第15話 春祭り(前編)

 ゴブラン織りのソファに浅く腰掛けて、『わたし』は微笑んでいる。上品な、けれど決して華美ではないドレスの裾を、ほんの少しだって動かさないままに。


 裁縫、読み書き、算術、礼儀作法、話術、楽器に乗馬。いずれ良き妻、良き母になるために、必要だと言われた知識や技術たち。貴族の娘は、それを生きる術として幼少期から叩き込まれる。

 たとえそれが『飾り人形』と揶揄されようと。

 

 そして『わたし』——セレスティアもまた、例に漏れず飾り人形として生きていた。

 

 ただひとつ、セレスティアが他の貴族娘と違うところといえば……


『殿下』


 艶やかな来客用ソファから立ち上がり、セレスティアは大きな書き物机に向かった。彼女が殿下と呼んだそのひとは、勉強か仕事かは定かではないが、書面からはひとつも顔を上げずに答える。



『なんだい、セレスティア』

『お邪魔をして、申し訳ありません。お手紙が置いてありましたので……』


 セレスティアの手には、一枚の封書。全く見たことの無い封蝋が押されているものだ。殿下はちらりとそれを見上げると、少し気まずそうな顔をして奪うように取り上げた。


『預かるよ。それより、セレスティア』

『なんでございましょう』

『この手紙については、僕と君だけの秘密だよ。少し込み入った話だからね……誰にも言ってはいけないよ。約束だ』

『……承知しましたわ』


 その言葉に、殿下の目元が優しくたわむ。

 輝く金色の髪に、透き通るような青い瞳。穏やかで優しいこの人は、この国の王太子殿下であり——

 

『さすが、僕の婚約者だ。きみは、どの娘より従順で賢いね。素敵だよ』


 セレスティアの婚約者だ。


『勿体ないお言葉ですわ』

『そんなことないよ。これからも、僕やこの国のために宜しくね』


 殿下は笑う。だから、セレスティアも微笑む。それが正しい振る舞いだから。求められる行いだから。

 

(わたしは、あなたにお仕えするために生まれてきたのですから……)


 と、ノックの音がして、扉が開いた。炎の揺れる燭台に隠れてその顔は見えない。

 が、柔らかく低く通る声は、セレスティアもよく知る人物のそれだった。


『ごきげんよう、殿下。我が妹が訪ねていると聞いて、様子を見に来たよ』


『話したいことがあったし。それに、妹が迷惑をかけていないか、気になってね』

『ああ、君か。セレスティア、君の兄上が来たよ。一緒に行こう』


 殿下が手を差し出す。セレスティアはほっとした気持ちになっている。

 だって彼は。この世界で唯一、セレスティアのことを見てくれている人。大好きな、大切な——


 

「っ、は……」


 リュネは目を見開き、それから脱力してまぶたを下ろすと、ゆっくりと息を吐いた。


(セレスティアの夢だった……)


 まだ、あの煌びやかな光景がまぶたの裏に焼き付いているようで——目眩がする。あんなところ、戻れと言われても二度と戻りたくは無いのに。


「よお、リュネ。寝坊か?」


 支度を済ませて部屋を出ると、もう既にカイルが椅子に腰掛けていた。彼はこちらを見るなりにやにやと、からかうように目元が細くする。

 

「あなたが早起きすぎなのよ、カイル。眠れなかったの?」

「は? ちげえし」


 まだ何か言いたげな彼を無視して、リュネはカゴを持った。ずっしりとした重みのそれは、今日この日のためのもの。

 ドアを開き、振り返る。温かい土のにおいが鼻腔をくすぐった。


「さあ、今日は、めいいっぱい楽しみましょう」


☆☆☆


「魔女さま、おはようございます」


 本部の建物に向かうと、管理人の男が軽く会釈をした。


「おはよう。もうかなりの人手ね」

「ええ。昨年より大勢の方がいらっしゃっているようで……ありがたい限りです」


 実際、ここに来るまでに、出店の多いメインストリートは相当な人で埋め尽くされていた。カイルは早速その中に埋もれてどこかに行ってしまったが、それはきっと何か美味しいもののにおいに釣られていったのだろう。


