こんなの百合って認めない!

千鶴田ルト

第一話 やがて百合になる

 わたしが『それ』を見つけたのは、明日入稿しないといけない原稿の製作をしている金曜日の夜の十一時ごろだった。来週の百合創作イベントで頒布する予定の、百合同人漫画。その作画作業が佳境に入っている。百合を生きがいにしているわたしは、常につぶやき型SNS【Yuritterユリッター】の画面をパソコンのディスプレイで横目で見ながら、手元のタブレットで作画をしている。

 わたしの構築したユリッターのタイムラインは、最新の百合情報や流行の百合ネタから、ニッチな百合ネタまで幅広く流れてくる。何らかの炎上事件が発生するのも珍しいことではない。


 ここで言っている【百合】というのは、もちろん花のことではない。簡単に言えば『女の子同士のイチャイチャ』を表す、百合のことである。その定義は実は難しい。

 今夜、大きなトピックとして話題になっているブルーム(ユリッターの投稿のこと。花を咲かせるという意味から来ている)は、いわゆる『百合の定義』にかかわる内容だった。正直言って、『百合の定義』なんて百合界隈では定期的に流行るものなので、わたしは「またか」と思いながらも目を通していた。その中でたまたま見つけた、あるブルームだった。


『百合の素晴らしさは、恋愛感情にとらわれない自由さにこそある』


 ――はぁ!? 何を言ってるんだ、こいつは。


 わたしの描く百合は、すべて恋愛感情にもとづいている。もちろん、そうじゃない百合作品があるのは承知しているし、それを否定する気はない。しかし、こうも恋愛感情を否定する言い方をされると、頭にくる。

 その発言を拡散、賛同するブルームも次々と流れてきた。

『そうそう、恋愛より美しいのが百合だよね』

『百合の繊細さが理解できない人は可哀想だよな~』

『わかる。何でもかんでも恋愛感情に結びつけるのは無粋』

 もはや、黙ってはいられない。バズり元の発言者を確認する。ハンドルネームは、【ユリノキ】。わたしは知らなかったけど、百合界隈のフォロワーも多く、どうやら大学で百合の研究(百合の研究?)をしている人みたいだ。

 そんな人の発言だからこそ、拡散力もあるのだろう。わたしは原稿を放り出して、ユリノキの発言に対して反論のブルームを書いていた。

『恋愛がなかったら、それは友情ではないの?』

 すると、すぐに返信が来た。

『百合は、恋愛とも友情とも言えない特別なものがある』

 わたしはさらに返す。

『それって具体的には何?』

『具体的な言葉はない。曖昧さを孕んだ特別な感情。でも、恋愛だけではないのは確か』

『それじゃ答えになってない。必ずしも恋愛が必要なわけじゃないけど、恋愛を無視することはできない』

 わたしたちの議論は加速し、他のユーザーも巻き込んでトレンドにまでなった。ただ、言葉はキツかったかもしれないが暴言にはならないようにだけは気をつけた。頭に血が上っても、越えてはいけないラインがある。でも、SNSは魔境だ。『恋愛派』の中にもわたしと反する意見が出てくることもある。

『恋愛がなかったら何が百合なの?』

『いや、恋愛なんだったら異性愛でも同じじゃないの』

『異性愛者が同性を好きになるのが尊いんじゃん』

『同性愛者差別やめろ』

『女が二人いるだけで百合認定するのは駄目』

『人それぞれでいいじゃん』

『じゃあ人の意見を否定するなよ』

 もはや派閥などを越えて、誰と誰が争っているのかすら分からない。自分と同じ意見にさえ第一印象で否定する者まで現れ、タイムラインはパニック状態になってしまった。

 一晩中さまざまな意見が飛び交い、空が白み始める頃にユリノキからわたし個人宛にDMダイレクトメッセージが届いた。

『一度会って話しませんか?』

『いいですよ。今日は土曜日なので――』

 そこまで書いて、同人誌の原稿の締め切りが土曜日の午前十一時であることを思い出した。

「しまったぁぁぁー!」

 叫び声は、虚しく朝焼けの空に消えていった。


 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆


 死ぬ気で原稿を終わらせ、そのまま徹夜明けの状態で、午後一時約束した場所の都内某ファミレスに向かった。

「いやー、まさか茜音あかねがユリッターでこんなことになってるとはね」

 わたしは、大学で同じコースを専攻している友人の麻衣まいを連れてきた。相手は初めて会う人だし、何よりわたし自身が怒りで我を忘れないとも限らないと思い、付き添いを依頼したのだ。彼女も百合好き仲間であり、イラストを描くことを得意としているため話も合う。

