第十五話 昇華

「香織君、お目覚めかな?」


 身体が静かに揺られる中、私がふと目を覚まし、上を見上げると、紅の顔が目に入る。

 どうやら、意識が無い間、お姫様抱っこで運ばれていたようだ。


「よくやったね香織君。君の勝ちだ。」


 彼女がそっと私を地面に降ろす。


「このまま医務室に運ぼうかと思ったが、大丈夫そうで何よりだ。」

「で、早速だが、香織君。約束通り、君の願いを聞こう。」


 彼女は優しく微笑みながら、私に手を差し伸べる。

 …が


「オイ、その願いの行使権。俺に譲渡しろ。」


 突如、ドスの利いた声があたりに響く。

 茂みから姿を現したその人物は、左手で真を羽交い絞めしながら、その右手でナイフを真の首に突きつけている。

 身動きの取れない真はもがき疲れた様子で、ぐったりとしている。


「おっと、勝手に動くなよ二人共。」

「そこのお前、九重紅で間違いないな?」


 男はその見た目と反対に、冷静な口調でこちらを伺う。


「…そうだが?」


 紅は珍しく凄まじい殺気を放ちながら男へそう返す。


「君は…。伏見蓮だな。」

「真に負けた事が受け入れられないのか?」


 紅は伏見という人物を煽る様に、問いかける。


「黙れ。余計なことをしゃべるな。」

「今はそんな些細な事はどうでも良い。」

「あの、"異邦の欠片"について詳しく教えろ。」


「ああ…。君だったのか…。アレを持ち出した人間は…。」

「もしかして、使ってしまったのか?アレを?人間に?」


「うるさい!余計な事を喋るな。ただアレについて教えろ。」


 伏見は苛立った様子で声を荒げる。

 

「その様子だと論文は見た訳だろう、何が分からないんだ?」


 紅は身から出る殺気を抑えないまま、落ち着いた様子で尋ねる。


「結晶化だ。結晶化の後は、どうすれば元に戻る?」


 伏見は切羽詰まった言葉で、すがるような顔をする。

 

