ほんぶん②

 私は、ブルッと身震いする。身体中がゾワゾワとして、腕や足に鳥肌が立っていた。


「ごめん、クーラー効き過ぎてた?」


 小林くんが、クローゼットからパーカーを出してくる。

 それを受け取った私は、セーラー服の上から羽織る。

 だけど、一向に温かくはならない。


「温度上げるよ。ちょっと待ってて」


「ううん、違うの。そうじゃなくて……」


 震えているのは、エアコンのせいじゃない。


「この家に入った瞬間から、雰囲気がよくなかったから」


「雰囲気って?」


「『何が?』って聞かれても、答えにくいんだけどね」


 私は、辺りをぐるりと見回す。

 白い壁紙、勉強机、ベッド……レースのカーテンがゆらゆらと揺れている。スチール製の棚には、漫画や雑誌だったり、キャラクター雑貨が飾られている。ごく普通の中学生の男の子の部屋だった。

 そんな日常の風景に似つかわしくない、異様な『雰囲気』。


「たとえば、暗いとかジメジメしてるとか。汚れてるとか、淀んでるとか、他にもいろいろ」


 この『寒い』っていうのも、それと同じ。『嫌な感じがする』という意味だ。


「ベッドの下とか、クローゼットの中とか。天井裏? 何かいそうだなーって、考えちゃったり」


 学校でいうと、トイレや階段、体育館の舞台裏とか。そういうところで、『なんか嫌な感じだなーっ』と思うときがある。


「案外、そういうものを怖いとか、気持ち悪いって思う感覚って、正しいっていうか……」


 やっぱり、そこには『何か』がある。


「それって、野生の勘みたいなもので、危険なものを察知しているんだと思う」


 だから、自然と足が止まったときや、ふと『やめておいた方がいい』と思ったとき、私はその野性的な判断に従うようにしている。


「そういうわけだから。ごめんね、小林くんの家が気持ち悪いって言いたいんじゃないの」


「大丈夫、気にしないで。僕もなんとなくわかってるから」


 家の中に漂う嫌な感じ。


 亡くなった妹さんの『なつのじゆうけんきゅう』。


 彼女が飼っていたという、謎の黒いモジャモジャ『●』。


 もしかしたら、安易に触れてはいけないものだったのかもしれない。

 それでも『知らなくちゃいけない』というのなら、調べるしかない。


「妹さんについてもっと知りたいんだけど」

「部屋がまだそのままになってるよ」

「そう。見せてもらってもいい?」

「いいよ。ついてきて」


 小林くんに案内され、妹さんの部屋へ向かおうとした、そのとき。



「……諒太、何してるの?」



 一階の方から、誰かの呼ぶ声が聞こえてきた。

 途端に、扉を開けた小林くんが慌てた様子で返事をする。


「友達が来てて、ちょっと話してただけだからっ!」


 急に大きな声を出すので、驚いてビクッとしてしまった。


「誰? 人がいたの?」

「うん、母さんが一階の部屋に」

「えっ、いつから?」

「キミが、家に来たときから」


 私は、廊下に顔を出して様子をうかがう。

 音も気配もなかったから、他には誰もいないと思っていた。


「おばさんとは、話はできないの?」

「たぶん、無理だと思う」

「無理って? どうして?」


 私が顔を見上げると、小林くんは気まずそうに視線をそらす。


「……母さんは、病気なんだ。ずっと部屋で寝てるし、あまり会話できなくて」


 小林くんがさっき言っていた、『ちょっと聞ける状態じゃない』というのは、そういう意味だったらしい。


「だから、友達を家に上げることもほとんどないし、女の子を連れてきたのは初めてで……」


「えっ、そうなの?」


 突然お邪魔して騒いでいたのだから、おばさんが私をどう思ったか……。


「私、弟がいて。うちには男子がよく出入りしてるから、そういうの気にしてなかったんだけど。女の子が部屋に上がるの、あんまりよくないよね?」


「大丈夫、気にしないで」


 小林くんはそう言うけれど、迷惑はかけられない。


 私は、脱いだパーカーを小林くんに持たせる。


「私、もう帰るね」


 とりあえず、今日のところは帰宅することにした。

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