夏が終わるのはいつもあっという間だ。

小高い山に響く風に揺れた木々の喧騒の合間に、ツクツクボウシの声をみつけた。

八月を超え、九月に入ればもう少し気温が下がるかと期待していた自分が馬鹿らしくなるほどに厳しい残暑が続いていた。

沈みかける銀朱の太陽が林の影を縫うように地べたに這わせる。

僕は持っていた虫取り網を肩にかけて山を降り始めた。

山とは名ばかりで、だだっぴろく広がる田園の進んだ先に少しだけ盛り上がって木々が茂る岡という方が近しいだろう。

毎年夏休みが空けてもこうして一月ほどの間は名残惜しく近所の山に虫をつかまえにきていた。

こうして山の麓近くまで数分かけて向かうと、出迎えてきたのは朽ちかけた鳥居だった。

祖母の言うにはもう何十年も昔からある古い神社らしい。

鳥居から少し中へ進めば小さな小さな祠のような本殿と、それを囲むように乱立する竹林がよく見えた。

竹の周りに生える欅や椚、銀杏の密度が高いせいか周りより数段神社の敷地はまるで日がほとんど沈んでしまったかのように暗かった。

今まで何度も来た場所だったかその時は何が違った。

いや、そう思い込んだだけかもしれない。けれど、僕にはそう思えなかった。

そんな暗い中にある本殿の中は更に暗く、扉の内側は木の格子窓の外から覗いてもほとんど見えない。

前来た時は気にしていなかったのだが、どうやらこの建物の四方にはよく見ると縄やら鎖やらの残骸がみてとれた。

子供特有の好奇心も腹の下あたりからせり上ってきたなんとも言えない恐怖心には勝てず、本殿の扉まであと数歩というところで足が止まる。

引き返そうとも考えたが、何故かその古い木でできた建物の奥から目が離せない。

金縛りにでもあったかのように足は棒となり地面に縫い付けられ、瞳孔は上下左右への流れを拒んだ。

一体何がそうさせるのか。

ただ本殿の奥の影が黒黒とした様を捉えるだけだったというのに。

けれど僕はたしかに見た。そっと手を引かれるような瞬間を。

引き込まれる感覚は一瞬だった。


足が地から離れかけたその時、一匹の蝉がすぐそばの木で声を上げた。

あまりにも唐突だったその音に全身を衝撃が駆け巡り、慌ててそちらを振り向いた。

斜め上に伸びる木の太い枝に止まった幹と同じような色のツクツクボウシ。

その真っ黒な大きい目はたしかに僕を捉えていた。

虫に見られるというのも変な話だがそうとしか感じられなかったのだから仕方がない。

少し呼吸が落ち着いた頃、本殿を振り向こうとしたが何故か身体がそれを拒んでいた。

まるで本能的に怯えているように。

僕は気持ちが悪くなり急いでその場を後にした。

少し傾斜がかった道を下り、鳥居のど真ん中を通って元いた道へと出た。

辺りは日が暮れた直後の薄暗闇に包まれていた。


境内に居たのはほんの数分のはずだったのだが、その日の太陽はやけに足が早かったらしい。

家に帰ると母親に泣きながら抱きしめられたことは朧気に覚えている。

子供心に疑問を抱いたのは自分の体内時計と家の時計が丸二周と数刻ズレていることだった。


今でも時々時計を見るとあの日のことを思い出す。

僕の体内時計は未だ、数時間前を指し続けている。

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連歌 鴎博 @remember1954s

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