「元に戻る?…ああ、やはりそういう事か」


 紅は目を閉じながら、右手を頭に当て、わざとらしく頭を抱える仕草をする。


「君はアレを人体に投与したんだね?」


 彼女は目を見開きながら、伏見に問いかける。


「愚かな奴だ…。で、何が望みだ?」


「俺の…俺の妹を何とかしろ…。」

「異邦の欠片を投与してから、身体から深い紫色の結晶が生えてきた。」

「そこから意識を失って、体調が芳しく無い。何とかしろ。今すぐにだ。」


「…そうか、分かった。」

「その前に真を解放してくれ。約束は守ると誓おう。」


 紅は神妙な目つきをしながら、伏見の要求を飲む。

 しかし、ただでとは行かない。

 先に真の安全を確保したいのは当然のことだろう。


「いや、先に妹を何とかしろ。コイツの解放はその後だ。」


 そう言って、伏見は真の首筋にナイフを軽く押し当てると、真の首筋から赤い血が滴り落ちる。

 本来であれば、安全装置ライフセーフティが機能するはずが

 試合の決着が着いたことに従って、解除されているようで、今や真の命の保証は出来ない…。


「とは言ってもだね…。」


 紅は食い下がるように口を開こうとしたその時


「うるさい!余計なことをほざくな!」


 伏見はそう言って、首筋に当てていたナイフを、真の腹に突き刺した。


「うぁっ…。」


 真は呻くような声を上げながら目に涙を浮かべる。

 制服の刺された部分がみるみるうちに赤く滲み、その顔には苦悶の表情が張り付いている。


「次は首を刺す、分かったら黙って従え、良いな?」


 伏見は眼をギラつかせながら、紅にナイフの先を向ける。


「…分かった。」

「で、その妹とやらはどこにいるんだ?」


「男子生徒寮のB棟、305号だ。」

「この鍵を使って、妹をここに連れてこい。当然、余計な事はするなよ?」


 そう言って伏見は私の方に向かって鍵を投げる。


「すまない、香織君。頼むよ。」

「ついでにアイオンもつれて来てくれるか?」


 そう言って紅は私に目配せする。


「オイ、余計な奴を連れてきていいと誰が言った?そいつ一人で行かせろ」


 伏見はこの場に人が増えるのを警戒したようだ。


「別に構わないが…、君の妹を救うならアイオンが居なければ不可能なんだが…。」

「それでも良いなら、君の意見を飲もう。」


 紅が飄々とした様子でそう告げる。

 少しの沈黙の後に、渋々と言った形で伏見は了承した。


「チッ、仕方ない。さっさと行け。」


 そう言って、伏見が私に顎で指図する。

 私も怒りに震えているが、真の命を握られている以上従わざるを得ないだろう。

 私は指示通り、彼の妹がいる場所へ行くことにした…。


 ――――――


 痛い…。不覚だった…。

 決勝戦の終了の合図から、授賞式までの間。

 僕は喉の乾きを感じて、観客席を出て、外の自販機に向かっていた…。

 すると、突然後ろから羽交い締めにされて、人気のない通路に連れ込まれると、無理やり何かを嗅がされて

 伏見の顔を確認すると同時に、僕は意識を失って今に至る…。

 その目的がこのような人質にされるとは…。

 最初は腹いせにこんなことをしているのかと思ったが、どうやら紅との話を聞くに、彼は彼なりのなにか事情があるようだ。

 香織が彼の妹を迎えに行く間、辺りを沈黙が包む…。


「で、君の妹の名前はなんて言うんだね?」


 …。

 紅はその沈黙を破るように、陽気な声で伏見に尋ねる。

 が、その身体から発する殺気は依然変わりない。

 しかし、当の伏見は沈黙を貫いている。


「異界の欠片を使うということは、大よそ不治の病やそれに類するものだとは思うが…。」

「君がそこまでして彼女を助けたいということは、君にとってよっぽど大事な人物なんだろうね。」

「常人の神経では、人質に取ってまで誰かを助けるという選択肢は中々取れない…。」

「ただ、一つ不可解な点がある。」


 紅は人差し指を立て、その先を伏見へと向ける。

 

「どうして、そこまで妹のために出来るのに、予め私に相談しなかったんだ?」

「まさか、人に頭を下げれないちっぽけなプライ…」


「うるさい黙れ!お前は黙って、俺の言う事に従え!」


 伏見は再度僕の首にナイフを押し当て、声を荒げる。

 図星、なのだろう。

 僕との闘いの時にも、実力はあるというのに、いらぬプライドが彼の足を引っ張っていた…。

 そのことが頭によぎる…。


「………。」


 紅は沈黙するも、不満げな様子で、その目には明らかに、伏見蓮に対する殺意が滲み出ている。


 ――――――


 暫くすると、遠くの方から2つの人影がこちらへ近づいてくる。

 どうやら、香織がアイオンと当の伏見の妹を連れてきたようだ。


「紅様、遅れて申し訳ありません。」


 アイオンは申し訳なさそうな顔を浮かべながら、紅の元へと近づく

 その背には伏見の妹と思わしき人物を抱えている。

 香織が地面に簡易的なシートを引くと、アイオンはその上に背中の彼女を降ろす。

 

「紅様、申し上げにくいですが、彼女は…。」


 そう言いながらアイオンが目に向けた、伏見の妹の顔色は青ざめており、息が乱れている…。

 また、彼女の身体からは紫の結晶が身体の肉を裂くように突き出し、彼女の身体を痛めつけている。

 その結晶は一見、香織が暴走していた時の物と差異が無いように見えるが、

 暴走を終えた時に結晶が身体から消え去った香織と違って、彼女はその結晶が身体に残り続けている様だ。


「で、どうなんだ!かすみは助かるのか!?」


 伏見の兄は縋るような眼をしながら紅に問いかける。

 彼の口から妹と思われる彼女の名前がこぼれる所を見るに、余程、彼に余裕が無い事が伺える。

 

