痛みを知らない世代を育てたのは、誰か

「隣国が戦争を仕掛けてきたらお前どうする?」

知人のボクシングトレーナーが、ふと、教え子にそう問いかけたという。

答えは自信満々だった。


「そんなの知りませんよ。戦争とか関係ないですよ。やりたい人間だけやればいいじゃないですか」


トレーナーは苦笑しながら、こう呟いた。

「戦争に負ければ、今、国が保証してくれてる権利とか全部奪われる可能性もゼロじゃないのにな。頭(為政者)が変わるだけで、今まで通りの生活が続けられると本気で思ってるんだな」


この言葉を聞いて、ふと考えた。

これは、いわゆる「Z世代」の無関心や無力感の象徴的な姿ではないか、と。


彼らは、痛みを知らずに育ってきた。

それは本人のせいではない。物語が、現実が、彼らに「痛いこと」を教えるのをやめたからだ。


かつての物語は、命の重みや理不尽さ、痛みを描いた。命を失いかけるアンパンマンや、未来を切り拓くために代償を払うドラえもんの仲間たちがいた。

子供たちは虚構の中で、痛みを知り、覚悟を学んだ。


今の物語にはそれがない。

旧作映画のドラえもんは色彩や音楽で「危機に立ち向かう事」を演出していたが、新作映画のドラえもんは明るい色使いと音楽で危機を危機として演出しなくなってしまった。

痛みや理不尽を「子供に見せるべきではない」と遠ざけ、安全で癒しばかりの物語を量産した。


安心感ばかりの物語は、まるで甘ったるいパンケーキのように子供たちの心を満たし、同時に腐食させた。

先人が血と涙で積み上げたものの上に立っている実感もなく、「戦争なんてやりたい人がやればいい」と言えるようになった。

失う痛みを知らないから、守る意味がわからない。


だが、これもまた当然の帰結だろう。

今の現実を見れば、将来は閉ざされている。少子高齢化はもう手遅れだ。

政治は票を持つ老人たちの顔色ばかりを見て、若者には負担と搾取だけが課せられる。


現実に未来への展望はなく、戦っても守っても何も変わらないという無力感が蔓延する。

そんな中で育った世代が「関係ない」と口にするのも、無理のないことだろう。


かつての物語には、若者の未来を守るために自分の命さえ差し出す老人が描かれていた。

子供の未来を守るため、若者の未来を拓くために、自らを使い切る理想の大人がいた。

今ではそんな理想像さえ、物語の中で見かけることは稀だ。

運よく理想に触れたとしても、現実との落差に打ちのめされ、「戦う意味も守る意味もない」と結論するだけだ。

子供の頃は「痛み」を教えない物語を見て「痛み」を想像もできないまま育ち、物心がついた頃には現実の絶望が残っている。

物語は子供の教育に寄与せず、現実は価値あるものを何も提示できぬまま搾取だけを続ける。


戦わない世代を育てたのは、まぎれもなく大人たちだ。

政治が、業界が、そして私たち自身が作り出した当然の帰結にすぎない。


──ここから状況を打開するのは、貴方には可能だと思うだろうか。

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滅びゆく日本で生きるということ つぶあんこ @ChatCatCat

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