文明崩壊後の世界で生きていくことになりました
@CoreKun472256
凍てついた朝に
青空が広がっている。
それは、ユウリが最後に見た記憶の欠片と、目覚めた現実を繋ぐ唯一の共通点だった。
◇
栄華を誇った文明社会は崩壊した。
20XX年、人類の大半は「ケラテリア」と名付けられた未知のウイルスによって命を奪われた。
発症から僅か数時間で神経組織を侵し、高確率で死に至らせるそれは、わずか数ヶ月で地球全土に拡散。
かつてのグローバルネットワークが、皮肉にも最大の感染経路となった。
各国政府は混乱の末、感染者の強制排除を命令。疑いのある者は拘束され、都市ごと隔離される事例も相次いだ。
人類生存のための選別が、倫理よりも優先されていた。
やがて政体は崩壊し、物流は断たれ、国家は名ばかりとなった。
残された少数の人々は、感染経路からの隔絶を最優先し、地下深くの避難構造体――地底都市や冷却区画へと移動した。
あるいは、大気循環を自動制御する旧軍用設備や、研究都市に併設された自立型ドームバンカーへ。
それらは本来、放射性災害や戦争を想定して設計されたものであり、ウイルスを完全に遮断できる残された唯一の安全地帯だった。
だが、そこにも限界はあった。物資は尽き、絶望が蔓延した。
──人類という種を途絶えさせるわけにはいかない。
そう判断した者たちが選んだのは、「冷凍保存」という手段だった。
遺伝子の保護、将来的な文明再建、倫理の再出発……名目はいくつかあったが、最終的に施されたのは選別だった。
知識・肉体・精神、あらゆる面で適合とされた男女複数名だけが、冷たい眠りにつくことを許された。
サトウ・ユウリ
「っ……か゛……は……!」
喉が焼けるように乾いていた。全身に貼りついた何かが剥がれる感覚。目蓋が重く、吐き気と寒気が交互に押し寄せる。
「……生体活動、再起動……」
耳元で微かに聞こえるのは、かつて聞き慣れたAI音声――《エノア》。だが音質はひどく劣化しており、スピーカー自体が限界なのは明らかだった。
ユウリは、ゆっくりと目を開けた。
薄暗く、湿気を帯びた空気。表示板は苔に覆われていた。酸素供給装置は無残に壊れ、床に散乱する配線と凍結したカプセル……それは、確かに他の冷凍保存者たちのものだった。
だが、その全てが停止していた。
「……他の、奴らは?」
彼はふらつく足取りでカプセルを一つひとつ確認した。誰も目を覚まさない。
ディスプレイに残された生体反応喪失という文字列が、次々に目に飛び込んでくる。
「なんで……俺だけ……」
問いは宙に溶け、返事はない。
《エノア》は回線の奥で断続的にノイズを吐くだけだった。
理解するのに、時間はかからなかった。
自分以外は全員、死んでいた。
カプセルの機能障害なのか、ウイルスの侵入か、電源の枯渇か――原因は特定できない。
ただ、自分ひとりだけがこの地獄に置き去りにされたのだという事実だけが、異様な静けさの中で明確に残っていた。
膝が崩れた。背中がカプセルの縁にぶつかり、乾いた音を立てる。
「……ふざけんなよ……」
呟きとも嗚咽ともつかない声と同時に思いっきり地面を蹴りつける。
心の奥に沈んでいた恐怖が、じわじわと浮かび上がってくる。
なぜ俺だけが助かったのかという不気味な違和感と、自分以外誰もいないという絶望。
「……誰か、いてくれ……この世界に、まだ……」
すでに人類が死滅している可能性のほうが高い。
けれど――それでも。
◇
施設を出るには、少しばかり勇気が要った。
外の空気は、重たかった。酸素はある。
生き物の気配もある。
けれど、それはかつての世界の空気ではなかった。
ユウリはかつて科学者だった。
大学では生体機械融合の研究をし、冷凍保存計画の末端にも関わっていた。
だが、彼の知識はあの時点の世界でしか通用しない。
外に出て、まず目に入ったのは――草に呑まれた都市の残骸だった。
高層ビルの骨格、折れた送電塔、コンクリートの割れ目から咲く黄色い花。
鳥の姿はなく、代わりに奇妙な羽音だけが木々の隙間から響いていた。
歩き出してすぐ、瓦礫の隙間から何かが這い出してくる音がした。
