第3話 旅立ち

 リーリエがいつものように香水の作成を行っていると、玄関の方から何やら物々しい音が響いてきた。

 重量感のある馬の蹄の音、ガチャガチャという鎧の男。そして男達の声。

 押せば倒れるような、いや、押さなくても勝手に倒れる少女がひとりいるだけのこの家を尋ねるにしては、過剰すぎる戦力だ。


「なぁ、本当にこんなところに調合士が一人で住んでいるのか?」


「はい。納品業者が言うには、ここで間違いないそうです」


「魔物だってくるだろ、こんな所。リーリエってのは相当に厳つい女か?」


「いえ、話によると今にも倒れそうな、線の細い少女とのことです」


「信じられねぇなぁ」


 そんな会話の後、扉がノックされた。


「調合師のリーリエはいるか。いるなら扉を開けろ」


 厳つい男の声にリーリエが戦々恐々とする。


(鎧の音がするから盗賊とは思えない。となると軍人か騎士団だろうか?)


 そんな当たりをつけるものの、リーリエの身にそんなやからに目をつけられる覚えは無い。あるとしたら、先日やんごとなき身分であろう者に納品した香水に不備があったとかだろうか。

 しかし、香水はかなり気を使って精製した。不備があるとは思えない。


「第一王子からのメイだ。強行調査の許可も出ている。開けなければ押し入るぞ!」


「今開けます!」


 リーリエは慌てて玄関の扉を開けた。そこにいたのは王国騎士団が五名に御者が一人。馬が六頭に馬車が一台。抵抗しようものなら者の数秒で取り押さえられるだろう。もっとも、リーリエに抵抗する意思など微塵もないが。


「あの、こんな辺鄙へんぴなところに何の用事ですか? 香水の件でしょうか」


 リーリエの問いに先頭にいる男、オズヴァルトは首を横に振った。


「香水? いや、違う。先日納品したポーションについて尋ねたい。二週間前にヴァールデン商会にスタミナポーションを卸したリーリエという調合師は君で間違いないか?」


「二週間前……。はい、私だと思います。あの、品質に問題がありましたか?」


 リーリエの恐る恐るの質問にも、オズヴァルトは首を横に振る。


「いや、品質については問題ない。問題なのは金額だ。回復ポーションとスタミナポーションをそれぞれ一本三千リラで納品しているが、その価格であればお前に納税の義務が発生する。この領収書に偽りはないか?」


 オズヴァルトがヴァールデン商会に立ち入り調査した際に入手した帳簿記録を掲げる。そこには確かにリーリエの名と、ポーションを一本三千リラで取引している旨が記載されていた。

 リーリエは驚きで目を丸くする。


「三千リラだなんて……! 私はいつも一本五百リラで卸ろしています。これは父の代から変わっていないはずですが……。証拠になるかは分からないですが、ヴァールデン商会からの注文書はとってあります。確認してください」


 リーリエは急いで紙の束を持ってくる。それは父が死んでから三年間、リーリエが納品するようになってから、ヴァールデン商会から受け取った注文書の全てである。

 オズヴァルトがざっとそれに目を通す。その金額はヴァールデン商会の帳簿記録に記載された金額よりもずっと少なく、正確に計算しなくとも課税対象にはなり得ないことは明白だ。

 オズヴァルトは目の前の少女に視線を向ける。色は白く、不健康なほどに痩せている。着ているものもツギハギだらけの襤褸ボロで、とてもではないが贅沢な暮らしをしているとは思えない。


 (クロードの予想していたとおり、ヴァールデン商会か、徴税報告書を作成したベルナドット大公のどちらかの仕業だろうな。しかし、こんなにか弱そうな少女がこんなところに一人で住んでいるとは……)


 オズヴァルトは少女から目を離して周囲を見回した。街から少し離れた雑木林。さほど強力な魔物が出るとは思えないが、低級の魔物の目撃情報くらいなら普通にある場所だ。もっとも目の前の少女は、魔物どころか野犬にさえ食い殺されそうなほどに弱々しいが。

 

「あの……」


 リーリエが不安そうな顔でクロードを見あげる。クロードはリーリエを安心させるために、極力柔和な表情で口を開いた。


「ああ、すまない。確かにこれなら納税の必要は無い。手間を取らせた」


 その言葉に、リーリエは安堵のため息をついた。極力人と会わないようにしているリーリエにとって、香水とポーション作成は唯一の食い扶持を稼ぐ手段なのだ。営業停止などになってしまえば、この山奥の一軒家で自給自足をするしかない。

 

「良かった。要件はそれだけですか?」


「いや、もう一つある。実は第一王子が君の作ったポーションをいたく気に入った様で、王宮の調合班に参加して欲しいそうだ」


「……王宮の?」


 リーリエは驚愕する。王宮の調合班といえば、王族が使用するポーションを作成する名誉ある職である。王族が口にするものを作成するため、腕だけではなく信頼も必要とする職業だ。なぜそんな大層なところにお呼ばれされているのか理解できない。


