醜末進化論

わたねべ

醜末進化論

 渋谷のスクランブル交差点は、夕闇が迫り、異様な静けさに包まれていた。


 ビルの広告が照らし出す路面を、をした者たちが闊歩する。


 彼らの顔はどれもこれも、人間が描ける究極の美を具現化したかのようだった。左右対称の完璧な目鼻立ち、滑らかな肌、どこから見ても美しい顔のライン。


 その、あまりにも完成されすぎた美しさは、どこか空虚で、見る者に得体の知れない不安感を与えた。


 最近、世間では「美しい顔の怪異」という噂が囁かれ始めた。


 夜更けの鏡の前で、自分の容姿が美しくなることを強く望むと、翌朝にはまるで魔法のように、望み通りの整った容姿になるという。いわば、都市伝説のようなものだった。


 最初は半信半疑だった人々も、実際に美しくなったと証言する者が現れるにつれて、その怪異に魅せられていった。


 まるで感染症のように、「美の怪異」は瞬く間に世界を覆い尽くした。誰もが自分の望む容姿を、一夜にして手に入れられるようになったのだ。


 最初は、病気や事故で損なわれた顔を修復するため、あるいはコンプレックスを解消するために、その怪異に手を出す者が多かった。


 しかし、やがてその目的は変質していく。


 「もっと美しく」「もっと完璧に」という欲望が際限なく膨れ上がり、人々は競うように自分の容姿を変え始めた。街を歩けば、同じようなをした人が多く目につくようになった。


 メディアも、SNSも、そのをひたすらに称賛し、煽り立てる。


 彼らは鏡に映る自分を見るたびに、脳内からドーパミンが溢れ出し、満ち足りた幸福感に浸る。それは、まるで究極の自己満足を体現するかのようだった。


 彼らは、という感覚が絶対的な幸福と結びついているため、この状態を最も有意義で幸福な時間だととらえていた。


 だが、奇妙なことに、ある種の人間たちはこの流れに乗り遅れていた。


 彼らは容姿を変えることに価値を見出さず、生まれ持った顔のまま、あるいは僅かな修正を加えるに留まっていた。


 彼らは「原種」と呼ばれ、美しい顔をした者たちからは、醜いだの愚かだのと揶揄されるようになった。


 だが、原種たちは美しい顔をした者たちの退廃的な美意識を理解しようとせず、自身の価値観を頑なに守り続けた。


 そして、恐るべき変化が訪れる。


 美しい顔をした者たちは、大衆が飽和したに飽き飽きし始めたのだ。人と同じ「完璧な美しい顔」を持つことは、すなわち時代遅れであり、個性のないこと、とされた。


 「人と同じ顔は嫌だ」という欲望は、彼らをさらなる変貌へと駆り立てる。

 彼らは自身の容姿を変化させる能力を際限なく使い続け、より奇抜な、より異質な容姿を求めるようになった。


 歪んだ口元、大きく吊り上がった目、あるいは非対称な顔のパーツ。そのの基準は、常識から逸脱し、見る者によってはもはや醜悪としか言いようのないものへと変貌していった。


