第2話 負け知らずの人生をおくりたい

 私は藤堂牧師のことはマスメディアでうすうす知っていたが、まさか崎原が関与しているとは想像もつかなかった。


「まあ、崎原君、私、覚えてる? いやあ、覚えてるわけないよね。

 中学二年のとき転校してきて、四か月間しかいなかったものね」

 崎原は、なつかしそうに目を細めた。

「忘れるわけないじゃん。おから入りのおむすびくれたこと、今でも覚えてるよ。

 腹ぺこだったオレには、唯一の救いだったなあ。

 おれ、親戚と同居してたがね、あまり食べさせてもらえなかったんだ。

 でも、テストで良い点をとれば褒められてたけどね」

 私は相槌を打った。

「そうかあ、それでクラスで三番目の優等生だったんだね」

 しかし崎原は

「いつまでも親戚の世話になるわけにはいかない。

 こんな生活、いつまで続くだろうという不安をまぎらわすために、勉強だけはしていたのさ。まあ、陰では勉強家のヤンキーまがいと言われてたことは知ってたがね。それを紛らわすために、昔のアイドルユニットZファーストに入ったんだ」

 私は思わず、なつかしくなり

「Zファーストかあ。人気あったわね。

 しかし、崎原君が脱退したときはびっくりしたわ。

 あっ、その先は言わない。崎原君にとっては不本意なスキャンダルだったものね」

 崎原は、ゆっくりと語った。

「そうだなあ、あのときは傷ついたよ。

 あれから、親戚にも経営していた喫茶店にも、迷惑がかかったものな。

 有名税といってしまえばそれまでだが、まさに理不尽な災難とはこのことだよ。

 しかし、この藤堂牧師の如く、不本意なスキャンダルを逆手にとってやろうとしているうちに、なぜかイエスキリストを信じるようになったんだ。

 この俺がクリスチャンだなんて、笑っちゃうだろう」

 そう言いながら、崎原はアイドル時代にも見たことがなかった、余裕に満ちたほほ笑みを浮かべた。


 崎原は、藤堂牧師に私を紹介した。

「紹介します。彼女ね、中学二年のときの同級生だったんですよ。といっても、僕はその中学には四か月しか在籍していなかったがね。

 おからおにぎりをくれたりして、僕の小さな恩人ですよ。

 実は、今経営しているおむすび屋「おむすび縁結び」のおむすびも、彼女にもらったおからおむすびをモチーフにさせてもらったんですよ」

 私は、なつかしさと恥ずかしさに沈黙するしかなかった。


 藤堂牧師は、笑顔で挨拶してきた。

「初めまして。罪人寄り添い教会の牧師の藤堂です。

 もしかして私のこと、マスメディアやユーチューブですでにご存知かもしれませんね。私の教会はね、いわゆるこの世でつまずいた人が多いんですよ。

 元反社、覚醒剤、少年院出身者、また家族が刑務所に入ることになった、いやもうすでに入っているとかね。

 でも覚醒剤だけは、手こずりますね」

 私は「ホント、フラッシュバックといって後遺症がでるというのを聞いたことがあります」と言うや否や、信じられない光景を目にした。

 なんと、半年前、経理学校で知り合った当時、十七歳の女の子ー雪奈だった。


「先生、探しましたよ。あっ」

 お互い、顔を見合わせた。

 実は、雪奈とは苦い思い出があり、お互い近づかないようと周りの大人からは忠告されていたのだった。


 当時十七歳の雪奈は、高校を中退したばかりであり、簿記三級の資格を身につけるために、三か月コースの経理学校に通い始めたという。

 私は授業以外に、参考書を買って勉強していたので、授業もすいすいと理解できた。簿記三級というのは、合格率6割という比較的やさしいものである。

 基礎問題を教えたのがきっかけで、雪奈は私になついてきたというよりも、すがりついてきた。

 私と雪奈とは七歳違いだったので、雪奈は私に対して姉のような感情を抱いていたのだろう。

 雪奈はすがりつくような表情で

「私は中学のときからヤンキーとして見られていたので、友達はいない。

 私のこと、友達だと思っている? この学校を卒業しても友達でいてくれる?」

 私は、ああと生返事をした。

 よほど、孤独な体験をしてきたに違いない。

 自分を雪奈と名前で呼び、敬語も使おうとはしない。

 ヤンキーとまではいかないが、ヤンキーまがいとみられても仕方がないだろう。

 しかしそれが、大きな悲劇の始まりでもあった。


 雪奈は経理学校の授業料を支払うために、繁華街の裏通りのカフェでバイトを始めた。近くには、ホストクラブや風俗店の群がる地域でもあった。

 この頃から雪奈は、授業に集中していないようで、問題も一向に解けないようだった。なのに、なにかに取りつかれたような妙に浮ついた表情をしていた。

 もしかして、ワル男でもバックについたのだろうか?

