第5話 ニイタカヤマと日曜の銃声

 日曜日。午後3時。佐世保。


 港町に吹く風はどこか懐かしい潮の匂いを孕んでいた。

 西宮を発ち、夜行バスとフェリーを乗り継ぎ、蓮司はこの街へ来た。ニキータのメモに導かれるように。


 その日は奇しくも日曜日。

 だが蓮司に休みはなかった。喫茶店で一杯のコーヒーを啜ると、情報屋から届いた封筒を開けた。


 中には、津田寛治似の男の写真。

 名前は白崎 英一郎しらさき えいいちろう。長崎県政と深く関わる元議員秘書で、現在は民間の「国際交流財団」の幹部。

 だが実態は、ニキータの日本での連絡係――**次の“標的”**だった。



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 午後4時過ぎ、蓮司は佐世保駅前の屋台村へ向かった。


 目当ては、情報屋ジョージが言っていた「ある店」。


 「そこの肉そば屋に、毎週日曜だけ現れる常連がいる。そいつが“レスリー・チャン似”の若造で、白崎に繋がってるって話さ」


 屋台ののれんをくぐると、香ばしい出汁の匂いと、微かに汗のような空気が鼻をくすぐった。


 「肉そば一丁!」


 声の主――確かに、どこか中性的な美貌。レスリー・チャンを彷彿とさせる若者が、汁の跳ねたシャツを着たまま、うまそうにそばをすすっていた。


 蓮司が隣に腰を下ろし、低く囁いた。


 「白崎はどこだ。答えなけりゃ、今ここで“肉そばの汁ごと地獄行き”だ」


 若者は笑った。


 「……ニイタカヤマノボレ、って知ってます?1941年の暗号です。“ヤマノボレ”の命令が来たら、戦争は始まる」


 「暗号遊びか? こっちはもう“開戦中”なんだよ」


 蓮司の手が、腰のホルスターへと伸びる――がその瞬間、銃声。


 若者の胸に、赤い花が咲いた。


 背後から放たれた一発。

 レスリー・チャン似の青年は、肉そばのどんぶりに顔を突っ込んで、二度と動かなかった。



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 「よぉ、久しぶりだな。蓮司」


 振り返ると、そこには坂東三津五郎を彷彿とさせる男がいた。

 薄く笑うその目、立ち姿には品と凶気が同居していた。


 「警視庁公安部外事課、黒部大吾くろべだいご。お前を消せって命令も、まだ生きてる」


 蓮司は吐き捨てる。


 「命令で撃って、誰を守った気になってんだ?」


 黒部は淡々と告げた。


 「ニキータは“ニイタカヤマノボレ”と同じ。発信された瞬間、国が動く。ヤクザも政治家も企業も、みんな仕込まれてる。お前が手を出せば……“戦争”だ」



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 夜。

 蓮司は佐世保の古い船溜まりにいた。


 岸辺に浮かぶのは、解体予定の旧軍艦の残骸――

 まるで戦後の幻のようだった。


 波間に漂うその艦の名は「第七ニイタカ丸」。

 白崎英一郎が最後に出入りしていた場所としてマークされていた。


 そこに、蓮司の姿はなかった。



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 代わりに、船の中で白崎を待っていたのは――一発の銃声だった。


 射殺された白崎のポケットには、短く折られたメモが挟まっていた。


 《“ニキータへ伝えろ。次は私が撃つ番だ” — R》



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 夜明け前。


 蓮司は波止場のベンチに座り、冷えた缶コーヒーを飲んでいた。


 「……日曜ってのは、本当は、血じゃなくて酒の匂いで終わるもんだ」


 独り言のようにそう呟き、皮ジャンの襟を立てる。


 闇はまだ深く、次の標的の足音が、遠く潮の彼方から聞こえていた。



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