 管理人の男は書面に起こしたイベント割りを持ってきて、リュネの前に広げる。


「昼ごろ、領主さまがいらっしゃって、今夜晩餐会を開くそうです」

「ええ。マナーを守った飾りやメニューにしたから、きっと大丈夫だと思うわ」

「……それで、念の為、そこに魔女さまにもいて欲しくて」


 その提案に、リュネは目を丸くした。


 通常、貴族の晩餐会に平民は入れない。今回は村祭りの一環なので、調理や配膳をするための平民は許されるだろうが、そのどちらもリュネは得意ではない。

 確かに己は魔女だが、調理は料理人がやった方がいいし、配膳だってもっと慣れた者が行った方が『粗』は無いだろう。付け焼き刃で挑めるほど、貴族の場は甘くは無いから。


「わたし、ご招待されていないのだけれど……」

「晩餐会本体ではなくて、裏方として。お忙しいとはわかっておりますが、何かあった時に我々だけで対処できるか不安で」


 それならば納得だ。不祥事で、この村の不興を買うこともない。事前に送られてきた指示書からして、ここの領主よりも相当高位な貴族が来ることは予見できている。


「分かりました。なら、ささやかながら厨房の方をお手伝いさせていただくわ」

「ありがとうございます……! 後でうちのにいい肉を持たせますから。カイルさんとご一緒にどうぞ」

 

「ふふっ、お気遣いありがとう。お子さんたちにも、是非うちの出店に来てねって伝えてちょうだい」



「よお」


 本部を出て、近くをうろついていると、唐突に肩を叩かれた。振り返れば、


「楽しんでるわね」

「一周してきた。昼には、子豚の焼いたやつが出るらしい」


 ぺろりとカイルが舌鼓を打つ。彼はそのまま、堅パンを口の中に放り込んだ。はちみつの塗られたそれは、お祭り専用の甘いお菓子。


(まあ、楽しそうなら何よりだわ)


 と、

 おもむろにカイルがリュネの頭に手を伸ばした。目をぱちくりさせている間に、なにか軽いものが頭の上に被さる。

 触れてみればそれは花かんむりで。よくよく見れば、カイルの胸元にも、早咲きの淡いピンクの花が咲いている。目を合わせると、カイルはぷいっとそっぽを向いて口ごもった。


「正装なんだろ。ガキどもがつけろつけろってうるせーんだ」

「これも?」

「……なんだよ、俺が選んだらいけないのかよ」

「そんなこと言ってないじゃない、もう……」


 リュネは花かんむりを少し下げ、その作りを確かめる。小粒な、けれど鮮やかな黄色い花たち。カイルの飾りをシンプルと表現するならば、リュネのそれは華やかで目に眩しい。


「このかんむり、素敵。ねえ、わたしの髪色に合わせてくれたの?」

「……それ見つけたとき、あんたの色だと思ったから」


 カイルの不機嫌な顔が、より険しくなる。

 いや、違う。

 これは不機嫌なのではなくって——。リュネは思わず笑みがこぼれていた。


「ありがとう、カイル」


「魔女さまあ!」

「あっ、カイルだ」

「カイルお花つけたー?」


 わらわらっと集まってきたのは、小さな子どもたち。みな、明るい色合いの服に思い思いに飾りをつけていて、まるで春の妖精のよう。

 こんにちは。そう挨拶をする前に、女の子の集団がわあっと歓声を上げた。


「魔女さま、お姫さまみたい!」

「かわいい〜!」

「じゃあ、カイルは王子さま?」

「なっ……!」


 ぎゅるん、と音が出そうな勢いでカイルが振り返る。が、女の子たちは首を横に振って、どこか大人ぶった様子で続けた。


「えー? ないよお」

「カイルに王子さまは無理よねえ」

「だよねえ。カイル、カッコイイけど顔が怒ってるもん」

「言葉遣いも綺麗じゃないし。王子さまなら、もっとニコニコしてるよね」


 忖度のない意見に、リュネは堪らず咳き込む。素直で辛辣で、無邪気な評価。隣のカイルは、歯噛みしながらも小さなレディたちには何一つ言い返せない。


「言われっぱなしねえ。というか、あなた普段どんな振る舞いしてるの?」

「……くそっ」


 カイルは長い前髪をかきあげる。それは初め、苛立ちからなのかと思ったが——違った。

 

 彼はリュネの前に立つと、すっ、と膝を着いてリュネに手を差し伸べた。見上げる琥珀色の双眸は、魔法のように輝いていて。その顔が、花開くように微笑む。

 はらりと崩れた黒い髪さえ、計算して描いた絵画のよう。その変貌具合に、リュネでさえ、息を飲んでいた。


「手を。お嬢さん」

「……謹んで」


 カイルはリュネの手を取ると、その優美な微笑みを崩すことなくエスコートして、その場を後にした。周りの視線がふたりに注がれ、目を奪っていく。


 美しい微笑みのカイルは——リュネと目が合って、すん、と表情を元に戻す。あまりの変わりっぷりに、リュネはくすりと隠した口元で笑う。

 

「別人かと思っちゃった……」

「やりたかねーんだ、こういうの。ガキ共にムカついたから、仕方なかったけど」


(でも、手は離さないのね)


 春風が、温かな南風が、さらさらとリュネの花かんむりを揺すった。ざわざわと騒がしい祭りの中で、ふたりの世界は陽だまりのように温かかった。

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