まさかの再会は冷蔵庫から始まった
すどう零
第1話 まさか、あの問題児がおむすび屋店長
私、二十四歳の飲食店勤務の平凡な女性であり、つい数時間前までは平凡な日常を送っていた。これからも、それが続いて当たり前だと思っていた。
しかし、これは私の大きな過信だったということを、思い知らされた。
いつものように、肉体労働から帰宅すると、なんと冷蔵庫が壊れていたのだった。
まあ、無理もないか。十年以上も使ってたんだものな。
しょっちゅう冷蔵庫を開ける私にとっては、これは日常生活を破壊するに至る、大問題である。
とりあえず、冷蔵庫に入っていたちらしずしを食べながら、冷蔵庫の中の食材を大袋に入れて保存し、新しい冷蔵庫を買いにいくことにした。
早い者勝ちで、一日も早く安い冷蔵庫を予約しなければならない。
カタログを見て一番安価な冷蔵庫を予約することにした。
商店街の端っこにある家電メーカーに行く途中、なんと新しいおむすび屋
「おむすび縁結び」が出店していた。
昆布やカツオという安価なものから、おからおむすびというはじめてのネーミングの商品などある。
おむすびの具は、なんといろんな種類のおからなのである。
ミンチおから、魚おから、野菜おからとあるが、どれもコンビニのおにぎりと比べて二割くらい安価である。
まあ、おから自体が安価だし、おからは少し具を入れただけで味がよくしみこむので、安価なのもうなづける。
「いらっしゃいませ」
元気よい男性の声が聞こえてきた。
どこかで聞いたような声、ああそういえば、中学二年のときの転校生だった崎原だーといっても、四か月後には地方の中学に転校してしまったが。
そののち、元アイドルユニットZファーストのサッキ―本人である。
中学二年生というと、十年昔であるが、私は崎原に声をかけた。
「ねえ、私覚えてる? ちょうど十年前に、同じクラスだったんだ。
崎原君からもらったドリルのおかげで、私、志望校に進学できたんだよ」
崎原は、なつかしそうに目を細めた。
彼ー崎原は勉強のできるヤンキーまがいだった。
授業中にときおり居眠りをし、ときおり担任から叱責を受けていたが、いっこうに聞こうとはしなかった。
ムリもなかろう。転校生というのは教科書も違うし、授業が退屈なのは無理もない話である。
しかし崎原はアイドル並みの容姿で、なぜかテストの点数は平均点以上だった。
「おい、崎原、授業中に漫画は禁止だといっただろう。ちょっと前へ出ろ」
崎原は、言われるままに教壇の担任の横に立った。
四十歳を過ぎたばかりだというのに、前頭部は禿げ上がり、テカテカと光っている。
いきなり、担任は信じられないことを口にした。
「崎原はご覧の通りのイケメンだ。うらやましい限りだよ。
しかし、女生徒諸君。崎原とつきあうな。いや1m以内近づくな。
崎原としゃべっただけで妊娠するぞ」
一部の生徒の間で笑いが出た。
このセリフは、二昔流行った吉本新喜劇のギャグのセリフであることを知っていたのだろう。
しかし、私も含めてその事実を知らないクラスメートは呆れたようなポカン顔をしていた。
再び信じられないことが起こった。
なんと崎原は、制服のズボンのポケットからライターを取り出し、担任の頭上に火をつけたのである。
担任は飛び上がり、クラスメートは絶句したままである。
目の前で、信じられない光景を目にした私は、ただポカンと口を開けるしかなかった。
翌日、崎原の父親が生活指導室に呼び出された。
「育ての親である私の責任です。申し訳ありません」
ということは、崎原は再婚相手の子供なのだろうか?
