彼女たちの望むモノ

尾裂狐さん

第1話 永華祭の夜

 その日、ロンバルディア王国、王都ロンバルディは、一年で最も賑やかな祭りの喧噪に包まれていた。

 街角には色とりどりのカンテラが下げられ、露天からは焦げるソースの香りや、甘い菓子の焼ける匂いが漂い、人々は笑いと活気に満ちていた。

 そんな人波の中、俺は、一人で表通りを歩いていた。


「侯爵家のパーティに呼ばれて嬉しいのは分かるけどさ、婚約者ほっぽって行っちゃうかねぇ」


 祭り見物の誘いに当日になって断ってきた婚約者のシスルのことを独り愚痴る。


「あ、ユーリじゃん。おーい」


 無意識のうちに慣れた道を通り、行きつけの冒険者ギルドの近くまで来ていた。

 声を掛けてきた顔見知りのギルドの受付嬢に手をあげて返事する。


「じゃーん、今年はうちも屋台出してみたんだー」


 どうよ、と串焼きの屋台の前で彼女は胸を張る。


「なんかしょぼくれた顔しちゃって、お姉さんが奢ってあげるからこれでも食べて元気出しなさい」


 そう言って、押し付けられた串焼きを食べていると、「きゃっ!」不意に背後から衝撃に襲われた。


「あ、急いでて、ごめんなさい」


 ぶつかってきたのは声からして少女。だが、フードを目深に被るという祭りの雰囲気にそぐわない恰好で、随分と急いでいたのか胸を抑えながら息も絶え絶えに謝る。

 何をそんなにと思うが、その原因はすぐに分かった。少女の後を追うように後ろからガラの悪い男たちがやって来るのが見えた。


「嬢ちゃん、そんなに逃げること無いだろう。俺たちとちょっと付き合ってくれればいいんだ」


 男の一人が前に出て、下卑た笑いを浮かべながら近づいてくる。他の連中も後に続き、何かを口走ってはゲラゲラと笑い合っている。

 俺は少女を受付嬢の方へ押して預けると、男たちに向き直って一歩前に出る。


「なんだぁ?俺たちの邪魔すんのか?」

「どこのお坊ちゃんから知らないが、俺たちの邪魔はしない方がいいぜ?」

「ハハハ。いっちょ前に恰好つけたいんだろ」


 好き勝手喋る男たちを眺めながらどうしたものかと考える。

 ちらりと後ろを見ると受付嬢は『やっちゃえ』と手振りで合図してくるが、こんな祭りの日に衛兵のお世話にはなりたくない。

 そっとため息を吐くと、仕方なく、説得を試みることにした。


「俺はな、さっきまで機嫌が悪かったんだ。それで、つい今、旨い串焼きを食ってちょっと気分が盛り返してたんだ……」


 丁寧に説明しようとするこちらを無視して、男の一人が俺の胸倉を掴み上げる。よく鍛えられた筋肉だが、戦闘の傷はない。職人かなにかだろう。

 酒の臭いをぷんぷんさせていることから酔ってるのは明らかだし、やはり実力行使は気が引ける。


「ゴチャゴチャ言ってんじゃねーぞ、姉ちゃんアンタも来い」


 そう言って、別の男が少女と受付嬢に迫ったところで、通りの良い声が響いた。


「おいおい、楽しい祭りの日に無粋な真似してんじゃねーよ」


 声と共に現れたのはこの街の人間ならよく知る、有名なベテラン冒険者だった。


「あ、あ、アンタの知り合いだったのか、すまねぇ。ちょっと遊びに誘ってただけなんだ、迷惑かける気は無かった」


 それぞれよくわからない言い訳をしながら、あっと言う間に男たちは退散していった。


「ユーリ坊、よく我慢したな」


 そう言って俺の頭を雑に撫でてくる冒険者。


「そっちの嬢ちゃんは学園の友達か?祭りで人が多いとはいえ、今の奴らみたいなのも多い、送っていってやんな」

「……わかったよ。行こう」


 俺は頭を撫で続ける冒険者の手をはねのけるのを諦め、少女を促すと歩き出した。


 二人並んで大通りを歩く。キョロキョロと物珍しそうに露天や街角に飾り付けられたランタンに目を奪われている少女を見て、思わず声を掛ける。


「なあ、フード邪魔じゃないか?」

「ひゃ?」


 見物に夢中になっていたのか、俺の言葉に飛び上がる少女。


「フード、見て回るのに邪魔じゃないか?」


 改めて掛けた声に「あー……」「うー……」と悩む声を出し、そっとこちらの耳元に近づいて囁いてくる。


「私の髪、ちょっと目立つの」


 そう言って少女がフードの隙間から引っ張り出すと、美しいピンクブロンドの髪が一房見えた。

 こいつは……。俺はその髪の持ち主に心当たりがあった。

