第17話 過去

 ――あれは、運命だった。



 ……なんて、都合が良すぎるか。あくまで、あたしにとっての、だし。それでも……うん、あたしにとっては運命そうだった。その相手が、昨年の四月に出逢った秀麗な男性――当時通っていた地元の高校にて、あたしの所属する一年B組を受け持つ先生だった。


 その男性ひとは、とても優しかった。きっと家庭環境の影響もあり、人と上手く話せない――どころか、口を開けば相手を苛つかせてしまうらしいあたしをいつも気に掛け、仕事で忙しいだろうにいつも親身に相談に乗ってくれて。そして、そんな彼に特別な好意を寄せることにさほど時間は掛からなくて。


 だけど……彼には、妻がいた。当校にて、二年C組の担任を務める教師の妻が。当校の教師として出逢ったとのことなので、いわゆる職場恋愛からの結婚、ということになるのだろうけど……でも、経緯なんてどうでもいい。ともあれ、相手がいるならどうしようもない。なので、あたしの想いは胸の奥底へと秘めたまま、いつか忘れ去る日が来るのを――


 ――なんて、本来ならそうなるのだろう。なるのだろうけど――生憎、あたしはそんな真っ当な人間じゃなくて。

 なので、とにかく探した。我ながら最低だとは思うけれど……それでも、彼女の粗をとにかく探した。なるべく重い――それこそ、あの優しい彼ですら別れを決意せざるを得ないくらいの致命的な粗を。


 すると、そんなある日のこと。綿密な調査の結果、見つかったのは粗どころではなく――なんとあの女は愛人の男と共謀し、彼から財産を巻き上げて逃亡する計画を立てていたことを知った。




 

「――香坂こうさかさん、だったよね? どうしたの? こんな時間に、こんなところに呼び出して」



 朧な月の浮かぶ、ある宵の頃。

 閑散としたアーチ橋の歩道にて、柔らかな笑顔でそう問い掛ける端麗な女。もちろん、彼の同僚かつ妻たるあの女で。

 ……ただ、それにしても……この笑顔、そして口調からだと到底信じがたい。信じがたいの、だけれど……それでも、あれが事実なのは間違いない。そう断言できるほど、それはもう綿密に、徹底的に調査を重ねたのだから。なので、滔々と……いや、たどたどしく話して聞かせる。彼女について、あたしの得た情報の全てを。そして――



「……お分かりですよね、先生。もう、彼に関わらないでいただけますか?」



 そう、じっと睨みつつ告げる。まあ、そもそも刑法に当たる事案なのだけれど……でも、それを言ったらあたしの行動だって刑法それに当たる事案なのだろうし……何より、刑罰それは間違いなく彼の望むところではないだろうから。だから、あたしとしてはこれで手打ちに――



「…………はぁ?」



 すると、低い声で呟く女。さっきまでの――学校での優しそうな彼女と同一人物とは全く以て思えない、明確に敵意に満ちた声で。そして、その目は身体を射貫くほどに鋭く――


「……っ!!」

「……お前みたいなケツの青いガキが、大人の世界に調子こいてしゃしゃり出てくんじゃねえよカスが!」

「……ぐっ……」



 刹那、呼吸が止まる。卒然、女があたしの首根っこをぐっと掴んだから。どうにかこの悪魔の手から逃れるべく、とにかく手足をジタバタさせ抵抗を試みる。……どうか、どうにか――



「………………え」



 ふと、ポツリと声が。と言うのも――ジタバタさせていた足が偶然にも女の足を引っ掛け、ふらっと体勢を崩した彼女はそのまま車道へ。そして、本当に……本当に折悪しく、一台の車が彼女の方へと直進し――


 それから、ほどなくのこと――あたしの視界に映ったのは……頭から真っ赤な血を流し、もう微動だにしない女の姿だった。




 それから、翌日のこと――当然ながら、あたしは重要参考人として聴取を受けた。だけど、幸い……と言っていいのか、あたしへの嫌疑はほどなく晴れた。いや、もちろん彼女の死に関わったのは間違いないけれど――僅かばかりながら、どうやら目撃者がいたとのことで。あたしの首を掴み、そこから逃れるためにやむを得ず相手の身体を強く押した際に、運悪くそのまま車道へと――そのような証言が、表現や把握の度合いは違えど数人から得られたのと、遠巻きながらその様子を撮影してくれていた映像などから証言に矛盾のないであろうことも確認されたため、あたしは晴れて釈放となった。


 ともあれ、これで一件落着……なんて、人ひとりの命が亡くなっているのに、そしてあたし自身そこに関与してるのにそんな不謹慎なことはとても言えないけど……それでも、この件は不慮の事故ということで終わりを迎えたかのように思えた。



 そして、それからほどないことだった――SNS上にて17歳の女子高生、香坂葉乃はのを殺人犯とする投稿が上がり瞬く間に拡散されたのは。




『…………なに、これ……』



 思いも寄らぬ衝撃の光景に、ただただ茫然とするあたし。画面そこには、あたしの名前や写真、出身校、更には家の住所までもが記されていて。そして、それは瞬く間に学校中の知るところとなった。

 そういうわけで、言わずもがなかもしれないけど学校でのあたしの居場所はなくなった。……いや、もともとなかったかな? まあ、だとしても以前とは比較にならないくらい居心地が悪くなったのは間違いない……と言うか、普通にイジメのようなことも散々受けて。


 ……でも、しょうがないのかな? ほら、あたしって罪人……それも、殺人犯なわけだし。なのに、法にも裁かれずのうのうと生きてるんだから、国家に代わって制裁をというが現れても何ら不思議はなくて。


 ただ、それよりも何よりも効いたのは……うん、やっぱ親だよね。親に迷惑かけちゃったのはほんと申し訳ない。……まあ、謝って許されるようなことじゃないけれど。



 そして、あの日――自殺願望を抱きながら、玉のような月の浮かぶ水面を独りぼんやりと眺めていたあの宵の頃――卒然、あの人が現れた。



『――香坂葉乃ちゃん、だよね?』




 ――その日から、あたしの世界は一変した。ちょっと意地悪だけど、いつもあたしを心から気にかけ護ってくれるローブの男性、宵渡よいとさん。彼のお陰で、あたしは救われて――現在いま、本当に幸せで。


 ……だけど……うん、もう終わりかあ。短い幸せだったなあ。でも……うん、それでも十分にありがたい。分不相応にもほどがある、あたしなんかが決して願ってはいけない陽だまりのような幸せを束の間だけでも享受できたんだから、それだけでも本当に幸運で。


 ……だから、もう十分。ありがとう、宵渡さん。そして、さよなら。そして、どうか……どうか、幸せに――




「――おや、こんなところにいたんだ。葉乃ちゃん」


「…………へっ?」



 刹那、鼓膜を揺らす声。それは、何処か揶揄からかうような――それでいて、あたしの良く知る柔らかな声。ゆっくりと、声の方向――少し後方へと振り返り、震える唇で言葉を紡ぐ。



「…………宵渡、さん……」
















 

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