「来てくれてありがとう。わたしが暴走しそうになったら止めて欲しいんだ。冷静に議論できないかもしれないから……」

「そんなに? どうしてそこまで、【ユリノキ】が気に入らないの?」

「……分からない。でも、あの人と話してると頭がカッとなっちゃうの」


 わたしたちは、ファミレスに入った。店内を見渡すと、こちらと目が合った女性の二人組がいた。

 その片方、眼鏡をかけている方。こっちが、おそらくユリノキだ。歩いて近づくと、二人も席を立った。彼女は眼鏡の奥から冷たい視線でわたしを見据えた。

 茶系のタートルネックニットにカーディガンを羽織り、ひざ下丈のギャザースカート。頭にはベレー帽なんか被っちゃって、文学少女気取りだろうか。身長はわたしよりも少し低く、年下に見える。わたしは一六三センチあるので高い方ではあるが。

「初めまして。【AKANE】さんですね? ユリノキです」

 向こうも、見ただけでわたしがAKANE(本名をアルファベットにしただけのハンドルネームを使用している)だと分かったらしい。

「はい、わたしがAKANEです。初めまして。会えて嬉しいです」

 ユリノキの眉がピクリと動いた。皮肉が気に障ったのだろうか。

「アカネさんは本名ですか? 私は白桜しろざくら女子大学三年、藤井ふじい悠乃ゆのです。どっちで呼んでもいいですよ」

 大学三年ということは、わたしより一つ年上だったのか。実はオフ会はそんなに慣れていないので、本名で呼んでいいならそうさせてもらおう。

「それじゃあ、悠乃さんと呼ばせてもらいますね。わたしは青波あおなみ女子大学二年の、宮下みやした茜音あかね

 そしてお互い、付き添いの友人も紹介し合った。向こうの付き添いは奈緒なおさんという人で、悠乃さんのゼミ仲間ならしい。主に百合関連のウェブ記事を書く、ライターをすることもあるそうだ。悠乃さんよりもさらに小柄で、柔和な雰囲気の可愛らしい人だ。

 自己紹介も終わり、悠乃さんが声を張り上げた。

「さて、では早速本題に入りましょう」

 仕切り始めた。年上だからって、偉そうに。何故か、この人を見てると心が落ち着かないんだ。

「これを見てもらえますか?」

 悠乃さんが、バッグから紙の束を取り出した。十枚以上はある。A4サイズの紙に、どうやら一枚あたり二ページ分ずつ印刷したもののようだ。

「私の書いた論文です。アカネさんの意見を聞いてみたいです」

「論文……ですか?」

 タイトルは、『対人感情の三軸マッピングに基づく百合作品の感情傾向分析――感情の種類・強度による構造的分類』

 うーん、何を言ってるのか分からない。わたしは、論文なんて一度も読んだことがない。ただでさえ寝不足でぼんやりしている脳みそだったので、注文したアイスコーヒーを流し込み頭をすっきりさせた。

「概要を簡単に説明しますね。三軸マッピングというのは対人感情を分類する手法のひとつで、感情の種類を二軸でマッピングし、さらに強度を層別します。百合作品に登場する感情をマッピングして、傾向を分析するのがこの論文のねらいです」

 悠乃さんは、わたしでも分かるように説明してくれた。

「収集したのは、ここ十年間の代表的な百合作品三十作。感情の肯定的か否定的かと、心理的距離が近いか遠いかの二軸。強度は弱・中・強の三段階で表します」

「……なるほど」

 説明を聞きながら、論文をペラペラとめくってみた。作品ごとに、どのシーンをもとに判断したかを記載したところがある。知っているタイトルも多く出てきたので少し読んでみた。すると、目に入ったある記載が気になった。