 だが、その話をする間も既に他の祭りの出し物の方へ視線をやり、楽しそうにしている彼女の正体にふれるのはやめた。


 一頻り見て、歩き、露天で食べ、珍しいものに驚き、笑ったあと、彼女の希望で俺たちは喧噪から少し離れた高台へ移動した。


 眼下に色とりどりの明かりが見える。


「まるで、とんでもなく大きな宝石箱みたいですよね」


 そう言うと彼女はフードを外す。

 美しいピンクブロンドの髪が月明りの下でも煌めいて見える。


「私は――」

「ローズクォーツ公爵家ご令嬢、フェリシア様ですね」


 俺の言葉に彼女は目と口を丸くして驚く。

 今日一日、ずっとコロコロとよく表情の変わる様子を見て、噂なんて所詮噂だったんだなと改めて感じる。


「ご存知だったんですね」

「タルク男爵家、ユーリに御座います。本日は数々の――」

「や、やめてください!」


 膝を折り、丁寧に挨拶と謝罪をしようとしたところ、手を握って止められた。

 そして、そのまま少し話をしたいと言われ、付き合うことにした。


「知ってて、知らないフリをしてくれてたんですよね?」

「それがお望みのようでしたから」

「あの、さっきまでみたいに普通に話してください」

「わかった。わざわざ祭りの日にフードを目深に被って怪しい恰好してるんだ、身元隠したいのバレバレだったからな」

「え!?私、怪しかったですか?」

「俺が一緒じゃなきゃ、衛兵詰所に連れてかれてたんじゃないか」

「えー!?」


 本気であれで自然に身を隠してるつもりだったのか、一人で大騒ぎしてる様に思わず笑いが漏れる。

 本当に噂はあてにならない、どこが「暗い女」「つまらない女」なんだか。


「もう、笑いすぎです」

「悪い悪い。ま、いいじゃないか。楽しめたか?」

「はい。最初で最後でしたが、ユーリさんのおかげで一生の思い出になりました」


 街の喧噪を遠い目をして眺める彼女。


「次も来ればいいじゃないか。今度はもうちょっとマシな変装をして」

「来年は、学園を卒業してますから……。卒業したらすぐに結婚で、たぶん、私の婚約者は私が外に出ることを許してくれないと思います」

「婚約者と上手くいってないのか?」

「政略結婚ですから、元々あちらも望まない婚約だったから仕方ないんですが、会うたびに「暗い女」「つまらない女」ですからね」


 彼女から、今までの楽しげな表情が消え俯いてしまう。

 婚約者が噂の出どころとは、恐れ入る。


「どこも上手く行かないものなんだなぁ……」


 俺の言葉に、彼女は顔を上げる。興味深げな瞳がこちらを覗いてくる。


「ユーリも、ですか?」

「ああ、そもそも今日祭りに一緒に行く予定だったんだよ」


 脳裏に明るく笑う金の髪の婚約者の顔が思い浮かぶ。――そして俺を置いていくその後ろ姿も。

 ずっとこちらを覗いている彼女の瞳に今までと違う色が混じり、口元が歪むのが見えて、少し喜びがわいてくる。


「じゃあ、なんで一人だったんですか?」

「ドタキャンされてなぁ。なんか上流貴族様の家のパーティに呼ばれたんだと」

「そうですか……。元気、出してくださいね?」


 そう言うと恐る恐るこちらの頭を撫でてくる彼女。

 身長差があるので、背伸びして頑張ってるところが可愛らしい。


「お互いに苦労するな」


 そう言って、俺たちが顔を見合わせ笑っていると、声が割って入った。


「お嬢様」


 執事服とメイド服の二人が、気づかないうちにすぐ側に立っていた。


「ご帰宅の時間で御座います」


 そう言うと、これまた気づかないうちに近くに停まっていた馬車へ彼女を連れていく。

 まるでこちらに気づいていないかのように。いや俺のことなど居ないも同然なのか。


「あの」


 彼女は馬車に乗る直前、こちらを振り返る。


「今日はありがとうございました。一生の思い出になると思います」


 そう言ってペコリと頭を下げた彼女。タラップに足を掛ける彼女に思わず声を掛ける。


「なあ」


 彼女の足が一瞬止まる。


「もし、今の境遇から救けられるとしたら――」


 彼女は顔だけ振り返る。その頬には涙が伝っていた。


「たすけてください」


 ――わかった。


 そう、返事をする前に馬車の扉は締まり、静かに去っていった。

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