年越し

志央生

年越し

 ボロ屋と呼ぶに相応しい外観と、隙間の風通しが良すぎる室内は冬の季節には度し難い環境と言える。そんなアパートの一室に私は年の瀬だというのに独りコタツに縮こまりながらテレビを眺めていた。

「おい、開けろ。俺だ」

 その最中、突然玄関口を強いノック音と怒号のような声がして眠りかけていた私は驚いた。声の主はさらにノックを続けて諦める気配はない。私としてもコタツの暖かさを捨ててまで玄関に向かいたくはない。

 だが、ここで玄関を開けなければ後になって面倒くさいことになることだけは予想ができた。「グッバイ、オアシス」と心の中で別れを告げて玄関口に向かい、施錠していた鍵を開ける。

「やっと開けたか。寒くて死ぬかと思った」

 そう言って玄関扉を開けて立っていたのは、隣人の先輩だった。両手に下げたスーパーの袋から長ネギが頭を覗かせている。

「何しにきたんですか」

「何しにって、決まっているだろ。年越しそばを作るんだよ」

 こちらが何か口にする前から勝手に部屋に上がり込み、持っていた袋を台所に下ろす。慣れた手つきで片手鍋を取り出し、蛇口を捻って水を注ぐ。そのどれにも家主である私への確認はない。

「いやいや、別にいらないですから。自分の部屋で作って食べてください」

 寒さに身を震えさせながら私は先輩にそう伝える。

「何を言ってるんだ。そんな寒そうにしているじゃないか。そばは温まるぞ。それに一人で年越しそばなんて寂しいじゃないか」

 コンロに火をつけながら、次にまな板と包丁を用意している。もはや、私が何を言ったところで止められないと諦めるしかなかった。

「お湯が沸くのを見ていてくれ」

 手伝うとも何とも言っていないのに先輩から指示を出され、渋々ながら火の番をする。隣では慣れた手つきでネギを輪切りにしていく先輩がいた。

「なんでネギなんて切ってるんですか」

「馬鹿野郎、そばだけ食うなんて味気ないだろ」

 ネギを切る手を止めて、私の方に顔を向けて先輩はそう言った。

「だったら、海老の天ぷらとかかき揚げのほうがいいんですけど」

 そう不満を口にすると先輩は短くため息を吐いた。

「わかってないな。年越しそばは願掛けみたいなものなんだ。来年も細く長く生きられますように、ってな。そこに海老の天ぷらやかき揚げみたいな豪華なものなんて欲張りすぎなんだよ。そんなもんより、ネギくらいの少し鮮やかな薬味がちょうどいいんだよ」

 そんな御託を先輩は語りながら手際よくネギを切り、そばを作り上げていく。

「もうすぐできるからな、そっちの部屋を片付けとけ」

 指示されるがまま私はコタツの上の天板を綺麗にして、体をコタツのなかに入れる。

「ほらよ、こいつが年越しそばよ」

 どんぶり二つを持って先輩がこちらに来る。コタツの上に置かれたそばは湯気が立って暖かいのがわかる。

「さぁ、食おう」

 箸でそばを掴み、熱気を冷ますように大きく持ち上げる。その横目にテレビが見えた。そこには歌番組が終わり、新年を祝う言葉が流れていた。

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年越し 志央生 @n-shion

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