馬鹿にしてばかりではないか! 兵士たちは、弱くても、不器用でも、一生懸命頑張っているんだ! それを『低能』だの『非効率』だのと! そんな言い方はないだろう!」
しまった! と思ったが、もう遅い。ブリギッテの怒りは、彼女自身の過去の記憶と結びつき、さらにヒートアップしていく。
「そもそも、あなたのそのやり方は、私の父上や兄上たちが、私にしてきたことと、何ら変わりない! 最低だ!」
部屋の温度が、急速に下がっていくのが肌で感じられた。
僕のプレゼンで知的好奇心に満たされていたルナミリアの顔から、完全に表情が消え失せていた。彼女のプライド…「誰よりも優れた知性を持つ自分」という唯一無二のアイデンティティが、今、「最低」という一言で、筋肉しか能のない女騎士に踏みにじられたのだ。
「……なるほど」
ルナミリアが、静かに玉座から立ち上がった。彼女の足元から、禍々しい紫色の魔力が溢れ出す。
「これがあなた方のやり方ですか。下等生物が、束になって、この私に説教を垂れにきた、と。結構ですわ。その愚かな脳と、そのたくましい筋肉に、本当の『教育』とは何かを、その魂に直接、刻み込んで差し上げますわ」
交渉は、決裂した。いや、それ以上の最悪の事態だ。
目の前には、本気でキレた、500歳の天才ロリ魔術師。
僕のプレゼン資料が、彼女の魔力によって、むなしく燃え尽きていく。僕の隠居生活も、今、まさに燃え尽きようとしていた。
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