「信じられません」


「第一王子からの書簡も預かっている。呼んで確かめると良い」


 オズヴァルトから豪奢な装飾がなされた書簡を受け取り蝋封を開ける。

 中には簡潔に、リーリエに王宮の調合班に来て欲しいとの内容が記されてあった。

 読み終わった後に、リーリエは悩ましげな表情で考え込む。そんなリーリエに、オズヴァルトが声を掛けた。


「先ほど君は一本五百リラで納品していると言ったが、それはあまりにも安すぎる。私もヴァールデン商会で買ったポーションを使用したことがあるが、品質は十分だし、一本三千リラでも安いくらいだ。実際にヴァールデン商会は君から仕入れたポーションを五千リラで小売りしているからな。いつまでも安く買い叩かれるより、王宮で働いて適正な給金を貰ったほうが君のためにもなるだろう」


「ですが、私には一部の貴族から香水の作成依頼を頂いております。香水を作らなくなってしまえば、その方々の反感を買ってしまう可能性があります。現に今も、どなたかは存じませんが貴族の方の香水の注文が来ているのです」


 そもそもリーリエは調合師ではなく調香師なのだ。趣味も兼ねての香水作りが出来なくなるのは好ましくない。

 しかし、リーリエの精一杯の反論はオズヴァルトに笑い飛ばされた。


「ハハハ。たとえどんな貴族だろうと、第一王子が決めたことであれば文句は言うまいよ。文句を言う人がいるとすれば、王か王妃くらいなものだ。安心するといい」


「それは、まぁ、そうですが」


 まだ渋る雰囲気のあるリーリエ。そんなリーリエを説得するようにオズヴァルトが言う。


「リーリエ。これは確かに命令ではなく依頼だ。しかし、第一王子からの直接の依頼なんだ。その意味を深く考えるといい。……言っていることは分かるかい?」


 オズヴァルトの言葉にリーリエは嘆息した。渋ってはみたが、抵抗は無駄だろう。これは『第一王子からのお願い』なのだ。吹けば飛ぶような一般人であるリーリエにとって、それはもはや命令に等しい。


「荷物をまとめる時間は頂けますか?」


「もちろんだ。おっと失礼、自己紹介がまだだったな。俺は王国騎士団のオズヴァルト・グラツィアーニだ」


「私は調香師のリーリエです。よろしくお願いします」


 その日、リーリエの清貧で穏やかな生活は終わりを迎えることとなった。


 ◇


「……それだけか?」


 ものの数分で支度を終えたリーリエが持っている荷物は、大きな風呂敷ひとつだけだった。


「持っていきたいものはたくさんありますけど、選びだすときりがないので。必要最低限のものだけにしました」


 リーリエが持っているものは最低限の着替えと少ない銭貨、そしてお気に入りの香水である『柚香』の瓶をひとつと、瀉血を行うための注射器。それだけだ。


「調合道具は国の物を使用させていただけますよね?」


「あぁ、それはもちろんだ。住む場所や食事も国が用意するから、生活の心配は不要だ。ただ、あまり怠惰だと追い出されるから気を付けろ」


 だったら、働かずに怠けていればまたこの家に戻ってきて香水作りが出来るのだろうか。リーリエはそう思ったが口には出さなかった。

 

「そう嫌がるな。王子直々の依頼だから、待遇は良いはずだ」


「えっと、嫌だとは一言も言ってませんが」


 リーリエのその言葉にオズヴァルトが苦笑する。


「表情にありありと『いやだ』と書いてあるんだよ。一介の調合師に必要は無いかもしれないが、少しは腹芸も覚えると良い。王宮は伏魔殿だからな」


「……すみません」


 リーリエは口元を手で押さえた。ほとんど人と接することが無かったのだ。リーリエに感情を隠すなんて芸当はできるはずもない。


「何か聞きたいことがあれば馬車の中で聞こう」


 リーリエは今まで十七年間を過ごしたあばら家を一度だけ振り返り、馬車に乗り込んだ。

 馬車になど幼少期の頃に一度だけしか乗ったことのないリーリエが、若干戸惑い気味に椅子に座る。かすれかけた記憶のそれと違い、馬車の座席は柔らかくお尻を受け止めた。流石王宮からの使いだ。良い馬車を使用しているのだろう。


「リーリエは香水を使用しているのか? 少し柑橘類の香りがするが」


「はい。私は調香師ですので。香水だけでは稼ぎがたりないので、ヴァールデン商会にポーションを卸しておりました」


 リーリエはいつも『柚香』の香水を使う。柚香の柑橘系の香りは、リーリエの魔力と混ざり、甘さを控えて清涼感のある香りにしてくれる。リーリエは人と会う必要がある際には、必ず柚香を身体に振っていた。


「良い香りだな」


「王国の調合班では、香水の作成はできるのでしょうか」


「どうだろうな。俺が依頼されたのは君を連れてくることだけだ。他のことは詳しくない」


「そうですか」


 リーリエは内心でため息を吐く。調香はリーリエの唯一と言って良い趣味だ。これを奪われるのは痛い。

 もし許されなかったら、貰った給金で調香道具を一式揃えて勝手に調香しよう。そう決めてリーリエは窓の外に流れる景色に視線を向けた。

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