副作用がございますので、用法用量を守ってご使用ください
佐伯凪
第1話 調香師リーリエ
馬車の音が遠ざかり、完全に聞こえなくなってからリーリエは玄関の扉を開けた。
木々の隙間から太陽が降り注ぎ、リーリエの顔を照らす。小さな背丈に、心配になるほどに細く白い四肢。まるで顔を隠す様に伸ばされたグレーの前髪から覗く顔には濃いクマ。
その不健康な様子とは裏腹に、とても気持ちが良さそうにリーリエは伸びをする。
「んー、良い天気。さてと。香水の注文は入ってるかな?」
玄関前に置かれた木箱の中に入っているのは、注文していた食料と調剤道具、空の瓶や硬貨の入った巾着袋。そして手紙が一通。
リーリエは手紙を手に取り、ご丁寧に施された赤い封蝋を開く。まるで国家を揺るがす秘密でも書かれていそうなその紙は、なんてことはない、香水の注文書である。
仰々しいその手紙に苦笑しながら内容に目を通す。
「『若草の息吹』をふたつ、『伽羅の
リーリエは内容に目を通した後に苦笑を深くする。『密纏』は木蓮類の植物から香油を抽出して精製した香水だ。その甘い香りに媚薬効果があると噂されており、とりわけ高貴な身分の者からの注文が多い。
わざわざ装飾のあしらわれた特別瓶に入れて納品するということは、今回もどこかの貴族から注文が入ったということだ。
「それと、『
「あとは……回復ポーションとスタミナポーションを作れるだけ。やっぱり香水よりポーションの方が需要があるなぁ」
リーリエの作る香水には一部熱烈なファンがついているものの、需要はあまり多くない。そのため、銭貨を稼ぐために卸し始めたポーションだったが、需要の安定からいつのまにかポーション作成がリーリエの主な稼ぎぶちとなってしまっていた。
「それじゃ、今回の注文分を作りますか。まずは量の多いポーションから……。っと、その前に
リーリエは家の中の精製室に入り、躊躇うことなく左腕に注射器を刺した。そしてその細い体から血液を抽出し、排水溝に捨て流す。
二度、三度と繰り返した後に、
ポーションの精製には魔力を使用する。そして魔力には人それぞれに魔香と呼ばれる『香り』が存在するのだ。
リーリエの魔香りは常人のそれと比べて、異常なほどに甘く濃い。そのままポーションを作ってしまえば、ポーションにリーリエの香りが強く移ってしまう。ポーションには作成者の魔香が多少は移ってしまうものではあるが、それでもリーリエほどに強い香りになると売り物にならない可能性がある。
だからリーリエは常日頃から精力のつかないものばかりを食べる。そして香りが最も強く宿ると言われる血液を抜き、己の香りを可能な限り薄くする。
目眩のした頭を軽く振り、ペチンと頬を叩いて気合を入れた後に、リーリエは調合にとりかかった。
◇
リーリエは滅多に、いや全く他人と顔を合わせない。理由はもちろん彼女の魔香のせいだ。
リーリエの魔力の甘く濃い香りは、異性を惑わせる。調香師だった彼女の父は、リーリエが調合の手伝いをするようになってすぐに彼女の特異性に気がついた。そして極力他人と、特に異性と顔を合わせないように言い含めていた。そんな父も三年ほど前に他界したが。
母も幼少期に亡くしており、孤独の身となった後も、リーリエは父の言いつけを守っていた。最も、精のつかないものばかりを食べ、毎日のように瀉血を行っているため、過度にリーリエの近くに来ない限りは彼女の香りに惑わされることはない。それでもリーリエは他人と顔を合わせないように注意を払っていた。
「っとと。ちょっと抜き過ぎたかな」
いつものように瀉血を行っていると、いつもより少し強い目眩を覚え、たまらず机に寄りかかる。手から離れた注射器が机に落ちて、鮮血が少し飛び散った。
暗転する視界に抗い、念の為用意していたスタミナポーションを掴んで一気に煽る。
失った血が戻るわけではないが、それでも視界に光が戻ってきた。こんなことは日常茶飯事だ。少し休憩した後にリーリエはいつも通りポーション作成に取り掛かる。
「今回はスタミナポーションを多めに、だったかな」
机の上に置いてある小瓶を手に取り、ポーションの作成を始めたリーリエは、その瓶に付着した己の鮮血に気が付かなかった。
そしてそのまま作成された一本のスタミナポーション。
このポーションが、リーリエの運命を大きく変えることになる。
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