背徳の香りと破れぬ誓い

暦海

第1話 ……でも、それでもいい。

「…………はぁ」



 嫌と言うほど綺麗な月の浮かぶ、ある宵のこと。

 ふっと、暗鬱な吐息いきを洩らす。そんなあたしがいるのは、閑散としたアーチ橋の上――その欄干へと身体を預け、玉のような月の浮かぶ水面を独りぼんやりと眺めている。……いっそ、ここから落ちてしまえば――


 ……いや、でもそれで生き残ってしまったら? 耐え難いほどの痛みだけが残り、しぶとく生命いのちだけは残ってしまったら? まさしく、それは最悪。だったら、より確実な方法で死を――


 ……いや、所詮はこれも言い訳……本当は、ただ怖いだけ。生きていたくもないくせに、自ら生命いのちを絶つ勇気もない――そんな、どっちつかずの臆病者に過ぎないだけ。……いっそ、あの中の誰かが本当にあたしを殺してくれたら――



「――香坂こうさか葉乃はのちゃん、だよね?」


「……っ!!」



 瞬間、呼吸が止まる。さながら光の如くパッと振り向くと、そこには――



「――うん、やっぱりそうだ。髪型や色は違うけど、間違いなく写真と同じ子だ」



 そう、飄々と話す真っ黒なローブの人。顔すらほぼ見えてないけど、それなりに高めの身長やローブ越しから想像し得る体格、それから声音などから恐らくは男性かと思うけど、それ以外の情報がまるでない。あまりにも謎なその風貌に、本来なら大いに気になるところではあるけれども……正直、それどころじゃない。あたしの写真を見ているということは、即ち――


「――ああ、逃げなくても良いよ。別に、咎めるつもりなんてまるでないから。どころか、あれが事実であればこの上もなく感謝しているつもりだし」

「……………へっ?」

「それで、肝心なところだけれど……あれは、事実なのかい?」


 すると、逃げようとするあたしの腕をさっと掴みそう口にする怪しい人。……咎めるつもりがない? どころか、感謝してる? ……どゆこと? どれだけ贔屓目に見ても、あれが咎められないこと――ましてや、感謝されるようなことでは絶対にないはずだけど……ひょっとして、あの人にそれだけ……いや、それはともあれ――


「……うん、本当だよ」

「……そっか」


 そう、淡く微笑み告げる。彼の正体も、その言葉の意味するところもまるで分からない。……でも、こうなってはもう隠す理由もないしね。




「――それで、こんなところでどうしたんだい? あまり遅くなると、親御さんが心配するんじゃない?」



 すると、飄々としつつ何とも真っ当なことを尋ねる変な人。ただ、真っ当ではあるけれど配慮のある質問とは言えないかな。……でもまあ、答えたくない理由も別にない。なので――


「……心配なんてしないよ。するわけないじゃん、こんな親不孝な子どもなんて。むしろ、帰って来なければいいって本気で思ってるよ」


 そう、淡く微笑み答える。そう、あたしのような親不孝者を心配なんてするわけない。むしろ、このまま何処へでも行って帰って来ないでほしいと今も本気で願っているだろう。……まあ、だからと言って責めるつもりもないけれど。だって、あたしのせいだし。むしろ、申し訳ない気持ちでいっぱ――



「――そっか、それはお気の毒に。それじゃあ……もし良かったら来るかい? 僕の家に」


「…………へっ?」



 すると、不意に届いた衝撃の言葉。……えっと、どゆこと? なんで、急にそんな――



「――まあ、そう怪しまないでよ。取って食おうってわけじゃないから。そうだねえ……まあ、僕なりの恩返しだと思ってもらえばいいかな。さっきも言ったよね? この上もなく感謝してるって」

「……おん、がえし……?」


 すると、私の疑問に答えるようにそう口にするローブの人。……いや、怪しむなって言われても……あと、恩返しってどゆこと? 正直、目的だと言われた方がまだ理解が出来る。一応、これでも女子高生――それに、容姿にはそれなりに自信があるし。……いや、もう退学したので女子高生ではないんだけども。



「……それで、どうする? 葉乃ちゃん」


 すると、改めてそう問い掛けるローブの人。恐らくは見ず知らずの人からの、全く以て不可解な提案……もちろん、目的なんて分からない。分からないけど、それでも――


「……そっか。だったら……うん、遠慮なく恩を返してもらおっかな」


 そう、ふっと微笑み答える。もちろん、何一つとして分からないけど……でも、それでもいい。そもそも、もはや帰る場所なんて実質ないんだし。






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