堕天使、人間界に落ちる

@mo--tomu

第1話

この世には三つの世界が存在する。



天界。現界。下界。

三つの世界にはそれぞれ異なる種族が住んでおり、天界には天使が、現界には人間が、魔界には悪魔が住む。

中でも天界に住む天使にはいくつかの階級があり、最も高位とされているのが上級天使である。

上級天使の主な仕事は、現界に住む人間の魂の回収や輪廻転生の手伝いだ。



俺はその天使の端くれであり、ついこの間まで上級天使だったしがないニートである。







ミーンミーンミーン。

蝉が鳴いている。

滲む汗に顔を顰めながら、体の向きを変えた。

それに伴って、背から生えた黒い翼がフワリと揺れる。

寝そべっていた冷たい床は、自分の体温ですっかりぬるくなってしまっていた。



「あつ…」



呟けばより暑さを感じて嫌気がさした。

普通の社会人なら働いているはずの平日。

蒸し暑い部屋の中に引き篭もり呻いている自分。やるせない。



「あのクソババア…ニートに電気代を使う権利はないとか……俺のこと殺す気だろ…」



こんなに暑い部屋の中、冷房もつけずに窓だけを開けている。空いている窓からは涼しい空気なんて入ってこない。伝わるのはむっとした外の暑さだけである。

取り上げられたエアコンのリモコンが恋しい。

「ニートのくせに電気代を使うな」とリモコンを取り上げたババア(母親)の姿が頭に浮かんでイラッとした。暑さに苦しんでいた時、バン!!と勢いよくドアが開く。



「飛高(ひだか)ッ!!平日の昼間だってのにゴロゴログダグダして!!穀潰しもいい加減にしなさいよぉ!!ハローワーク行って仕事探してきな!!」



噂をすれば何とやら。俺の名を鬼のような顔で呼んでいるのは母親である。顔面をローラーでコロコロしながら乗り込んできた。



「クソババアァァ!!ノックくらいしろ!!」



バカでかい声で叫び返したのにも関わらず、ババアは俺の首根っこを引っ掴み、ズルズルと部屋の外に連れて行った。



「なにすんだババア!!DVっていうんだぞそういうの!!公的権力に訴えられたいのか?!」

「黙んな!!万年反抗期小僧!!」



ギャーギャー喚くものの全く意に介されない。

玄関まで来ると、勢いよく家の外に投げ飛ばされた。



「仕事見つけるまで帰ってくるんじゃないよ!!」



ズシャア!と顔面でスライディングを決めた俺は、「クソババア!鬼!悪魔!」と顔を抑えながら叫んだが、「天使だよ!」と言い捨てられ、ドアを勢いよく閉められてしまった。いや確かに俺たちは天使だけども。そうじゃなくて。



「かわいい息子になんて仕打ちだ…」



炎天下の中、ヨロリと立ち上がる。

通行人の目が痛い。近所に住む主婦たちが、俺のことを見ながらヒソヒソ何ごとか話している。息子を外に投げ捨てるだなんて外聞が悪いにも程があるだろ。もっと世間体を気にして欲しい。往来で這いつくばっていても仕方ないので、しぶしぶ歩き出した。

