第2話 市井のポーション

「……根を詰めすぎたか」


 ヴェランクルール王国の第一王子、クロード・ヴェランクールは窓から差し込む西日を横顔に受けて目を細め、目頭を揉んだ。今日は朝から朝食も食べずに、ずっと机に齧りついていた。心配して声をかけてくれた侍女を生返事であしらった記憶が思い出される。彼女には悪いことをした。


「少し、歩くか」


 思えば昨晩の夕食以降、まともに水分さえ口にしていない。身体がカラカラに乾いていることに気が付き、何か飲もうと手を伸ばすも、そこには空になったスタミナポーションの瓶が転がっているだけ。

 ため息をひとつついて、乱れた長い金髪をガシガシと掻き毟った後に、重い腰を上げる。

 律儀に部屋の前で待機していた侍女に水を頼むと、いつでも飲めるようにと用意をしておいてくれたのか、すぐに水差しを持ってきた。ありがたさと申し訳なさを覚えつつ喉を潤し、城を歩く。

 ヴェランクール王国は大国である。周辺諸国を属国にした後、悪政を強いることもなく国を発展させている。

 まぁもっとも、それでも諍いや綻び、天災は発生するもので、クロードは机にかじりつくことになっているのだが。

 中庭を通りかかっところで、ちょうど訓練を終えたらしい王国騎士団員達が談笑しているのが見えた。クロードの姿を見て直立不動で敬礼してくる彼らに軽く手を振る。


「そう畏まるな。訓練終わりだろう。ゆっくり身体を休めておけ。いつ何が起きるか分からないからな」


「はっ! ご配慮賜り、誠にありがとうございます!」


 屈強な彼らの中でも一際引き締まった身体をした青年が、ピシリと敬礼した後に頬を緩めてクロードに近づいて来た。


「よう、第一王子様。随分とやつれてるな」


「ヴァルか。訓練に精が出るな」


 ヴァルと呼ばれた男の名は、オズヴァルト・グラツィアーニ。騎士団長の息子であり、騎士団の若きエースである。短く切られた赤い髪に汗をしたたらせながら、気さくに第一王子であるクロードに話しかける。


「あんまり部屋に引きこもってると身体がなまるぜ?」


「徴税報告書の確認に手間取っていてな。どうやら仕入れ額を高く偽装して利益があまり出ていないように見せている連中がいるようだ。もしそれが正しい仕入れ額だった場合は、仕入れ元が売り上げを偽装していることになるが。国に税を取られたくない気持ちもわかるが、国が存在しなければ商いそのものが出来ない事態に陥りかねないということも理解して欲しいものだ」


「やめてくれ。俺は難しいことはさっぱりなんだよ」


 具体的な内容で愚痴り始めたクロードに、オズヴァルトは両手を上げて首を振った。


「まぁ、あれだ。立ち入り調査の時にはお前に行ってもらうかもしれない。最近は物騒なやからも多いからな」


「そういう話なら任せとけ。頭を使わない仕事なら得意だからよ」


 己の二の腕の筋肉を叩きながら歯を見せて笑うオズヴァルトの顔を見て、思わずクロードも釣られて口角が上がる。数少ない心を許せる友人との会話に気が抜けたのか、クロードを眩暈めまいが襲った。

 ふらついたクロードの腕をオズヴァルトが掴む。


「おいおい。マジで仕事のし過ぎじゃないか? ちゃんと飯食ってるのかよ」


「大丈夫だ。昨日の夕飯は食べた」


「知らねぇのか? 飯ってのは毎日三回食うもんなんだよ。どうせスタミナポーションでも飲んで無理やり起きて仕事してたんだろ?」


 流石は幼少期から共に過ごした仲だ。オズヴァルトの言うことが図星過ぎてクロードが苦笑する。


「当たりだ。ここ数か月はスタミナポーションに頼りっぱなしだよ。でも、どうにも最近効きが悪くなってきてるような気がするよ」


「良くない傾向だな。あまり口うるさくは言わないが、一日に一本までにしておけよ」


「ああ、そうするよ」


 頷いてから、クロードは何気なくオズヴァルトの腰のポーチに目を落とす。そのポーチにいつでも取り出せるようにと備えられているポーション類の瓶は、王国から支給されるものとは異なるものだった。


「ヴァルは王国支給のポーションを使っていないのか? 確か騎士団員であれば無償で支給されるだろう」


 クロードの問いに、オズヴァルトは気まずそうに頭を掻いた。

 

「あー……それはそうなんだが、手続きが面倒でつい、な。補充の際に、いちいち使用状況の報告書を書くくらいなら、市井で売られているものを買う方が楽なんだよ」

 

「なるほど。手続きが簡略化出来ないか掛け合ってみよう。わざわざ身銭を切らせるのも申し訳ないからな」


「助かるけどよ、そうやってわざわざ仕事を増やすのはやめた方がいいぜ?」

 

「円滑な国営のために必要なことは何でもやるさ。駄賃替わりにこれは貰っておこう。市井のポーションとやらも気になるしな」


 クロードはオズヴァルトのポーチに手を伸ばし、一本のスタミナポーションを抜き取った。


「良いのか? 第一王子でもあろうお前が市販のスタミナポーションなんて飲んで。毒でも入ってたらどうするんだよ」


「王になる気のない王子なんて、毒で死んだって誰も困らないさ」


 言いながら瓶の蓋を開ける。クロードの鼻孔を甘い香りがくすぐった。


「……良い魔香だ。よほど魔力の強い調合士が作成したんだろうな」


「そうか? あんまり気にしたことなかったけどな」


 クロードがポーションの香りを嗅いだ後、その中身を呷る。半分ほど飲んだところで、クロードは胸が熱くなるのを感じた。


「……ッ! これは……」


「おいおいどうした? マジで毒でも入ってたんじゃないだろうな」


 オズヴァルトが茶化すのも相手にせず、クロードは半分程飲み干したポーションの瓶をまじまじと眺める。


「……市井のポーションは、こんなに効くのか。王国支給のものより品質が良いんじゃないか?」


「んなわけねぇよ。何回か使ったことはあるが、別に効果はそんなに変わらねぇって。むしろ支給のものの方が品質は良い。単に疲れがたまってただけじゃないか?」


 オズヴァルトの声を聞きながら、もう一口。胃に入った途端に体に吸収され、疲れが溶ける様に消えていく。そしてその後に襲う胸の熱さ。高揚するような、それでいて寂しいような、胸を締め付けられるような感覚。


「……ヴァル。このポーションはいつ、何処で買った?」


「ヴァールデン商会の店だよ。目抜き通りに建てられたでけぇとこ。買ったのは三日前だったはずだ」


「ヴァールデン商会、か」


 クロードは先ほどまでにらめっこしていた徴税報告書の内容を思い出す。仕入れ額を改竄かいざんしているのではな無いかと疑っていた商会だ。


「あそこにポーションを卸している製造者は複数人いるが、月末に納品しているのはひとりだけ。名前は確か……」


 名前は確か、リーリエという調合師だ。

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