「ギィ……ギギギ……」
低く濁った声。人間ではない。
現れたのは、異形の生物だった。
それは四肢を引きずるようにして移動し、体表には金属のような殻が張り付いている。
目の代わりに光る器官が二対。
牙を剥き出しにしながら、ユウリに向かって這い寄ってくる。
《ウイルス変異体:第四世代、推定ケラ・ベクター種。回避を推奨──》
ヘッドセットに残っていた《エノア》の警告。
だがユウリの脚はすぐには動かない。
足元の瓦礫に滑り、腰を落としたその時――
「こっち!」
少女の声だった。
誰かの手が、彼の腕を引いた。
◇
その後の数分間を、ユウリは覚えていない。
ただ、手を引いて走った小さな背中と、かすれた声だけが、脳裏に焼き付いていた。
暗がりの廃ビルの中に身を隠し、息を潜めて数十分。ようやくあれは立ち去ったらしい。
ユウリがようやく顔を上げたとき、少女は無言でこちらを見ていた。
褐色の肌。汚れた肩掛け布。三つ編みにした髪。年齢は、見たところ十四、五歳――にも見える。
そして何より目を引いたのは、彼女の背中に括りつけられたライフルだった。
布で丁寧にくるまれているものの、銃口の形状や古びたグリップが露出している。
ユウリは思わず口を開いた。
「それは……銃か? それ持ってるってことは……撃てるのか?」
少女は一瞬だけ視線を寄越した。だが警戒の色は変わらず、そっけなく答える。
「撃てるよ。撃たないと、生き残れないから」
「……弾、手に入るのか?」
「自分で作る。たまに、交換する。拾うこともある」
「……マジかよ」
ユウリは内心で呟いた。
銃なんて映画の中の道具だった。触ったこともなければ、本物を見る機会すらなかった。
それを、目の前の少女は当たり前のように扱っている。
この世界では、それが日常なのか――。
「……助けた理由を聞いてもいいか?」
ユウリが問うと、少女は肩をすくめた。
「理由なんて、ないよ。ただ――死にそうだったから」
「ふぅん」
ユウリは軽く笑った。だが目は笑っていない。
「こんな世界で、見ず知らずの人間を助ける奴がいるとは思わなかっただけさ。君が異常なのか、俺が疑り深すぎるのか……」
少女は言葉を返さなかった。
ただ少しだけ視線を動かし、ユウリの足元にある破れかけた小さなバッグ――冷凍保存者に与えられた、個人識別パック――をちらりと見た。
その一瞬に、ユウリは気づいた。彼女は何かを知っている。
この世界に目覚めた自分のことを、まったく知らないわけではない。
だが彼女は、それを隠している。
「君の名前は?」
「ノア」
「どうせ本名じゃないんだろう?」
少女――ノアは、わずかに目を細めたが、否定はしなかった。
ユウリは少しだけ間を置き、自分の胸元に残された識別タグを一瞥しながら口を開いた。
「俺はユウリ。サトウ・ユウリ。一応、これが本名だ」
ノアは返事をしなかった。ただ視線をほんの一瞬、彼の首元のタグに落としたように見えた。
会話は、そこで途切れた。乾いた風が、廃墟の隙間を通り抜ける音だけが残る。
だが、不思議と気まずさはなかった。
誰かと交わす言葉が、こんなにも重くて、温かいものだったとは――。
◇
それからしばらくして。
ノアは小さな焚き火を起こし、干し肉のような何かを炙っていた。煙は外に漏れぬよう、瓦礫の隙間に布をかぶせて押さえてある。生存に対する手際の良さが、静かに生き延びてきた時間を物語っていた。
「……この辺には、ほとんど人はいないのか?」
ユウリが問いかけると、ノアは小さく首を振った。
「人間ならいる。だけど、近づかない方がいい」
「どうして?」
「誰も、信じてないから。誰も、赦してないから。……そういう世界だから」
その言葉が、どこか切なかった。それはまるで、彼女自身の過去を語っているようでもあった。
ユウリは自分のバッグを開き、内部に残されたデバイスのひとつを手に取った。かつて彼の手で設計された簡易診断機能付きの医療パッチ。もう使える保証はないが、それでも唯一の文明の残滓だった。
ノアは、それを見ていた。
ただじっと。まるで何かを確認するように。
「ねえ」
唐突にノアが口を開く。
「ユウリは、これからどうするの?」