「ん……? これって」

 論文の気になったところに目を留め、わたしは思わず口にした。

「どうかしましたか?」

「ここなんだけど……」

 『キミの隣に咲く花』という漫画のフレーズを引用した部分。

「論文では『私は、あなたのおかげで強くなれたんだよ』と書いてありますが、実際には『あなたのおかげで、私は強くなれたんだよ』のはずですよ」

 ちょうどわたしもその本を持っていたので、スマホで電子書籍を開いて見せた。

「……本当ですね。よく分かりましたね。ご指摘ありがとうございます」

「引用のミスなんて、論文としてどうなんですか」

 わたしは、ミスを見つけたのが嬉しくて、ちょっと得意気に責め立てた。

「その点は申し訳ないです。でも分析の過程には影響ないレベルだと思うので、気にせず読み進めて……」

 その言葉に、またカチンと来た。

「気にせずってどういうことですか? 好きな作品が、誤った意図で解釈されるかもしれないのを放っておけと? そんなんで本当に適切に分析できるんですか?」

 声を張り上げてしまったが、悠乃さんは冷静に答えた。

「指摘はありがたいですが、私が頂きたかったのは研究の趣旨であるマッピングの妥当性についての意見です」

「マッピング以前に、解釈が誤っていたら意味がないでしょう。この部分は、作品のテーマに関わる重要なセリフですよ。『私は』が先だと、『私』つまりユリカを主語にする感じになるけど、『あなたのおかげで』が先に来ることで、『あなた』つまりカエデを大切に思ってることが表現されてるんです。こんなやり方じゃ、構造ありきの分析になってしまいませんか?」

「三軸マッピングは過去の研究例もありますし、実績のある分析方法です。ですが、そういう意見も面白いですね。セリフやシーンの重要性も考慮して分析する方法もあるかもしれません」

 わたしは立ち上がり、悠乃さんの肩に掴みかかった。

「わたしは、自分が好きな作品をそんなふうに適当に扱われるのが我慢ならないの!」

 見ていた麻衣が、慌てて止めに入った。

「茜音! ちょっとやめなよ、暴力はダメだよ!」

「適当なんかじゃない!」

 悠乃さんが、初めて感情を露わにした。

「私は百合が好きで、研究対象にしてるの! そんなことを言われる筋合いはありません!」

 わたしも止まれなかった。

「百合から恋愛を排除しようとしたクセに!」

「あなたこそ、百合の可能性を狭めてる!」

 麻衣と奈緒さんが、互いに腕や肩を掴み合うわたしと悠乃さんを引き離そうとする。

「離れなさい茜音!」

「悠乃ちゃん、落ち着いて!」

 悠乃さんの顔が近い。白い肌に、さらりと映える黒髪。幼く見える顔立ちだが、眼鏡の奥の瞳には芯の強さがうかがえる。わたしを射抜くように視線を向ける表情が、やけに美しく思えた。

 ――本当に真剣に研究してるんだ。


 ……と、そのとき。

 わたしを掴んでいた麻衣の手が滑り、開放されたわたしは勢いよく前のめりになった。顔と顔が近づき、悠乃さんとぶつかってしまった。――唇同士が。

「えっ」

「ウソ……」

 麻衣と奈緒さんが、目を丸くしてつぶやいた。

 瞬間、わたしたちはお互いに離れ合って距離を取った。

「な、何するの……っ! 信じられない!」

 悠乃さんは顔を真っ赤にしてわたしを非難する。

「違うっ……! 今のは事故だから!」

 わたしも、何が起こったのか分からず混乱している。顔が熱い。何度も擦ったけど、唇にまだ感覚が残っているようでフワフワする。

「ワケ分かんないっ……! どうしてこんな……」

 わたしは、この状況でどうしたらいいか分からなくなってしまった。咄嗟にバッグを取って、思わずその場から走り去った。

 睡魔。興奮。混乱。怒り。様々な感情が混ざり合い、何度も転びそうになりながら家に帰った。


 自分の部屋に入るないなや、ベッドにダイブした。

 枕に顔をうずめ、勝手にさっきの唇の感触を思い起こそうとする頭をぶんぶん振って忘れようとした。

「うあああああああ!」

 悠乃さんの顔が浮かんでは消える。鋭い目つき。サラリと流れる黒髪。薄くキリッとした眉。大きく輝く瞳。自信に満ちた口元。そして柔らかい……。

「違う! 違う違う違う!」

 わたしは絞り出すように叫んでいた。

「こんなの……百合って認めない!」

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