「あの子とは食卓を囲む機会もなく、いつも一人で、冷蔵庫の食材しか食べさせていませんでした。あの子はいわゆる孤食だったんですよ。
私の監督不行き届きで、淋しさから奇抜な行動にでたのかもしれません。
でも、根は悪い子じゃないから、勘弁してやって下さい」
崎原と崎原の父は、いきなり土下座を始めた。
担任は、困惑したような顔で
「まあまあ、顔を上げて下さい。
でもこれがただのパフォーマンスでないことを祈ります」
一応、崎原と担任とは和解したかのように見えた。
崎原は、休むことなく学校へは登校していたし、相変わらずクラスで上位の優等生だった。
しかし崎原の昼ご飯は、いつも菓子パン一個だった。
私の家族は、食べ物に関しては健康第一だったし、ジャンクフードなど許されなかったので、私は見るに見かねて声をかけた。
「ねえ、このおむすび食べきれないから、助けてくれないかな」
そのおむすびは、母がキリスト教会でもらったおから入りおむすびだったのを、私が真似してつくったものだった。
おむすびの具は、魚のあらと大根葉をおからで煮たという極めてチープシックなものだった。
崎原は、驚いたように言った。
「えっ、いいの? でも俺、なんのお返しもできないよ」
私は笑いながら言った。
「お返しなんていいわよ。腹が減ってはいくさはできずといいじゃない。
崎原君には、闘い続けていってほしいな」
崎原は怪訝そうな顔をして答えた。
「闘うってどういう意味? おれが世間の大人たちと闘っているとでもいうの?」
私は一瞬、答えにとまどったがすぐ答えた。
「なんとなく、正義のために闘っているような感じがしただけよ。
崎原君って決して悪い子じゃないけど、なぜか世間を敵に回してるって感じがしただけ」
崎原は、急に真面目顔で答えた。
「まるで昔のキリスト教みたいだな。昔は、キリスト教って迫害されてたというじゃないか。
これは俺の持論だけどさ、世の中いい人が好かれて活躍し、悪党が嫌われて疎外されていくなんてことは50%しかないんだよ」
温室育ちだった私は、ポカンとして聞いていた。
いきなり崎原は歌いだした。
主我を愛す 主は強ければ我弱くとも 恐れはあらじ
我が主イエス 我が主イエス 我が主イエス
我を愛す
(讃美歌第二編「主われを愛す」)
あっ、この讃美歌、母がよく口ずさんでいる陽気なメロディーのわかりやすい歌詞の讃美歌である。
私は思わず「崎原君ってクリスチャンなの?」
崎原は、笑いながら答えた。
「まーさか。このオレがクリスチャンってガラでもないだろう。
でも、子供の頃クリスマスに行ったことがあるくらいだよ」
私は同調して
「実は私も、小学校時代、クラスメートに誘われてキリスト教会に行ってたのよ。
イエス生誕の劇をしたのも覚えてるわ。今はご無沙汰だけどね」
しかし「主われを愛す」の讃美歌が、のちに私と崎原の人生を左右することになるとは、このときの私は想像もしていなかった。
崎原は親戚と同居していた。
崎原の親戚は当時、喫茶店を経営し、崎原は学校帰りにはランチの仕込みの手伝いをしていた。
崎原が授業中に居眠りをしていたのは、仕込みが忙しかったからだろう。
崎原は、おむすびのお礼だと言って、私に中古の問題集をプレゼントしてくれた。
崎原曰く
「オレが実践してきた勉強のコツはね、教科書を丸暗記することだよ。
数学はね、この問題にはこの公式が当てはまると丸暗記するんだ。
そして、ドリルを最低三回繰り返すと、中学の勉強はたいてい出来るようになるよ。あっ、このドリル、おれが使い古したものだけどさ、結構役立つよ」
私はありがとうという言葉もでなかった。
「あっ、おれ、店の手伝いしなきゃ。お互い頑張って生きていこうぜ」
そう言って崎原は背中を向けたが、それが崎原との最後の会話となった。
それから二日後、担任から崎原が家庭の事情で引っ越すことになったと通告された。
崎原は担任の横に立ち
「今まで有難うございました。元気で頑張って下さい」
と言ったきりだった。
担任は
「君は、人にもまれる都会の生活よりも、田舎の牧場のように、家畜相手の方が向いてたりしてね」と冗談交じりに言って、クラスメートの笑いを誘っていた。
崎原は苦笑いしたように、黙っていた。
崎原が転校してから、六年たった二十歳のとき、崎原はアイドルグループとして活躍していた。
Zファーストという四人組のグループであったが、人気上昇中だった。
崎原はサッキーというニックネームで器用にダンスをこなし、スター街道を登っていくようだった。
マスメディアに登場するたびに、垢ぬけていくのが感じられた。
私が女性週刊誌を読んでいると、Zファーストの特集があり、崎原はなんと
「僕の好物は、おからおむすびです」と掲載されていた。