「残念だが…手遅れだな。」


 紅は伏見の妹、霞を触診しながらそう呟いた。


「もはやこれの意識はもう、殆ど君の妹と同じものとは言えないだろう…。」

「今や彼女は結晶化を終えて、転化の段階に変わりつつある…。」


 紅は神妙な表情を浮かべながら、そう語る。


「同じものとは言えない?どういう事だ。わかりやすく言え!」


 伏見の兄は声を荒げる。


「そもそも、異邦の欠片が何故人体の病を取り除くのか?」

「それはね、元来これは寄生虫のような物で、病を取り除くのは寄生をする際の副次効果に過ぎないんだよ。」

「宿主の身体から異物を排除した後に、その身体を乗っ取る。」

「彼らにとっては引越し前の家のお掃除みたいなものだよ、まぁありがたいことにね。」


 紅は説明を終えると一呼吸つくと


「で、いい加減真を解放してくれるかな?いい加減我慢できそうにないんだが…。」


 そう言って紅は僕の方を見た後、アイオンに目でサインを送る。

 何か策があるようだ。


「それは認められない。何とかしろ!」

「そもそも寄生虫云々は論文に書いていなかったじゃないか!貴様のせいで俺の妹がこんな事になっているというのに!」

「今になってどうしようもない…?そんな事があってたまるか!」

「何とかしろ!それがお前の役目だろ!さもなくば…わかるだろ?」


 そう言って伏見は僕の首にナイフの刃を押し当てると、薄皮を剥ぐようにナイフをスライドさせる。

 僕は首に熱と不快感が混ざった痛みを感じ、反射的に身体が身動みじろぎする。


「…。そうか、ではお望み通り治してみようか…。」


 紅は伏見兄にそう返すと、彼の妹である霞が息を荒くしながら眠る横に、片肘をつくように座り、彼女の胸に手を当てる。

 すると、霞の身体はみるみるうちに紫色の結晶に包まれていく…。


「さぁ、伏見連。感動のご対面の始まりだ。」


 紅がそう言うと、横たわる彼女の目が見開き、彼女を包んでいた結晶はガラスが割れたように崩れ去る。

 息が乱れた様子も無く、上半身を起こすと、彼女は周囲を見渡すように観察する。


「か、霞!」


 そう言って蓮は僕を拘束している腕を解き、霞と呼ばれる彼の妹の所へ小走りで駆け寄った。

 

 僕は体勢を崩し、膝を地面につけ、刺された脇腹を抑える…。

 すると、突如後ろから何者かに身体をお姫様抱っこの様な形で抱き上げられる。

 何者か確認するため上を見上げると、アイオンの無機質な顔が見える。

 彼女は、僕を一瞥すると、僕を抱えたまま、紅と伏見のいる場所から離れるように走り出す。

 重さ、50数キロの僕を抱えているにもかかわらず、彼女の顔には汗一つすら浮かばない…。

 僕は彼女の腕の上で優しく揺られながら、貧血ゆえか、深い眠りへと誘われた…。


 ――――――


 驚いた。紅が手をかざした後、先程までの苦しい顔が嘘のように、伏見の妹、霞は元気を取り戻していた。

 気づけば私の横にいたアイオンも真の救助に行って居なくなっている。

 本来私も逃げるべきなのだろうが、私は紅と伏見兄妹の行く末が気になって、その場に立ち尽くしていた…。


「霞!良かった…。俺が分かるか!?」

 

 伏見の兄、蓮は霞を抱きながら涙を流す。

 だが、対照的に霞と呼ばれる彼女の顔は、右手の指を頭に当てながら、虫を見るような眼で蓮を観察している。


「貴方は…、兄…人間…、なるほど。」


 彼女はそう呟いて、何か納得したような表情を見せる。


「…?、どうしたんだ霞?」


 蓮は霞の反応に対して、不思議そうな顔をしている。


「ああ、我が兄よ、いえ、おにいちゃん…でしたか。」

「では、さようなら。生まれ変わったら会いましょう。」


 その時、彼女の腕から生えた、紫の結晶が蓮の胸を貫いた。


「な、何故…?」


 彼は虚を突かれた表情のまま、倒れると

 彼の身体の周りを霞同様、紫の結晶が包み始める。


「おっと、それは駄目だ。」


 そう言うと、先程まで静かに様子を伺っていた紅は、

 結晶が包みつつある蓮の身体を

 右手に現出させた直剣で横一文字に斬ると、彼の胴の部分で身体が上下に分かれた。

 噴き出す返り血が紅の顔と、横にいる霞の制服を赤く汚す。

 先程まで息をしていた蓮は、もう完全に物言わぬ躯となっていた。


「残酷な人間ですね…。貴方、お名前は?」


 自分の兄であったものが躯に変わっても、霞は気にも留めない様子で、紅に語り掛ける。


「…名乗る前に、一応聞いておこう。」

「かつて、伏見霞だった者。君の目的は?」


 紅は不敵な笑みを浮かべながら、剣先を彼女へと向ける。

 

