第53話 別れ
「都筑君、この度はご迷惑を」
と言って志喜に頭を下げる羽多。志喜の意識が回復してからもう何度目かの詫びであった。志喜は茅野から聞かされていた。小清水の先導で行った神社にあった、あの呪いの痕跡は、羽多がものだと。
「私は都筑君の周りの女子が憎らしくて、それで高校になったらそんなことが起こらないようにと、ふと思って。ねえ、都筑君、私のこと、気持ち悪いって思うよね?」
「どうして? 思うわけないだろ。誰だってそうだよ。僕だって受験の時、上手くいかなくて成績上がっている人のこと羨ましく思ったよ。僕にはまだそういう気持ちは本当には分からないけれど。っていう優タンは優タンじゃないか。人よりも感情がストレートで、いささか過剰ってくらいなんじゃない? そんな風に今は思えるんだ」
「けど、都筑君が……」
「貴重な体験てことだよ」
「都筑君」
志喜の言葉は羽多を安堵させる。
「同じクラスになれるといいね」
「そうだね。ほのかとも一緒なら優タンも気が楽でしょ」
「う、うん。そうだね」
ぎこちなく同意した羽多に、茅野が荷物を持つよう促す。すっかり距離感が縮まったようである。
それを見てから、
「志喜、ボクのことむかついてだろ、最初」
小清水が話しかけてきた。
「むかつきは……そうだね、してたかも。でも」
「でも?」
「暁って、良いやつだよね」
「まったく……人の胸触っておいて、その反応? ボク初めてなんだけど、男子に胸触られるの」
「それは……ごめん」
「まあ、あの時はボクが倒れるのを助けてくれたわけだし」
「暁」
「ん?」
「君はどうだった?」
抽象的な質問でも、小清水には志喜が問いたいことが分かった。この数日のことだった。
「いい思い出とでも言っておこうか。他にもあるけど、それはボク個人の感想だ。じい様の墓の前でしか話さないものだ。それと」
「ん?」
「前言ったこと覚えてるかい? ちっこい子の祖父様があおゆきをつけて、ボクに合わせた理由っての」
「ああ、東屋で話したことでしょ。覚えてるよ」
「きっと、こういう選択肢もあるってことなんだと思う」
「どういうこと?」
「ボクはクォーターとして生きていく。じゃ、他に選択肢はないのか、もしボクに子孫ができたとして、ボクはどうすればいいのか。いろいろ考えてみろってことだったんだと思うんだ。志喜、君もいたしな」
「そうか」
「ああ。じゃあね、またどこかで」
そう言って振り返りもせず、手を左右に振って改札を抜けて行った。
わずか数日のことにも関わらず、まるでずっとともにいた仲間のような感覚。それが消えていく。
出航し、徐々に遠ざかって行く船の後ろ姿は、そんなやるせない別離を否応なく志喜に感じさせていた。会者定離という言葉が彼の脳裏に浮かんだ。横を見れば、チコとあおゆきが船を見送っている。
――ほのかと優タンには高校に行けば会える。けれど、その三年の後はどうなるだろう。暁は結局携帯電話の番号もメールアドレスも教えてくれなかった。これが、あの姿があの言葉が彼女とした最後のものになるのか? そして、チコとあおゆきさん。僕から言い出したこと。僕が島にいる間だけ、チコが僕に憑いていてもいいと。僕も島を出て行く。その時がチコとあおゆきさんとの……
「ああ、私もお船に乗ってみたいなあ」
志喜の耳にチコのぼつりとしたつぶやきが聞こえた。
「チコ、行くかい?」
志喜はここぞとばかりに勇んで言った。
「いいの?」
チコは破顔一笑を志喜に見せる。
「僕はかまわないよ」
「じゃあ、行……」
というチコを遮ったのはあおゆきの
「それは叶いません」
一言だった。
「でも、」
「僕ならいいだよ。体調へのアプローチもあるし、チコだって……」
寂しげなチコの代わりに、志喜が言ってみるものの、
「いけません。都筑君、もうこの辺りで」
理由を明示せずに、短く答える。しかし、むしろそれが長々とした説明よりも、志喜には、変えがたい別離の瞬間が近づきつつあるのだと実感させた。
志喜の家までは歩いた。彼からの提案だった。せめてこの晴れた日くらいは、歩いて話をして、家路を目指そうと。
その途中である。初めてあおゆきと会った海岸線が見えた。男子の一歩で数メートル先を行った志喜が振り向きざまに、
「あそこで……」
――ジュース飲もうよ
と言いかけたときだった。
振り返った後方には、チコもあおゆきもいなかった。
慌てて志喜は駆け出す。カーフェリー乗り場までを逆走する。
「チコ! あおゆきさーん!」
何度名を呼んだことだろう。
志喜が帰るまではまだ数日あるのだ。だから、
「冗談だよ」
彼は勝手に頭の中で、チコとあおゆきがそんな風に言って、自身が嘆いているようなシミュレーションをした。
――そんな冗談止めてくれよ
けれど、それが現実に起きることはなかった。
チコもあおゆきもどこにもいなかった。返事もなかった。
重い足取りで家に着いた。志喜は目を大きくした。玄関先に置いた柊も竹の簾もそのままだった。
――もしかしたら、先に帰っていたのか?
思いっきり玄関を開ける。置き物化している赤玉もあった。靴を足で脱いだ勢いのまま、客室の障子戸を開けた。寒々とした暗い部屋だった。そこには布団もなかった。
「志喜どうしたの?」
灯りのない部屋で背中から母の声を聞いた。
「母さん、チコは? あおゆきさんは?」
「チコ? なんのこと?」
「そうじゃなくて、チコだよ。遠縁の。それにあおゆきさんて言う友人を泊めていたろ?」
「どうしたの、まだ体調悪いんじゃないの、志喜。親戚にチコって名前の子はいないわよ。それに」
混乱する頭の中で、母から出て来るであろう、次の言葉を志喜は拒否したかった。が、それは対応するには遅かった。
「あなたの友達て、茅野さんとこないだ会っただけでしょ?」
志喜は理解した。してしまった。したくなかったことを。チコの術が切れたのだ。有効期限が終わったのか、チコが術を解いたのかは知れないが、チコとあおゆきがこの家に居られた前提はそこにもうなくなってしまっていた。
「そうだね」
志喜は熱くなる胸と感情を抑え、震える声で言った。
「少し体調が悪いみたい。晩の夢とごっちゃになったのかな」
「そう? 夕飯は食べられそう?」
「うん、大丈夫だよ。部屋に行ってる」
そう言うと、下唇を強く噛み、静かな部屋の戸を閉めた。
あおゆきからもらった香袋がなくなっていたことに気付いたのは数時間後だった。
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