ユウリは少し考えてから、答えた。
「……安住の地を探すよ。名前も場所も知らないけど、必ずどこかにある。そう、信じたい」
「安住の地……」
ノアはそれを繰り返し、小さく笑った。
「そんなもの、あるわけないってみんな言うよ。でも、それを目指す人は、確かにいた」
「それは……ノアも?」
ノアは答えなかった。
ただ、視線を焚き火に落としたまま、囁くように言った。
「……旅をしてるとね、よく空を見る。
夜になると、空の向こうに昔の世界があるんじゃないかって、思える時がある」
「星ってやつだな」
「うん。私、あんまり知らないけど」
焚き火の炎がゆらゆらと揺れていた。
ユウリは、身体の奥にようやく熱を感じ始めていた。
ここにきて初めて、自分は一人ではないのかもしれないと思った。
だがそのとき――
背後の薄暗がりから、小さなノイズが聞こえた。
ギ……ギリ……ギィ……
ユウリが振り返ったその瞬間、ノアの表情が変わった。
迷いのない動作でライフルを構え、彼を背にして立ちはだかる。
「まだ、追ってきてる」
「さっきの生物か……?」
ノアは答えず、照準を合わせたまま言った。
「話は、後。ここから少し歩けば、道に出られる。案内する」
「……案内?」
「放っておいたら、ユウリ、すぐ死ぬから」
乾いた言葉に、わずかな優しさがにじんでいた。
ユウリは問いを飲み込む。きっと今は、それが最善なのだろう。
瓦礫の隙間に再び響く、異形の気配。
ユウリは立ち上がり、少女の背を追うように歩き出した。
薄暗い世界。滅びの残骸。
だがその奥に、確かに微かな熱が灯っているような気がしていた。
そうしてふたりの旅は、静かに始まった。
それは、奇妙な旅の始まりだった。
ノアの言った道は、文字通りの意味ではなかった。
かつて高速道路だったらしいコンクリートの遺構は、崩落と隆起を繰り返し、草木と鉄屑に覆われていた。空を見上げれば電線は垂れ下がり、通信塔は傾き、廃車の骨組みが風化して骨のように残っている。
「……本当にこれを道って呼ぶのか?」
後ろを歩くユウリがぼやく。
ノアは前を向いたまま答えた。
「ここしか、生きて通れる場所がないから。道って呼ぶだけ」
振り返らずに言い切るその口調には、変な説得力があった。
ユウリは一歩遅れて歩きながら、草をかき分けるノアの背中を見つめた。
少女の歩みには迷いがない。恐怖もためらいもない。ただ黙々と、着実に前へと進んでいく。
まるで、あらかじめ知っていたかのように。
(この子……どこまで知ってるんだ)
疑念はある。
けれど、この世界では答えを急ぐことが、必ずしも正解とは限らない。
それは冷たく沈んだカプセルの中で、ユウリ自身が身に刻んだ教訓だった。
◇
進み続けるうちに、瓦礫の合間に残骸が見え始めた。
倒壊したビルの入口。剥き出しの配線。半壊した自動販売機。
何よりも異様だったのは、建物の壁にびっしりと貼られた奇妙な模様――。
「……これ、何だ?」
ユウリが指差すと、ノアは一瞥して言った。
「信仰の印だよ。旧知識の」
「旧知識……」
「前の時代の武器とか、技術とか。そういうのを「リマナス」として崇めてる人たちがいる」
ノアはそこで立ち止まると、壁に刻まれた記号の一つに手を触れた。
それはどこかで見覚えのある――そう、ユウリがかつて設計した「自動補給ユニット」の旧ロゴだった。
「……これも、崇めてるのか?」
「それで生きてる人もいる。支配してる人もいる」
ノアの声には、どこか乾いた諦念がにじんでいた。
まるで、それがこの世界の当たり前だと言わんばかりに。
ユウリはその場でしばらく記号を見つめ、そして自分の足元を見る。
草の合間に埋もれた金属の破片。ねじれた銃身。泥に埋まったカメラの残骸。
どれも、かつて彼の知っていた文明だった。
彼が「便利だ」「進歩だ」と思っていたものたちの末路だった。
「……どうして、こうなったんだろうな」
思わず漏れた独白に、ノアはわずかに振り返った。
「ユウリは……昔の世界にいたんだよね?」
「……どうして、そう思う?」
ノアはすぐには答えなかった。
その代わりに、ふと焚き火の炎を見つめながら言った。