もしかして、私が中学二年のときプレゼントしたものに違いない。
今や、アイドルの好物に昇進(?)するなんて、私はちょっぴり誇らしくなった。
Zファーストとしてすっかり有名になった頃、なんとサッキ―こと崎原のことが報道されていた。といっても殺人未遂容疑であるが。
新聞にも写真が掲載されていたが、まぎれもなく崎原である。
なんと崎原は、つきあっている女性から未成年の頃から喫煙をしていたことを暴露するなどと言われて脅されていたのだった。
たぶんその女性は、週刊誌から大金を積まれ、崎原を売ろうとしたに違いない。
それを知った崎原は、裏切られたような気になり、女性に暴力を振るったというのだ。
その背景には、女性が最初、崎原をスターにするために、洋服代などと貢いでいたというのである。
その額は、五十万を超えていたというが、崎原はやはり用心して、彼女とは同棲どころか男女の仲になろうとはしなかった。
崎原はスキャンダルには用心していたので、つきあっている彼女とは肉体関係をもつことはなく、キスどまりだった。
しかし、女性は五十万円も貢いだのに、握手だけであり彼女にもしてくれない。
ほかのアイドルは、内緒で同棲しているというのに、もしかして、崎原には本命の彼女がいるに違いない。
そういえば、崎原の家は喫茶店を経営しているというから、もしかしてその客の一人かもしれないという邪推をするようになった。
女性は、崎原にとってはただの金ヅルだったのかという不信感にかられるようになった。
その当時人気急上昇中だった、Zファーストのサッキ―こと崎原をマークしていた週刊誌から、内緒で三十万円渡すから、崎原についてのスキャンダルを教えてくれともちかけられ、結局三十万円という金額に目がくらんで、崎原を売ったという事実を聞かされたのである。
女性は、週刊誌に崎原から暴力を振るわれたと証言していたが、それはおおげさなウソにすぎなかった。
実際は女性は、正面から軽く肩を突かれただけだったが、女性は尻もちをついて転び、その拍子に持っていたショッピングカートが心臓に当たりかぶさったけだったのである。
しかし女性は心臓のペースメーカーをしていたので、呼吸困難になりかけ、女性の証言で殺人未遂ということになりかけた。
幸い、女性が健康を取り戻したのと、いわゆる殺人的な言葉「死ね、殺してやろうか」などと発していなかったのが幸いして、殺人未遂も傷害も免れた。
崎原は、ふだんから死ね、殺すと誤解される言葉ーシネマやコロンという言葉を避けていたのである。
崎原はこれほど、マスメディアには用心していたのである。
しかしそのことが、マスメディアに取り上げられると共に、崎原はZファーストから脱退を言い渡された。
崎原は俳優としても活躍していたが、それも徐々に下降気味であり、主役から脇役、それも悪役専門に回されるようになり、徐々にマスメディアから姿を消していくようだった。
それから五年後「あの人は今」という特集で、元Zファースト サッキ―こと崎原の記事が取り上げられていた。
Zファースト時代のサッキ―こと崎原は、輝くようなキラキラしたアイドルであったが、少し地味目になったように感じられた。
二十三歳になった崎原は、芸能界の傍ら、親戚の喫茶店の跡継ぎをしているのだったが、この不況で悪戦苦闘している。
従来の喫茶店経営だけでは先が見えているので、新事業を展開中だと語っていた。
安価で片手ででも食べられる、気楽な食べ物屋を展開したい、何かいいアイディアがあれば教えて下さいと問いかけていた。
一方、私は高校を卒業して五年間のOL生活をした後、飲食店で働いていた。
夕方の仕事帰り、駅前のカフェで珈琲を飲むのを日課としていた。
サイフォン珈琲の香ばしい香りに包まれながら、ひとときのやすらぎを味わいながら、店に置いている新聞を取りに席を立った。
なんとその隣の四人掛けの席に、崎原と藤堂牧師が向かい合わせで座っていた。
テレビやユーチューブで見たことのある有名牧師ー藤堂牧師は、自ら反社と名乗り、自らが牧会する教会で、元反社、前科者を受け入れ、イエスキリストの救いに導いていることで有名人になっていた。
藤堂牧師曰く
「私にあるもの、刺青、前科、覚醒剤歴、
私にないもの、学歴、職歴、右手の小指」を漫才調で語り、
「私は呼ばれればどこへでも、でかけていきます。
牧師界の明石家さんまと言われています」
元アイドルユニットのサッキ―で人気上昇中であった矢先に、マスメディアから殺人未遂容疑をかけられ、スキャンダルにまみれた挙句、Zファーストを脱退した崎原は、藤堂牧師と志を共にしているのだろう。
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