名を織る者、レフィカル

あらた かなた

序章

始まりの夜、黒銀の目覚め

 村が、燃えていた。


 火は屋根を呑み、壁を穿ち、夜の空を朱に染めてゆく。

 神々を祀る岩も、いまやただの黒く焦げた石塊に変わっていた。


 死体が転がる。

 悲鳴が木霊し、逃げ惑う者たちの声が、怒号にかき消されていく。


「殺せ!」

「女は生かせ、使えるぞ!」

「火を回せ! 子どももまとめて焼けッ!」


 怒号。

 笑い声。

 嗤い声。


 その狂騒の中で――。


「アリウス――ッ!!」


 女の叫び声が、焼け落ちる村に響き渡った。


 振り返ることはできなかった。

 アリウスは地に膝をつき、兵に押さえつけられ、顔を土に擦りつけられていた。


「こいつが村の“火継ぎ”か? 壊しとけ。あとが面倒だ」


 ざらりとした声。

 アリウスの瞳に、逆さの炎と青銅の鎌剣が映る。

 火の粉を撒き散らしながら、それは振り上げられた。


「……く、そ……」


 呻くように漏れた声。

 地面の向こう、うつ伏せに倒れた姉の姿が見えた。


 エネア。


 火の織り手であり、村の祈りを司る者。

 幼い頃から、アリウスがただ一人信じていた人。


 その身体はすでに動かず、身にまとった一枚布は乱れ、肌が無防備に晒されていた。


「おい、殺すなって言っただろ」

「暴れたんだよ、このアマが」

「死んだばかりなら問題ねぇよ。まだあったけぇさ……唾つけときゃ入るだろ」


 嘲笑。

 嗤い。

 唾を吐く音。

 足音が、彼女の亡骸に近づいていく。


 アリウスは、歯を噛み締めた。


 喉を鳴らすことすらできない。

 腕も、足も動かない。


 けれど――その目だけが、怒りを宿していた。


「殺してやる……ッ」


 地を噛むように、血の底から搾り出すように、言葉がこぼれた。


 そのときだった。


「――食ってやるッ!!」


 声が重なった。


 それは確かに、自分の喉を通った。

 だが、そこには明らかに“誰か”がいた。

 もう一つの声。

 別の存在。


 アリウスの中で、何かが軋んだ。


 呼吸が歪む。

 視界が揺れる。

 血の流れが逆流するような錯覚。

 熱でも冷気でもない――糸のような神経の震えが、全身を突き抜けていく。


〈お前は、名を失った者。名を奪われた者〉

〈ならば、私の名で縫おう。恐れを喰らい、火を編め〉


 意識の底に、声が這い上がってくる。

 それは、焼けた骨の隙間をすり抜けてくるような囁きだった。


 地に転がるアリウスの首から、黒銀の糸が立ち上がった。


 ひとすじ、ふたすじ。

 空気を裂きながら、まるで生きているかのようにうねる。


「ッ、うあ――な、なんだこいつ――!」


 兵が叫ぶ。

 それが悲鳴になるよりも早く、裂ける音が響いた。


 鉄が砕け、肉が千切れ、骨が叩き割られる。

 何かが起きていた。

 けれど、あまりに速く、誰にも理解は及ばなかった。


 アリウスの瞳は、まだ燃え続ける空を映していた。


 それが、私の“終わり”であり――

 そして、“始まり”だった。

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