第2話 運命の日

 私、何してるんだろ……。

 そんなことを考えたのは何度目だろうか。


『ああ、物語のような恋がしたいな』


 いつものように私がそう彼にぼやいて。


『それを婚約者の俺に言ってどうする』


 いつものように彼がそう返してくれて。


 そんな、いつものやり取りをしたのはあの永華祭の日が最後だった。

 カーテンの隙間から、朝日と言うには強い光が差し込む薄暗い部屋の中、何人もの女の寝息が聞こえてくる。

 ついさっきまで自分がその一人だったと思うと、背筋に冷たい物が突きこまれたような錯覚に陥る。

 

 今日こそ、彼に話そう。

 

 全部話して、謝ろう。

 

 赦してくれるか分からないけれど、優しい彼のことだ、きっと大丈夫。

 

 だから、今日こそは、ちゃんと話して謝ろう。

 

 床に散らばった衣服の中から、自分の物を探して手早く身に着ける。


 一度、ベッドを振り返る。

 そこで寝ているのは私と同じような立場の女たちと、オブシディアン侯爵家の嫡男ライル。

 

 私が物語のような恋だと思い込んでいた相手。


 そして、彼にとっては恋でも何でもなかった相手の私。


 小さくため息を吐くと、そっと部屋を出る。


 今日こそ、彼に話して、もうこんなことはやめよう。


 そう決意して歩き出した。


 何よりも大切なものが抜け落ちているのにも気がつかないまま。


 そして、それに気づいたのは、全てが手遅れになってからだった。


 ◇


 今日も今日とて代わり映えのしない学園の一日。


 しかし、変わったこともいくつかある。


 婚約者であるシスルとは、永華祭でドタキャンされて以来、ろくに話も出来ていない。

 いや、お互いに避けているんだから、その表現は間違いか。

 あの日、侯爵家のパーティーで何があったのか、現場に居なかった俺には分からない。

 ただ、あの日、家に帰らなかった令嬢たちの一部がどうなっているのかは知っている。

 俺の知り合いも数人、婚約が破棄されたり、慰謝料の話があったからだ。

 シスルは家に帰らなかった令嬢の一人で、あれ以来俺を避けている。

 そして、冒険者の知り合いに探ってもらったら、侯爵家の屋敷に頻繁に出入りしているのが確認できた。


 それがまず一つ。


 小さく息を吐きだして、廊下を歩いていると、反対側からフェリシアが歩いてくる。

 一瞬目が合うと、小さく、ほんの僅かにだが、微笑んでくれる。


 これもまた変わったことだ。


 少し気分が良くなり、教室の自分の席に着く。


 そして、もう一つは――。


「ユーリ!タルク男爵家のユーリは居るか?」


 突然の自分を呼ぶ声に、思考が中断される。


「ユーリは俺ですが?」


 声の方に視線を向けてみれば、そこに居たのはオブシディアン侯爵家の令息ライルと、その後ろにこちらの視線から身を隠すように立つシスルだった。


「ああ、良かった。お前に忘れ物を届けに来たんだ」

「忘れ物、ですか?」


 ニヤニヤと笑うライルに嫌な予感を覚えながらも、無視をするわけにもいかず、対応する。


「これだ、お前の物だろう?」


 そう言って、ライルが取り出したのは、パッと見る限り、俺が婚約の証としてシスルに渡した指輪だった。

 しかし、それがなぜ、ライルの手に有り『忘れ物』として俺に返されるのか?

 そもそも本当に俺たちの婚約指輪なのか?

 シスルの方を見ると、明らかに動揺しており、指輪と俺の方を交互に見て、何か言いたそうだった。

 つまり、これは間違いなく、俺たちの婚約指輪なのだろう。


「……そうみたいですね」

「男爵家の人間が用意したにしてはなかなかの物だな。だが、もうこれはシスルに必要ない。だから、私が自ら返しに来てやったのだ」

「必要ない、ですか?」

「ああ、もうこいつは私のものだからな。お前の出る幕はない」


 ここは学園の教室、多くの貴族令息や令嬢が見ている。折しも時間帯がよく、多くの奇異の視線が集まっている。


 ――非常に都合が良い。


「シスルは俺の婚約者です。いくら侯爵家の方が相手とはいえ、はい、そうですか。とはいきません」

「ふむ……。たしかにそうだな」

「ですので、俺の体面を守るためにも、一つ、勝負していただけませんか?」

「ふむ……。つまり、決闘で決めると?なるほど。下流とはいえお前も貴族、プライドはあるだろう。それ程の指輪を用意していたのだ、余程大事にしていたのだろう」


 想定外にこちらの都合が良いように話が進んでいく。

 当時はシスルが喜ぶと思って依頼で稼いだ金貨を積んで買った指輪。残念なことになってしまったが、最後に一仕事してくれて何よりだ。


「よかろう。シスルを賭けて勝負ということだな?」

「いえ、私は女性を、ましてや大切な婚約者を物のように賭けることは良しとしません。ですので、『俺の婚約者が貴方の婚約者になれるよう、俺に出来る限り最大限に全ての協力をする』以上を条件としたいです」

「そうか。お前は随分と女ごときに気を使っているのだな?良かろう、その条件でかまわない」

「では、双方対等の条件でよろしいですね?」

「うむ。ルールはどうする?お前は魔法は使えるのか?」

「残念ながら得意ではありませんが、こちらの条件を快諾して頂けたのです。武器も魔法も武具も自由で結構です」

「随分と豪気だな。ならば、勝敗は降参したらでいいな?」

「はい、後は当然、戦闘続行不能もですね」

「では、日時はまた後日知らせよう、楽しみにしている」


 緊張が解けると疲労感が一瞬で襲ってきた。

 握っていた手の中は汗でびっしょりになっている。

 負けることなんて考えてないからだろう、こちらの条件を全て飲ませることに成功した。

 まず最初の賭けに勝った。


 周囲の友人やクラスメイトたちが心配してくれる。

 アハハ、と硬い笑顔を作り、「まあ、やれるだけやってみるよ」と、その場を誤魔化した。


 一人になり、ライルが去り際にちゃんと渡してきた指輪をつまんでみる。


 ライルに頼んで俺に突き返させるほど、俺のこと嫌っていたんだろうか。

 彼女の様子を見る限りそういうわけでもなさそうだったが……。


「お前は何がしたかったんだ……?」


 シスルとずっと一緒にいた指輪に問いかけてみる。

 当然答えなんてない。

 話の後、ライルに肩を抱かれて、振り返りながら去っていくシスルの後ろ姿を思い出すと、なぜか心が落ち着かなかった。

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