 孤独に悩む若い女性には、よくあることであり、ワル男は常にそういった女性を、獲物にしようと待ち構えている。

 地方出身の大学生や専門学生が、歌手やタレントになれると誘われるがまま、有名プロダクションの傘下を名乗るプロダクションとサイン契約をし、最初半年間は演技やボイスレッスンを受け、仕事現場に行ってみると、なんと予期もしなかったアダルトビデオに強制出演させられるのと同じパターンである。

 一週間もたった頃、雪奈は妙なことを私に持ちかけてきたのだった。


 雪奈は一緒に帰ろうと言ってきた。すると雪奈は肩をかかえながら、

「ねえ、お願いがあるの。肩が痛いから、このカバンを持ってくれる?

 あー、肩が痛いよー」

 私はああ、いいよと生返事をした。

 すると雪奈は、妙なことを持ちかけてきたのだった。

「ねえ、今から賭けをしよう。

 このカバンをもってくれて、傷がついていなかったら、五万円プレゼントするよ。しかし、傷がついてたら五万円払ってくれる?」

 私はてっきりジョークだと思い、ああと生返事をして、同情から左手で雪奈のカバンを持ってやった。

 右手は私のカバンでふさがっていたので、壁際にふれる左手でカバンを持ってやった。

「持ってくれてありがとう。この結末は明日わかることよ」

 結末? なーにそれ?

 私は雪奈の不可解な言葉に、キョトンとするしかなかった。


 翌日、雪奈は私に信じられない話を持ちかけてきた。

「昨日、カバンもってくれてありがとう。

 しかし、傷がついてたのよ。ほら、あのとき壁際の塀にすれたでしょう。

 たぶん、それが原因だと思うけどね、五万円一週間以内に用意してね」

 私は、絶句した。

「確かに、塀にすれたけど、それだけで傷はつかない筈よ。なにを言ってるの?」

 実際、塀にぶつかったのならともかくも、塀に二秒ほどすれただけで、傷など付くはずがない。

 雪奈は、またなにかに取りつかれたように

「顕微鏡で調べさせてもらったら、傷がついてたの。明日五万円用意してね」

 明らかに目にみえる肉眼ではなく、わざわざ顕微鏡を使って調べるなんて通常あり得ないことである。

 これはなにか仕組まれたワナなのだろうか?

 それとも、雪奈は私に金目当てで近づいたのであろうか?


 私は初めての体験に、絶句するしかなかった。

 それ以来、雪奈は経理学校で、私の顔を見るたびに「明日五万円用意して」の一点張りだった。

 もちろん雪奈は授業にはついていけず、簿記三級の検定試験のための模擬テストにさえ参加できずにいた。

 私は、未成年の雪奈のジョークだと笑って受け流した。


 私が雪奈のカバンをもってやってから一週間たった頃、雪奈は授業前に、私の腕を引っ張って、私を廊下の踊り場に連れ出し、壁ドンをして脅すような物言いをした。

「五万円払うのか、払えないのか!?」

 私は内心、何を言ってるんだと呆れたが、雪奈は強気で私から金を奪い取ろうとしてきた。

「払えない」と言うと、雪奈はいきなり私の頬を平手打ちで殴りつけた。

「じゃあ、なぜ払うなどと言ったんだ?」

 私は払うなどと言った覚えはないので、怪訝な顔をすると、

「このことは誰にも言うな。私は少年院出だ。

 もしこのことが、学校側にばれたらお前を待ち伏せしてしばきあげるぞ」

と言い残し、再び平手打ちをして背を向けて去っていった。


 私はこれはやばいと思い、経理学校の事務員の女性に一部始終を報告した。

 事務員の女性は雪奈を呼び出し、ことの一部始終を問い詰めた。

 雪奈は、カバンが塀にふれて傷がついたので弁償してもらおうとしたという言い訳をした。

 私も呼び出され、カバンを持つポーズをさせられた。

 私は

「塀にふれただけで傷などつくはずがない。

 それだったら、人のカバンを持ったら、その度ごとに五万円払うなんていう日本の法律でもあるんでしょうか?」

 事務員女性は、絶句するしかなかった。


 翌日、私は呼び出され、雪奈の前で事務員からこう言われた。

「恨み、憎しみは水に流して下さい。

 お互い、齢も違うし住んでいる世界も違う。もうこれからは、近づかないように」

 雪奈は敬語も使えないし、自分を私ではなく、名前で「雪奈はね」と

 私の予想通り、やはり雪奈は繁華街のカフェのバイトでワル男につかまったのだろう。あまりにもよくあるパターンである。

 

 




 


 

 

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