第8話 病魔の月、そして影の球団

 午後四時、西宮。


 蓮司は久しぶりに地元へ戻っていた。

 駅前の雑居ビルの最上階にある古びた漫画喫茶で、身を潜めるようにコーヒーを啜る。


 窓の向こうには、焼けるような西陽が差し込んでいた。

 それはまるで、かつての“西宮の狂犬”としての時間すらも焦がして溶かそうとするようだった。


 その背中に影を落とすのは――病魔だった。


 蓮司は医者に言われていた。「このままじゃ、年は越せない」と。

 肝臓。内臓。ボロボロだった。

 だが、死ぬにはまだやり残したことが多すぎた。



---


 その頃、西宮市内で殺人事件が発生した。

 被害者は40代の元スポーツ記者。

 胸に刺さったナイフ。凶器の指紋は拭き取られ、現場には何も残されていなかった。


 が、手帳の最後のページにだけ、こう記されていた。


> 「月はまだ、球団を照らしていない。Rの影が濃すぎる」




 “R”――矢代蓮司のイニシャル。

 地元警察は顔をしかめながら捜査を始めた。

 だが、蓮司の元に最初に接触してきたのは警察ではなく、検察だった。



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 西宮地検の特捜部に所属する男。

 スーツを着崩したその姿はどこか豊川悦司を思わせる佇まいだった。


 名は古城 一真こじょうかずま

 検察の“剣”と呼ばれた切れ者で、かつて蓮司と一緒に捜査をしたこともあった。


 「蓮司。あんたがやったとは思っちゃいねえ。でもな……この街で動くには、“過去”を洗う必要がある」


 「……過去は死なねぇ。ただ、夜になるとまた動き出す。それだけだ」



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 事件の糸口は、殺された記者が追っていた“ある企業”だった。

 名前は**「月神建設」**――表向きは住宅メーカー、だが実態は、

 プロ野球球団の裏スポンサーであり、

 過去に“八百長試合”と“選手の不審死”が噂されていた組織だった。


 その球団の名は、かつて関西にあった――が、数年前に消滅していた。

 “理由不明の消滅”。“関係者の沈黙”。

 だが、記者はそこに“R”の関与を疑っていた。



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 深夜。蓮司は漫画喫茶の個室で、記者のUSBメモリを開いていた。

 そこには、月神建設とある元球団オーナーのメールの記録。


> 「“R”の存在が再浮上している。奴が死ぬ前に、“月”を隠せ」




 “月”とは何だ。

 金か。記録か。

 それとも……球団消滅の真相か。



---


 そして――次の瞬間。

 画面が真っ暗になり、

 ドアの向こうから足音。


 蓮司はそっとリボルバーに手を伸ばした。


 だが、現れたのは一人の女だった。


 長い髪、うっすらと化粧。どこか常盤貴子を思わせる優しい眼差し。

 名前を南 みなみあずさ。記者の妹だった。


 「兄が最後に頼ったのはあなたです。あの人は死ぬ前、“Rは味方だ”って……言ってました」


 蓮司は、静かに西陽の消えた窓を見上げた。

 そこに浮かぶのは、ぼんやりとした月だった。



---


 「……もうすぐ、全部終わる」

 「その代わり、誰かが地獄へ落ちなきゃなんねぇ」


 そう呟いた蓮司の声に、

 梓はただ、小さく頷いた。



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