 だが、当のをした者たちは、その変化に気づかない。

 彼らはそれが最先端の美であり、真の個性だと信じて疑わなかった。


 彼らの脳は、容姿を変えるという行為そのものに快感を覚え、取りつかれたように容姿を変化させ続ける。


 鏡に映る自分の姿を眺め、彼らは恍惚の表情を浮かべた。傍から見ればおぞましいその顔が、彼らにとっては至高の芸術なのだ。


 彼らの知能は加速度的に低下し、複雑な思考や言葉を紡ぐ能力を失っていく。

 彼らは容姿を変化させる能力だけは保持し続け、その行為に耽溺するばかりだった。


 やがて、美しい顔のトレンドは変わり続け、美しい顔をした者たちには醜悪な顔を持つものが増えていった。


 彼らは次第に、人としての機能を失っていく。


 脳が退化し、会話は単語の羅列になり、複雑な思考はできなくなった。


 彼らは、ただひたすらに自分の容姿をいじること、そしてそれを他のをした者たちと見せびらかし合うことだけを繰り返す、人間とは別の生き物と化していた。


 しかし、彼らはその状態に何の不満も抱いていなかった。


 彼らの脳は絶えず幸福感に満たされており、容姿の変化と自己満足のループの中で、穏やかに生を終えることができた。


 数か月もすると、街中には、ブツブツと独り言を呟きながら、自分の顔を撫で回したり、無意味な行動を繰り返したりする醜い生き物があふれていた。


 彼らの瞳には、もはや理性のかけらも宿っていない。


 一方で、原種たちは、その異様な光景を冷めた目で見ていた。

 彼らは、自身の価値観を守り、知性を保ち続けていた。


 醜い生き物を前にして、彼らは静かに、しかし明確な結論に至る。

「彼らは、もう人間ではない」


 原種たちは、彼らをペットとして飼い慣らし始めた。


 彼らを労働力として使う者、娯楽の対象として弄ぶ者、あるいは単なるコレクションとして集める者。とにかく、人間として接するものはいなくなった。


 醜い生き物は、抵抗する術を持たない。彼らは、原種の指示に従い、意味不明な鳴き声を上げるばかりだった。


 彼らを飼育し始めてから少し時間がたち、原種たちはあることに気が付き始める。


 飼育している生き物たちを解剖した結果、彼らは容姿を変化させる能力と引き換えに、生殖機能を完全に喪失していたのだ。

 精巣や卵巣は萎縮し、性ホルモンの分泌は無い。彼らは子孫を残すための機能を完全に失っていた。


 この事実は当初、人類の存亡にかかわる出来事だとして、瞬く間に世界中に広まった。


 しかし、その増加スピードと類を見ない症状であることから、有効な対処法は見つからなかった。


 ワクチンも、治療薬も、カウンセリングも、何も効果がなかった。

 絶望した研究者たちは、次々とさじを投げた。


 それからも、を望む者たちは、その代償に気づくことなく、ただひたすらに美を追い求めていった。


 彼らは生殖能力を持たない。

 ゆえに、その個体数は確実に、そして不可逆的に減少していく。


 世界人口の八十パーセントが、すでにになっていた。言い換えれば、人類の八十パーセントは、自ら終末への道を歩み始めたのだ。


 原種たちの出生率も、年々低下していった。

 パートナーを見つけることが困難にななったのだ。


 社会インフラは崩壊し、医療も教育も維持できなくなった。


 築き上げた文明は瓦解していた。

 発電所のタービンは止まり、空に飛行機は飛ばなくなった。


 人類が何前年もかけて積み上げてきた叡智の結晶は、ルッキズムという一本のやりによって、再生不可能なレベルにまで、破壊されていた。


 原種たちは、廃墟と化した都市を見渡しながら、同じ思いを抱いていた。


 これは偶然などではない。地球という生命体が、自らを蝕む存在を排除するために仕組んだ、自浄作用のシステムなのではないか。


 むやみに増殖し、際限なく消費し、言い訳をして汚染し続けた人類。その種族の傲慢さへの、静かな審判。


 その美しく甘い毒は、苦痛を伴わない安楽死として、人類に差し出された最後の優しさなのかもしれない。


 そして人類は、その毒を喜んで飲み干した。


 ◆ ◆ ◆


 夜は、今日も静かに更けていく。


 スクランブル交差点では、奇妙な顔をした退化人間たちが、明かりの灯らないビルの前で、無意味な動きを繰り返していた。


 その傍らでは、暗い顔をした原種たちが、彼らを睥睨へいげいしている。


 もはや、人類は進化という名の繁栄を失い、醜末進化とでもいうべき、絶滅へ向けた道を歩み始めた。


 醜末進化をたどった者たちは、鏡に映る奇妙な自分の顔に満足げな笑みを浮かべながら、穏やかな終焉へと向かっていく。


 退化人間の唸り声と原種の嘆き声が、スクランブル交差点で不快な鎮魂歌を奏でていた。

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醜末進化論 わたねべ @watanebe

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