第18話 風と水の単離
扉を叩く音が響いたのは、それから一週間後の朝だった。
カイルが戸口を開けると、荷馬車の前に立っていたのは、見覚えのある顔だった。
「ご健勝のようで、何よりです。――お約束の品をお持ちしました」
そこに立っていたのは、整った衣服に身を包んだリアンだった。
「ずいぶん早いな。依頼を出したの、ついこの間だったと思うけど」
思わず漏れたカイルの言葉に、リアンはわずかに微笑んだ。
「必要なものを、必要な時に届けるのが私の役目ですから」
彼の背後の荷馬車には、ずらりと並ぶ木箱の列。中には、丁寧に梱包された素材の数々が収められていた。ネマは箱のひとつを開け、静かに息を呑んだ。
深い群青をたたえた鉱石。揺らぐ水面のような紋様が、光の加減で淡く浮かび上がる。
「そちらは、
リアンが静かに口を開いた。言葉に感情はなく、言葉の選び方には一切の無駄がなかった。
「深海に沈んだ鉱脈から採れる稀少鉱石です。揺らめく紋様は、含有する魔力の流動によるもので、魔力の伝導率が非常に高い。高位の魔導具や薬品の触媒として使われることもあります」
ネマがその説明を聞きながら、慎重に鉱石を手に取った。指先からじんわりと伝わる冷たさと、内側でかすかに脈打つような感覚。
「……これだけ大きな結晶、よく見つかったね」
ネマが感心していると、リアンはこともなげに言った。
「最良の仕事には、最良の素材が必要でしょう?」
ネマとカイルは目を見合わせた。改めて、国王の権力がなんたるかを、まざまざと見せつけられた。その後ろ盾は、心強いと同時に、恐ろしくも感じられた。
⸻
調合台の上に、次々と素材が並べられる。
ネマは錬金ノートで手順と分量を確認しながら、必要な素材を次々と計量していく。
それを眺めながら、いてもたってもいられず、カイルは聞いた。
「な、俺に手伝えることはないか?」
素材が揃い、いよいよ調合が始まるというのに、ただ見ていることしかできないのがもどかしかった。
「ないよ……それに、今日はただの下拵えだし」
ネマは顎に指を当て少し考えたが、やがて、目を細めて口角を上げた。何かを企んだときの顔だった。
「……あ」
カイルは、嫌な予感が背中を走るのを感じ、一歩後ずさった。
⸻
「なんで、いつも、俺は、こんな、役回り、なんだ……!」
一時間後、そこには精製台のハンドルを回し続けるカイルの姿があった。
その回転式の精製台は、両親の錬金器具の一つだった。ハンドルを回すと梃子が効いて中心の容器が数十倍の速度で回る。普通であれば、錬金術師本人が魔力を注ぎ込んで回すことが多いのだが――
「がんばれ、ペース落ちてるよ。一秒に一周のペースだからね」
ネマは本を読みたいと言って、カイルに手回しで精製台を回させた。
「鬼……悪魔……」
ネマはカイルを横目で見て付け加えた。
「じゃあ、あと一時間ね」
「おい、じゃあってなんだよ……じゃあって……」
カイルは息も絶え絶えになりながらも、手は止めなかった。
……。
三十分ほど回しただろうか。
ネマが軽く手を上げると、カイルは息も絶え絶えになりながらハンドルを止めた。
「……終了ですか、錬金術師様」
「お疲れさま。いい感じ」
ネマは回転を終えたガラス容器に衝撃を与えないよう、慎重に確認した。
ネマが様々な素材から調合した元の液体は、はじめは青みがかった乳白色だった。しかし、長時間回転させ続けたことで、中の液体は澄んだ緑色の液体と、外側の青い膜に分離していた。内側の液体は、中央に行けば行くほど緑色が濃くなっている。
ネマはピペットを取り出し、容器の中心部分に差し込むと、ゆっくり液体を吸い上げた。そのまま小瓶に入れ、蓋をすると、液体は気化して緑色の霧になった。
「これは『緑』の素材で、高純度の風元素を含んでる」
続いて、ガラス容器の外側についた膜を、ネマはへらを使って慎重にこそぎ落としていった。まとまった量が取れると、ピンセットでつまんで別の瓶に移す。
「こっちは『青』。高純度の水元素」
ネマは青い膜を全て移し終えると、椅子に座って一息ついた。二つの小瓶には、精製した風元素と水元素が収まり、神秘的な光を湛えていた。
カイルはそれを見て、満足げに言った。
「とりあえず、素材が二つ揃ったわけだな」
カイルが言うと、ネマは首を傾げた。
「全然足りない。あと十回は必要」
「ええ……そんなぁ」
カイルは天を仰いだ。
冗談めかして見せたが、カイルは内心、嬉しかった。前回と違って、ネマに全てを任せるのではなく、自分も一緒に知恵を出し、手を貸して、協力して進められている。
エリクサーの素材も順調に集まり、完成に向かって着実に動き始めた。
――そう、何もかもが、順調に進んでいる。
しかし、心のどこかで、カイルはその順調さに違和感を覚えていた。
不満はない。失敗もない。これ以上ないくらい、うまくいっている。
だからこそ、そのことが却って恐ろしく感じられた。何か重要なことを見落としているのではないかという、漠然とした不安。しかし、いくら考えても、心当たりはない。
(……いや、大丈夫だ。今回は、もう同じことにはならない)
自分にそう言い聞かせて、カイルはひとつ、深く息を吐いた。
瓶の中で、精製された緑の霧が微かに揺れていた。
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