「ええ、人類種の淘汰と我らの繁栄…と言った所ですね。」

「是非、貴方のような優秀な母体にも我らの一族になって頂きたく…」

「あ、何なら特別に自我の連続性を担保したまま我らの一族にしてあげても構わないですよ?」


 饒舌に語る彼女は、満面の歪んだ笑顔を浮かべている。

 人類種の淘汰が目的…彼女の言葉は一見矛盾している。

 彼女自身が人間であるはずなのに、人間を淘汰するのは文章として間違っているからだ。

 つまり、彼女は既に人間ではない…。

 伏見霞と言う皮を被った、何か別の生き物なんだろう…。


「それは中々の特別待遇だな…、揺らいでしまうよ。」

 

「しかし、少し足りないかな…?」

「君たちの様な弱小種族風情が、私をスカウトするなら」

「せめて君たちの統治者、いや、文字通り、”神”待遇ぐらいでなくてはな?。」


「まぁ、そういうわけだ。」

「ノータリンの寄生虫風情に、名乗る名は持ち合わせていないんだ、すまないね。」

「次はもう少し上手なセールストークをすることだね。」

「君にはここで死んでもらうとするよ、寄生虫君。」

 

 そう言うと、紅は私の方を見て、首を振って逃げろとジェスチャーした後、

 寄生虫と呼ばれた彼女に向かって直剣で斬りかかった。

 霞の身体をした彼女は、右腕を変形させた結晶の刃でその斬撃を受け止める。

 その様子を見て、まるで私が力を暴走させた時、両腕に纏った結晶と酷似しているな…と、思考に耽ったが、

 彼女たちの打ち鳴らす剣戟の音に、我に返ると

 先程の紅の指示を思い出し、彼女たちに背を向け、この場を後にした…。


 ――――――


「…何故本気を出さないのです?」


 かつて霞だったモノは、先程までのように、剣を交わすことをやめ、距離を取ると

 無機質な笑顔を浮かべながら首を傾げ、紅に尋ねる。 


「私は今、少しイライラしていてね。八つ当たりしたい気分なのだよ。」

「それには周りに人がいては困るのでね…、香織君も避難して、幸い、君の許可も出たことだ。」

「少し本気を出させてもらおうか。」


 そう言うと、紅は眼を閉じ、身体に力を集中させる。

 瞬間、彼女から灼熱のような熱気が放出され、大気が揺らぐ。

 彼女の髪と眼は、元の美しい黒髪黒眼から、徐々に深い紅に染まる…。

 紅は眼をカッと開くと、霞だったモノの懐へ入り、彼女の首を右腕で締め上げ、空に浮かす。


「で、君は逃げなくて良かったのか?」

「返事は要らないよ、では、さようなら。」


 直後、紅い球状の炎が、二人を包み込む。

 その紅い炎で出来た球体は、二人を包んだまま急激な速度で肥大化していく…。


 ――――――


「異常な熱源を感知しました。A棟、大規模フィールド上にて、異常な熱源を感知しました。」


 僕は、アイオンに運ばれて、医務室のベッドで看病されていた中、突如警報が鳴り響く。

 

「至急、全生徒は避難体勢を取ってください。繰り返します。A棟大規模フィールドにて…」


 どうやら、先程まで僕達が居た場所で何かが起こったようだ。

 僕は気になって医務室の窓のカーテンを開くと、そこにはこの世の終わりの様な光景が広がっていた…。

 球状の紅色の炎を纏った物が、地形を抉る様にその範囲を広げていく…。

 木は燃え盛り、川は蒸発し、大地はみるみるうちに砂の様に消し炭になっていく…。

 フィールドを囲うように作られた安全装置の障壁まで達すると、その勢いは一時的に止まった。

 しかし、障壁にヒビが行く様子を見るに、長くはもたない様だが…、しばらくするとその炎は勢いを失い

 その後には、全てを抉った後のクレーターだけが、残されていた…。

 やはりそうだ、このクレーターは以前見た、展望台の時の夢のクレーターと酷似している…。


 僕は、あの夢と紅に繋がりがある事を確信した…。

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