透明色のコントラスト

叶けい

第一話 賑やかで淋しい夏の夜

1.夏祭り

―響也―

潮の匂いを含んだ風が、汗ばんだ肌を撫でる。


波打つ提灯の明かりに誘われるように神社の境内へ足を踏み入れると、色とりどり賑やかな屋台が軒を連ねていた。


「夏祭りに来るなんて久しぶりだね」

団扇で顔を仰ぎながら隣を歩く幼馴染、手嶋てじま一樹いつきに話しかける。

「中学生以来かな」

「そうだね、懐かし……あ」

見て、と一樹が屋台の一つを指差す。

「わたがし、よく半分こして食べたよね」

「確かに。甘い物好きだったもんね、いっちゃん」

幼い頃の呼び名が自然と口をついて出る。

「あ。あのキャラクター、子どもに人気あるんじゃないの?」

わたがしの入った袋の一つを指さす。うさぎかクマに見える、白い動物のキャラクターの絵がプリントされている物だ。

優衣ゆいちゃんにお土産とか、どう?」

「いやあ、虫歯になるって真奈美まなみに怒られるよ。それにほら、今日は二人とも真奈美の実家に帰ってるからいないし」

「そっか。そうでした」

わたがしの屋台を通り過ぎる。暑いなあ、と呟きながらタンクトップの胸元を引っ張ってみた。上に薄手のシャツを羽織ってきたけれど、もう脱いでしまいたい。

「優衣ちゃん、大きくなった?」

「一歳過ぎたからね、ママって言えるようになったんだよ。次はパパって言ってくれるのを待ってるんだけど、なかなかね」

「そっかあ。楽しみだね」

緩く微笑む。幸せそうな一樹の表情に、やんわり胸を締め付けられるような心地がする。

前から歩いてきた若者の集団にぶつかりそうになり、慌てて避けた。オレンジやらピンクやら、随分目立つ髪の色をしている。いずれも知らない顔だった。


人口千人程度しかいないこの島では、ほとんどの人間が顔見知りだ。しかし毎年この時期だけは、近隣の島や本土から遊びに来る人が増える。普段は静かな島の密度が、急に濃くなったように感じられる。


「今の高校生、すごい髪だったねえ」

背後を振り返りながら一樹が笑う。

「夏休みだから弾けちゃったのかな」

「ね。若いっていいね」

何気にこぼした俺の一言に、一樹が苦笑する。

「自分だって若いくせに、何言ってるの」

「いやいや。これでも年明けたら三十だよ?俺」

「でも俺よりは若いじゃん」

「それを言われちゃうとなあ……」

「でしょ?」

あつー、と団扇を扇ぐ、一樹の薬指にはまった指輪が目に留まる。

まだ新品同様に綺麗だが、しっかりと彼の手に馴染んで見えた。

「……いっちゃん、俺の歳にはもう結婚してたっけ」

「そうだね。なに響也、結婚願望あるの」

「ないない」

笑って首を横に振る。

「彼女もいないのに、そんな事考えてないよ」

「でも結婚するのも良いと思うよ。店だって、一人で切り盛りしてくの大変でしょ?」

「んー……」

俺は港の近くで、小さな和食の店を経営している。今日はお盆休みと称して臨時休業にして来たが、普段は週に一回の休業日以外、ずっと一人で店に立っている。

「まあ、そんなに大変じゃないよ。狭い店だし」

「そう?というか俺、響也に彼女出来たとか聞いた事が無い気がするんだけど」

「そうだっけ……」

少しだけ迷ってから、いたよ、と笑ってみせる。

「東京の専門学校行ってた時、一人だけね。すぐ別れちゃったんだけどさ」

「一人だけ?響也、モテたんじゃないの」

「そんな事ないよ。いっちゃん買い被りすぎ」

「せっかく東京にいたんだから、もっと遊べば良かったのに。髪も思い切り染めたりとかさ」

「さっきの高校生みたいに?俺がそんな事してるの、想像できないでしょ」

「確かに。響也は真面目だもんな」

「父親がお堅いからね。ばあちゃんも厳しかったし……ま、もうどっちの顔も見ないんだけど」


役場勤めの父親は、同じ島に住んでいながらほとんど顔を合わせない。

島の真ん中にある小さな山一つ越えるのが面倒だからだが、それが自分の本音なのか、それとも建前なのか、だんだん分からなくなってきている。


「何して遊んだら良いか分からなかったなあ。東京にいた時も、千晃ちあきの面倒ばっか見てたし。ご飯作りに行ったり、掃除したり……」

「でももう、その千晃も自立しただろ。大体、いとこだからって響也がそこまで構わなくても」

「いいの。俺、人の面倒見るの好きだから。必要とされてるみたいで、安心する……」

話しながら歩いていくと、段々と香ばしい匂いが漂ってきた。

「良い匂いする」

「そうだね。せっかくだし、何か食べる?」

提案すると一樹は、いいね、と楽しそうに頷いた。

「何食べようか。あ、焼きそばとかどう?」

一樹が屋台の一つを指さす。若い男の子が三人程、狭い屋台の中で作業していた。ソースの香りが鼻をつく。

「お祭りらしくて良いね。俺買ってくるよ。いっちゃん、食べる場所確保しといて」

「了解。ビール飲まない?」

「いいねえ」

「よし、じゃあ買ってくる」

別の屋台へ向かう背中を見送る。

焼きそばの屋台へ近づくと、若い女の子達が先に注文していた。風が吹いたら下着が見えてしまいそうな短いスカートから、健康的な足がまっすぐ伸びている。若いって良いな、と改めて思った。


―いつまでも歳を取らないような気がしていたけれど、気がつけば二十代もあと少し。年が明けたらすぐ三十になる。

俺、死ぬまでずっと独りなんだろうか。

誰でもいいからそばに居てほしいと思うのは、わがままなんだろうか。

誰かに必要とされたい。世話焼き係でも、何でも良いから。

賑やかな祭りの喧騒の中、俺だけが違う時間を生きているような気がしていた。

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