しゃーねぇ…ハローワークでも行くか。

地面に擦り付けた顔がヒリヒリ痛む。



「行ったところでこの翼じゃ仕事なんか見つからないだろうけど…」



黒い翼を恨みがましく見てから歩き出した。



こんな黒い翼では、天使を名乗ることもできない。

天使といえばみんな、白く美しい翼を持つものだから。








俺だって元々ニートだったわけじゃあない。

むしろ一年前まではニートと真逆のエリートだった。

なんせ上級天使だったし。

上級天使といえば天使の総人口の内3%くらいしかなれない所謂勝ち組だ。

そんな勝ち組になれたのもひとえに俺の優秀さ故だった。

昔からできないことなんてなかったし、どんなことでもなんとなくやってみればそれなりの結果を出せた。

成長してからは自分にはセンスのようなものがあると自覚して、まあまあ努力して上級天使の試験に合格した

両親も兄弟も中級以下の天使だったのに俺だけが上級天使になったのだ。

上級天使なんていつも同じような名家から輩出されるのがほとんどだったので、周りの天使たちは驚いていた。

「自慢の息子さん」だとか「トンビが鷹を産む」だなんて持て囃されて。

調子に乗った俺はもっとチヤホヤされるために勉学や実習に力を入れ、上級天使の通う名門、大天使学校を主席で卒業した。

待っているのは薔薇色の人生。

歴代で最も優秀な天使だと謳われた俺は将来有望なエリートだった。




そう、【だった】のだ。

今や過去形。

だって俺は上級天使としての資格を剥奪されてしまったから。




上級天使の任務。

人間の魂の回収と輪廻転生の手伝い。

その任務の最中に俺は罪を犯し、上級天使としての資格を剥奪された。……らしい。



上級天使としての資格を剥奪されただけではない。

俺は堕天使となった。

今の俺は翼が真っ黒に染まり、いかにも堕天使と言う有様だった。



「堕天使でもできる仕事あるかなあ…」



この翼では何かしらの罪を犯したことは丸わかりである。

黒い翼は前科者の証なのだ。

前まであんなに美しい白い翼をしていたのに、こんな黒い翼になっちまって。

まあこれはこれでカッコいいかもだけど……黒い翼の俺に仕事が見つかる未来が見えない。

これから待っているのはエリートからの転落人生だ。



「クソ〜!仕事で見事出世し、美女と結婚して、かわいい子供と犬とデカい一軒家で幸せに暮らす俺の未来が……お先真っ暗だ!!こんなの嫌すぎる!!」



最早、俺の思い描いていた未来が現実になる可能性なんて著しく低いだろう。

頭を抱えた俺を激しい日差しが照りつける。



「あっつ…」



夏は嫌いだ。外にいるだけで消耗する。段々こんな風に蹲って叫んでる自分がバカみたいに思えてきた。



「あーもう!暗いこと考えんのはやめだ!アイスを買おう!!暑さでネガティブになってるんだきっと!」



頭を振って立ち上がり、拳を握り締める。

向かうはコンビニ。



「おわっ!!?」



コンビニへと歩く途中で急に体が浮き、地面を探した足は空を切った。

感覚としては落とし穴にハマった感じに近い。

驚く俺の視界に入ったのは「ただいま工事中。通行禁止」というヘルメットを被った人間がお辞儀をしている看板だった。考え事をしていて気づかなかった。

俺は見事工事中の穴に落っこちたのである。



「うわあああ!!」



そのまま真っ直ぐ下に落ちていく。

天界の雲でできた地面さえも抜けてさらに下へ。

どんだけ深い穴なんだよこれ!!

天界の下には現界がある。人間たちの住む世界だ。

マズイ。上級天使以外が現界に渡航することは禁止されているのに!!早く戻らないと!!バサっと勢いよく翼を広げたその時、



「痛ぁ?!!」



思いっきり翼をつった。痛みに叫ぶ。

しばらくニートしてて翼広げてなかったからだ!!

毎日ゴロゴロダラダラしていた弊害がここで来た!

頭に浮かぶのは漫画を読みながらジュースだのお菓子だのを口にしてロクに動いていなかった過去。

 


「ウソウソウソ!!ヤバイ!!」



つった痛みでうまく飛べずにそのまま落下していく。

鬼ババア(母親)の顔が走馬灯のように頭をよぎった。走馬灯がババアなの嫌なんだけど?!



「うわあああ?!!!」



すぐ目の前に高い建物があって、ぶつかりそうになる。

現界について学ぶ授業で見たことのある建物だ。たしかビルとかいうやつ。

直前でなんとか翼を動かして直撃を避けた。

無茶苦茶ながらも飛んで近くにあった白い建物の屋上に勢いよく倒れ込んだ。



「し、死ぬかと思った…」



ゼェハァ肩で息をする。ポタポタ冷や汗が地面に落ちた。

本当に焦った…

額の汗を拭ってからスーハー深呼吸をする。



「来ちまったなあ…現界」



呟いて遠い目をした。

これがバレたら天界追放どころじゃすまない。

天使としての資格も取り上げられるかもしれない。

上級天使の資格だけならまだしも天使の資格を取り上げられたらどう生きていけば良いのやら。



「早く天界に帰らないと…」



今ならまだ執行猶予つきで済む。

うっかり工事中の穴に落ちましたってバカの顔で言おう。

だって不可抗力だろこんなの。



「にしてもここどこだろ…何の建物だ?」



なんとか倒れ込んだ白い建物を眺める。

俺がいるのは建物の屋上だった。

辺りを見まわしたところで、屋上の扉からガヤガヤと話し声が聞こえてくる。



ヤバい!人間だ!!姿を見られるとマズイ!!

