まだ食べてないのに
王都ダナラナニの一角に、昼どきだけ出現する屋台がある。木製の看板には「らーめん王」と、妙に堂々とした名前が掲げられていた。
王を名乗っているのに、やけにボロい外観。ルナはそれだけで既に疑っていた。しかし、今日の目的は味ではない。食そのものを観察するのだ。
行列の最後尾に立ちながら、彼女はこっそり記録を始める。天候は晴れ、気温やや低め、湯気の立ち方も美しい。なるほど、最高のコンディションだ。
前方、屋台に最も近い客がラーメンを受け取った瞬間「⋯⋯うまそ」と、まるで儀式のような声が漏れた。
(⋯⋯きた)
ルナの目が鋭くなる。さらに調査を続けると、あとに続く客たちも、ラーメンが配膳された瞬間に口を開く。
「うまそ」
「うわ、うまそ」
「マジでうまそう」
一口も食べていないのに、である。スープもすすらず、麺の一本も持ち上げていない。それでも彼らの表情は真剣そのもの。評価というより、信仰に近い熱量だ。
ルナはすぐさまその様子を報告書に書き留める。
◆極秘情報No.006
『料理が配膳された瞬間、誰もが「うまそ」と声に出す』
20名中19名が発声。味確認前に感想を述べる習性あり。
→自動反応か、評価の先出し文化か。継続観察。
(⋯⋯評価って、体験のあとに行うものでは?)
「見た目が良い=味も良い」という論理? いや、それにしては反応が早すぎる。
人間たちはこの発声により、自身の期待値を言語化しているのかもしれない。あるいは、食べる前に気分を高めるための鼓舞。だとすれば⎯⎯
「お待たせ! はい、姉ちゃんラーメン一丁!」
店主の声がルナを現実に引き戻す。差し出された器は期待以上。黄金色のスープ、チャーシューの艶、ネギとメンマの並び。どれも計算された美しさ。
その瞬間。
「⋯⋯うまそ」
無意識だった。
ルナは凍りつく。スパイとしてあるまじき不覚。自動的に口が動かされた。まさか、自分まで発症するとは。
(しまった、感染した⋯⋯!)
急いで席に着く。辺りの客は誰も気にしていない。皆うっとりと麺をすすっている。ルナも続けて一口。⋯⋯たしかにうまい。けれど、それは食後の感想だ。
「さっきのあれは⋯⋯」
食事を終え、屋台を出たルナは思考の海へ再びダイブ。それは帰宅してからも続き、回答を導き出した頃には既に月が浮かんでいた。
そう、これは味覚の問題ではない。視覚と嗅覚、さらには人間関係や期待といった心理的要因までもが絡み合った複合的反応なのだ。
という旨を報告書に追記。心が満たされたルナは、机の上に置いたままのココアを手に取る。まだ一口も飲んでいない。ほんのり立つ湯気。また口が動く。
「うまそ」
ルナは顔を伏せ、静かに机を叩いた。負けた気がした。
翌朝。
魔王はルナからの報告書を読み進め、上を向きながら額に手を当てる。
「複合的反応とか難しい言葉を使うな」
報告書を机に置いたあと、ふと天気が気になったのでテレビにつけた。すると、画面にはお天気お姉さん⋯⋯ではなく、黄金色にきらめく卵、ジューシーな肉、つややかなご飯。そして画面いっぱいに映し出されるカツ丼。
「うまそ」
魔王は静かに口元を押さえた。
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