日本映画「ゼロの焦点」1961年・事件を解決するのはあなた自身 V.1.1
@MasatoHiraguri
第1話 第0話 自分に降りかかった災難は先ず自分で解決する努力をしてみる
「ゼロの焦点」1961年 日本映画 原作:松本清張
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%81%AE%E7%84%A6%E7%82%B9#
あらすじ:新婚生活1週間で夫が失踪した新妻は、警察に届け出をする一方、自分自身の脚で関係者を訪ね歩いて面会し、自分の頭で考えて、事件の真相に迫ろうとする。警察のイージー(で見当外れ)な問題解決アルゴリズムは昔から、ということがよくわかります。
警察なんかに任せず・頼らず、自分で納得いくまで考え行動する主人公。
この映画(小説)自体に色々突っ込みどころはあるにせよ、うら若い女性が仕事の合間を縫って東京と金沢を行ったり来たりしながら、事件を解明していく。というよりも、自分が納得のいく答えを見つけるために、冬の能登半島を駆け巡る。
単なる謎解きとか推理を楽しむなんていうことではなく、自分自身に降って湧いた出来事(災難)を、地道に・丹念に解きほぐしていく。警察(やマスコミ)・周囲の人たちの評価や常識・観念に囚われず、自分自身の常識・価値観・ものごとの存在原理というものに対する意識を大切にし、その尺度で追求する。
警察とはコナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」にもあるように、自分たちにとって都合のいい論理や感性でものごとを見て、決めつける。勝手に自分たちでストーリーを作って、その通りになるように証拠や証言をかき集めるという、非常に悪い性情(性質と心情)がある。
警察とは当事者ではないので、哲学度(一生懸命考える)が低い。適当につじつまが合えば、それで問題解決にしてしまおうとするのですが、これが冤罪捏造事件のひとつの大きな精神的土壌になっている。
早い話が、面倒くさいのでさっさと片を付ける・けりを付けて「事件解決」にしてしまいたい。それほど忙しいわけではないにもかかわらず、そういうことをやる習性なのです。なんとなれば、「仕事をやっているフリ」さえしていれば、飯が食えるのですから。四則演算だけで飯が食えるのに、あえて方程式だの関数だ微分積分だのといった面倒くさいアプローチで問題を解析・分析する必要はない、と。
ストーカーに遇ったといって逃げないで、自分の友人・知人に助けを借り、じっくり相手と話し合う。あなたにはヤクザでも自分の兄弟でも、友人・知人でも、味方になる人たちが大勢いるということを、ストーカー氏に知らしめるべきなのです。
警察やマスコミに「頼る」こと」自体が誤っているのです。
これは医者にかかる際も同じであるべきなのです。
第1話 「最後は一人」大学日本拳法の精神・自分で戦う
「最後は一人」(東洋大学日本拳法部OB伊沢次丸氏)の世界です。痛い思いをしながら、現実に目の前の敵と戦い、その結果として勝つも負けるもすべて自分一人の器量と度胸(次第)。
サッカーやバスケと違い、完全なる個人の戦い。試合では、監督やコーチの指示・アドバイスなど、あって無きが如し。
続く
2025年06月30日(月)
V.1.1
平栗雅人
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