慌てて塔屋の影に隠れる。



(あ〜!!上級天使だった頃は姿を隠す術なんて簡単に使えたのに!!堕天してから使えなくなったから!いちいち隠れなきゃいけないなんてめんどくせぇ!!早く天界に帰りたいのに!!)



とりあえず人間がいなくなるのを待とうと息を潜める。



「……んだよ…ねよ」

「…ね……ろよ」

「ギャハハ」



少しだけ顔を出して人間たちの様子を伺う。

人間たちは何か楽しげに話していた。

距離があるのでよく聞こえないがあまり良くない雰囲気だ。

集団が一人を取り囲んでいて、蹴ったり突き飛ばしたりしている。

集団に囲まれている一人は弱々しそうな感じの少年だった。

その少年が胸ぐらを掴まれ、バキッという音とともに顔を殴られる。



(う、うわ〜!!喧嘩だ!!人間って野蛮!!)



口元を抑えてドン引きする。

人間は野蛮で攻撃的な生き物だと天界で散々習ったけれど、こうして実際に暴力を目の当たりにするとその凶暴性を実感する。



(関わりたくないわ〜…)



絶対に見つからないようにしようと心に誓う。

殴られ、蹴られ、血を流してズタボロになっていく少年。



(随分と一方的だな。殴り返したりしないのか?)



不思議に思いながら見ていれば、集団の人間たちが帰っていく。手には長方形の紙が何枚か握られていた。人間の顔と数字が書いてある。あの紙切れが欲しくて暴力を振るったのだろうか。人間って意味不明だ。

取り残されたのはズタボロの少年だけである。

屋上に一人伏せっている少年に、早くどっか行ってくんねぇかな、と舌打ちをする。天界に帰りたいんだよこっちは。



(お、)



伏せっていた少年がゆっくりとした動作で立ち上がった。しばらくどこかを見ていたかと思うと、フラフラ歩いていく。向かうのは建物内へ入るための扉ではなく、屋上のふちに設置されたフェンスだった。

少年が屋上にあるフェンスに手をかけて登っていく。手をかけられる度、ガシャガシャとフェンスが音を鳴らした。



(おおお…?)



その光景を首を傾げて眺める。

フェンスなんか登ってどうするんだろう。

人間は天使みたいに飛べるわけでもないのに。

そんなとこ登ったってあるのは地面か空だけだ。

行く場所なんてどこにもない。

やがて少年はフェンスを越えて、屋上のふちに立った。

下を見つめて、俯くその顔にはなんの感情も乗っていなかった。



(何してるんだ?)



考えたのも束の間、トンッと軽い音が鳴った。

少年がフェンスから飛び降りたのだ。思わず目を見開く。



「は?!!」



飛び降りた!!?

落ちていく少年の姿がスローモーションに見える。

なにしてんの?!

意味が分からずポカンと口を開けた。

なんで飛んだ?!だって死ぬじゃん?!

人間には翼がないのに!!

このままじゃ地面に叩きつけられて死んでしまう。

考える間もなく翼を広げた。





ふと、【自由落下運動】という言葉が頭に浮かんだ。

天使には関係のない言葉だ。昔は知りもしなかった言葉。

空を飛ぶ存在には相容れない運動。

どこかで習ったその運動の通りに、下へ下へと少年が落ちていく。翼を精一杯動かして少年の元へと飛んだ。

落下してくる彼を受け止めようと腕を広げた。








「……ッ?!」



地面に叩きつけられる衝撃に備えてか、目を瞑っていた少年が、恐る恐る目を開く。



「わ、あ、あれ?なんで…」



呆けた声が聞こえて、ホッと息を吐いた。

腕の中にある確かな重み。

受け止めた少年の体は、飛べるように軽い質量になっている天使と違って、確かな重みがあった。手を伝わる温もりに安堵する。

少年の心臓は大きな音を立て、鼓動していた。



怖かったんじゃねーか。

なんであんなことしたんだ。



空中に浮いている自身に驚いて目を瞬かせる少年。

その間抜け面にイラッとして大きく息を吸った。




「バカかお前?!!」




少年を抱えて大声を出す。

俺の翼を見て、目を丸くする彼に続けて叫んだ。




「バカバカバカ!!本当にバカ!!いいか?!人間は天使みたいに飛べねぇんだ!!高いところから落ちたら死ぬの!!叩きつけられてめっちゃ痛いまま死ぬの!!分かる?!!」