「夢で見た。……そんな気がしただけ」
そう言うには、あまりに確信めいていた。
ユウリはその言葉に引っかかりを覚えながらも、深くは追及しなかった。
今はまだ、問いの時ではない気がしたのだ。
ただ一度、小さくうなずいて、また歩き出した。
◇
やがて、一行は小高い丘の上に出た。
都市の境界。視界の先には、朽ちかけた巨大な鉄塔と、その足元に広がる奇妙な建造物が見える。
遠くに見えたのは、朽ちた鉄塔の周囲にいくつかのテントや構造物が密集した一帯だった。
「……ここは集落か?」
「違う。今は誰も住んでない。この場所は分かりやすいから目印にしてる。」
ノアはそう言って、草を踏みしめながら進んでいく。
丘の上は風が強く、遠くから鳴き声のような音がかすかに聞こえてきた。
「ケラベクターが……また近くにいる」
ノアが目を細める。ユウリも思わず辺りを見渡した。
変異体。ウイルスの進化が生み出した生物兵器のような存在。
未だに活動していること自体が異常で、同時に人類の敗北を証明する存在。
その時、風に乗って何かが届いた。
かすかな通信音のような、あるいは信号音のような、耳鳴りに近い響き。
ユウリはハッとして、自身の体に装着されていたヘッドセットを触った。
《……ユウ……リ……反応……確……認……》
それは――旧時代のAIネットワークの残響だった。
「……聞こえたか?」
「? 何か聞こえた?」
ノアが首を傾げ、少しだけ表情を曇らせた。
その顔には、ごく短い間だけ――ほんのわずかに戸惑いが浮かんでいた。
「いや……気のせいだったかもしれない」
ユウリはヘッドセットを外しながら、胸の奥にざらりとした感覚を覚えた。
この感覚には、覚えがある。
冷凍保存から目覚めた直後、あの無人の管制室でも、似たような気配を感じていた。
まるで、この世界のどこかが、密かに――それも執拗に、自分を見ているような。
「なあ、ノア。お前、本当は――」
その言葉を言いかけた瞬間だった。
「――伏せて!」
ノアが叫ぶと同時に、至近の瓦礫が爆ぜる。
鋭い爪のようなものがユウリの頭上をかすめ、鉄筋が折れる音と共に何かが飛び込んできた。
「ケラベクター!」
ノアが叫び、ライフルを構える。
ユウリは背を低くして身を伏せながら、初めて目の前でそれと対峙することになる。
――全身を覆う甲殻。人間の骨格と類似した四肢。だが目はない。皮膚は崩れ、ウイルス由来の異常増殖が生物の限界を超えていた。
「狙う……」
ノアが息を殺し、引き金を絞る。
一発、乾いた銃声が響く。
獣は叫び、だが死なない。怒りを含んだ咆哮が周囲の空気を揺らす。
「ユウリ、こっち!」
ノアが手を伸ばす。
またしても、彼女の手がユウリを引いた。
繰り返される逃走。
だが、今は――その中で、何かが自分の中で軋きしんでいた。
また逃げている。何もできず、誰かに助けられて。
それが当然だった。目覚めたばかりで、何も知らない。何もできない。
……なのに。
(それでも……このままでいいのか?)
足元の土を蹴りながら、ユウリは思った。この世界で、自分は何者なんだろうと。
◇
朝焼けに染まる空の下、ふたりはまた歩き始める。
瓦礫の隙間から風が吹き抜ける。静まり返った都市の中に、かすかな温もりが差し込み始めていた。
その背に映るのは、夜の終わり――そして、本当の始まりの気配だった。
──この世界はまだ、終わっていない。
【研究資料】
ケラテリア:20XX年に発生した、人類文明を崩壊させた未知のウイルス。
感染後数時間で神経を侵し、極めて高確率で死に至る。空気・水・接触を通じて爆発的に拡散し、治療法も対策もないまま広がった。
当時の各国政府は感染者を処理対象と見なし、都市封鎖や強制排除、焼却粛清を行った。
現在、空気中からはほぼ消失しているが、汚染区域レッドゾーンでは今も致命的な危険が残る。
そのため、300年経った現在でも多くの旅人はマスクと検知器を手放せない。
文明崩壊後の世界で生きていくことになりました @CoreKun472256
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