第二十三話 報復(お題:探偵)

 探偵の元に、浮気調査の依頼が持ち込まれた。

「最近、夫の帰りが遅いんです。それに急に愛想が悪くなって、私が話しかけても返事してくれなくて」

 依頼人の女性は、探偵の前でさめざめと泣いた。

「この前、町中を歩いてる時に、夫を見かけたんです。花束を持った夫の姿を。私、咄嗟に隠れました。どうしても声をかけられなくて……その夜、夫が帰ってきた時、花束はありませんでした。私、もう悲しくて悔しくて……浮気相手が誰か突き止めて、必ず訴えてやると決めたんです」

 探偵は依頼人に慰めと共感の言葉をかけ、依頼を引き受けた。

 依頼人から得た情報を元に、探偵は夫の尾行を開始する。

 夕方。夫が会社から出てきた。探偵は眼鏡に仕込んだ隠しカメラの電源をオンにした。

 彼は大通りにあるケーキ屋に入った。数分後、白いケーキの箱を持って出てきた。実に幸せそうな顔であった。彼は自宅とは全く異なる方向へ歩き出した。電車に乗り、田園地帯にある無人駅で降りた。電灯の無い夜道を歩き、山の麓にある小さな神社に入った。

 探偵は気取られないよう慎重に境内に入り、彼の様子をうかがう。

 彼は崩れかけたお堂の床に腰掛け、誰もいない空間に向かって楽しそうに話しかけている。仕事の愚痴を『彼女』にこぼしているようだ。やがて彼はお堂の奥の暗闇へ姿を消した。実に楽しそうな彼の笑い声だけが、暗い境内に響く。

 探偵は鳥居の外で、彼が出てくるのを待った。数時間後、彼が出てきた。彼は畳んだケーキの箱を小脇に抱えていた。来た道を戻り、電車に乗り、自宅に帰った。

 探偵は事務所に帰り、撮影データを確認する。

 神社の場面まで早送りする。

 夫が境内に入ると、お堂の奥から和装の女が現れた。

 女は男性の隣に座る。女性の声は録音に入ってないが、楽しそうにおしゃべりしている。

 やがて、二人はお堂の奥へ行く。暗闇へ姿を消す、その直前。

 女が振り返った。はっきり、カメラを見ている。

(マズい)

 探偵の背筋を冷や汗が伝う。尾行がバレている。しかし、今回に限っては、それは大したことではない。

 見つかってしまった。

 あの女がこっちに来る。

 理屈抜きの本能がそう言っている。

 しかし、それでも仕事はしなければならない。依頼人に報告しなければ。そして、夫から離れるよう警告しなければ。

 探偵は、調査報告書を急いで仕上げた。本来なら直接会って報告しなければならないが、そんな余裕は無い。メールで送信した。

 探偵の背後で、ひとりでにドアが開いた。ひたひた、と足音がする。

 探偵は意識を手放した。



 探偵が気がつくと、病院のベッドの上にいた。

 傍らには事務所の職員と、依頼人の女性がいた。

「大丈夫ですか?」

 職員が尋ねる。探偵はなんとか頷いた。どこも悪い感じはしなかった。

「調査報告書、読みました。本当にありがとうございます」

 依頼人は深々と頭を下げた。

「あの、大丈夫ですか、その……」

 探偵はなんとか声を絞り出す。思い出すと、あの深夜の出来事が、酷い夢か幻のように思えた。

「はい、大丈夫です! むしろとても元気ですよ」

 依頼人は溌剌としている。

「あなたの調査のおかげです。相手が人間じゃないと分かって、かえって元気が出たんです。法律を守らなくていいんだって」

「え?」

 職員がスマートフォンの画面を探偵に見せる。

 それはローカルニュースサイトの記事であった。

 今朝、例の神社が火事で燃えた、というニュースだった。

 苦笑いする職員。その横でサムズアップする依頼人。



 探偵は無事に退院した。特に大事にはいたらず、健康である。

 依頼人は夫と離婚した後、日々の幸福を謳歌しているとのことである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る