すごい剣幕で捲し立てた俺を呆然とした様子で見ている。

少年の唇がわなわなと震え、小さく何事かを呟いた。

それから酷く驚いた表情で俺を見上げる。

見ているのは俺の翼だ。



「天使……?」

「あっ!!ヤベッ!!人間に姿見せちまった!!」



大慌てで少年を抱えたまま屋上に戻り、乱暴だけどポイッと少年の身を投げ捨てた。



「ヤバイヤバい」



姿を見られた。

人の前に姿を現すのはルール違反なのに。

こうなったらとっとと逃げようとそのまま天界に向かって飛ぼうとした。



「ん?」



飛ぼうとしたが、その場から動かない。



「あ、あれ??」



もう一度飛ぼうとするが、全くもって体が浮かばない。

異変に気がついて、背中の方を見る。それからサッと青ざめた。



「ない!!!」



いつもあるはずの、それがない。

寂しくなった背中にゾッとする。



「俺の翼がない!!!」



昔は真白く美しく、つい先ほどまでは黒く染まってしまったものの、これはこれでカッコいいかもと思っていた俺のアイデンティティ、天使の象徴、翼が跡形もなく消えていた。



「な、なんで…??」



愕然とする俺の頭の中に、大天使学校の使官の言葉が思い起こされる。







「いいですか、みなさん。上級天使の仕事は人間の魂の回収や輪廻転生の手伝いです。しかし、生きている人間の人生に干渉することは許されません。人間の死や人生の分岐点に干渉し、理を曲げ、本来あるべき人生を変えることは許されません。私たちが干渉できるのは死後の人間のみです。」



生徒の一人が手を挙げる。



「もし生きている人間の人生に干渉したらどうなってしまいますか?」

「最悪の場合、天使ではなくなります。翼を失い、天使としての資格を剥奪され、現界の人間のようになってしまうんです。」









ダラダラと冷や汗をかく。

俺は死ぬはずだった少年を助け、生きている人間の人生に干渉した。だから天使でなくなってしまった。

翼を失った。



「さ、最悪だ!!!」



デカい声を出した俺に少年がギョッとする。

しかしそれどころではない。

最も恐るべき事態が起こってしまった。

翼がなくなったということは、天使としての資格をなくしたということだ。

ウッカリ現界に落ちるだけなら、まだ執行猶予付きの監視処分で済んだ。しかし人間の人生に関与したとなれば話は別だ。もう天使には戻れない。

足から力が抜け、屋上の床に膝をつく。



「終わりだ……」



五体投地の状態になって項垂れた。

上級天使の資格を剥奪されただけでも最悪だったのに、天使としての資格すら剥奪されてしまうなんて。天使の資格がなくなってしまえば、天界に帰ることもできない。

翼のない俺はもはやただの人間。これからは人間として生きる他ない。

そんなの嫌だ!!




「だ、大丈夫ですか……」




エグエグ泣いていたら少年が心配そうに俺のことを覗き込んできた。さっきまで死ぬかもしれなかったくせにもう人の心配をしてやがる。なかなかの根性だ。今更逃げても隠れても意味がないので睨みつけた。



「大丈夫に見えんのかこれが〜?!最悪だわ!!」



この世の終わりと言わんばかりに当たり散らす俺。

俺の睨みが効いたのか、泣いている俺に困ったのかオロオロしてからハンカチが取り出された。

ポンポン優しく涙を拭われる。もう何もする気にならず黙って拭われた。力なく床に伏せっていると、「あの…」と小さい声が降りかかってくる。



「俺たち、どこかで会ったことありませんか?」

「こんな時にナンパしてんじゃねーよ?!!!」




床を勢いよく叩けば、彼はビクリと肩を揺らした。



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