校長先生からお話があります
月見 夕
雨が止みませんね
林間学校、もしくは自然教室。
普段の便利な生活から離れて山間の研修施設に泊まり込み、大自然に身を投じて集団生活をやるあれである。カレーを作ったりマイムマイムをやったりするあれだ。世代や地域に違いはあれど、大体誰もが行ったことがあるのではないだろうか。
ご多分に漏れず私も行った。確か小学五年生のときだったと思う。
私の地元は鹿猿猪とともに生きているようなまあまあな田舎だったので、「わざわざ別の山に行かんでも」という感は否めなかったのだが。
しかし十歳代前半、泊まり込みというだけでテンションが上がるお年頃。行き先が地元と変わらぬ山だろうとなんだろうと出かけられれば何だっていいのである。百名近い同級生とともに、私も期待に胸を膨らませて行きのバスに乗り込んだ。
二泊三日の自然教室は、あいにくの雨の中でもつつがなく行われた。傘をさして山中を散策したり、狭い屋根の下で肩を寄せ合いながらカレーを作ったり、友達と布団を並べてこっそり夜更かししてみたり。私たちは可能な限り楽しんでいた、と思う。
正直この辺りの記憶が曖昧だから、細かいことまでは想像でしかないけれど。
多くの生徒が最も楽しみにしていたのは、二日目の夜に行われる予定の肝試しだった。
研修施設の敷地の外れに小さな社があり、そこへ行って設置された御札を取って戻ってくる。
ただそれだけの単純な催しだが、男女ペアだけで暗闇の山中を懐中電灯一本で照らして歩くこと自体が小学生にとっては楽しみでしかなかった。自然教室の開催一ヶ月前から、任意の相手とペアになれるよう生徒同士での闇取引が横行するほどであった。
それだけに、二日目昼から降り続く雨は生徒たちの童心を折るのに充分だった。日が暮れ、夕飯の時間になっても止まない雨に、うきうきしていた小学生は目に見えてしょんぼりしていた。
全員大広間に集合、と臨時の招集がかかったのは、夕食後のことだった。
「皆さん。これから肝試しの時間ですが、校長先生からお話があります」
生徒たちは何だ何だとざわついた。
普段から寡黙な校長先生からこのタイミングで話とは何だろう。まさかお説教だろうか。さすがにそれはやめてほしい。肝試しが開催できないかもしれないと意気消沈するいま、さらに水を差すようなことはしないでほしかった。
さらにと言っては何だが、この校長先生はあまり生徒から人気がなかった。
二ヶ月前に赴任してきたばかりの校長先生は、生徒にとってまだ認知度が低すぎたのだ。そもそも校長先生という立場自体、授業でお目にかかることもなければ、全校朝礼の挨拶程度でしか顔を見ない人物だ。
どちらかというと寡黙で、スラムダンクの安西先生をダークサイドに落としたような強面は生徒たちの間で「実はヤクザらしいよ」と囁かれるほどであった。いま思えばちょっと可哀想である。
そんな校長先生は百人近くの小学生を前にして微笑んだ。
「いやあ、そんなに身構えないでください。それにしても雨が止みませんね。せっかく皆さんが楽しみにしていた肝試しですから、雨が止むのを待とうと思いましてね。少し私の昔話に付き合ってくれませんか」
ああそうか、きっと校長先生は皆と仲良くなりたいのだ。赴任したてで打ち解けていない生徒たちにとっておきの話をして、盛り上げようとしてくれているのだ。落ち込んだ私たちのために。
おどけるように話す先生を、私は初めて少しだけ可愛いなと思った。
先生とは付き合えませーん、だなんてどこかから小学生らしいヤジが飛んで、周りからくすくすと笑いが漏れた。まだ笑える空気だった。この辺までは。
「皆さんはこの近くに、小学校の校舎があるのを知っているでしょうか。この施設から山を少し降りた麓側……小さな校舎は明日のウォークラリーでもチェックポイントになっていますがね」
皆は隣と顔を見合せた。ここは通っている学校から数十キロ離れた山中だ。辺りにどんな施設があるのかなど小学五年生には知る由もない。
ちなみにウォークラリーとは、施設周辺の山中に点在するチェックポイントの写真を元に、地図なしで数キロを歩かせる冒険イベントだ。
「そこは表向きには廃校になったことになっています」
えらく引っ掛かる表現だ。訝しみ、顔を見合せていた生徒たちは話に引き込まれるように黙り込んだ。
「あそこは戦前から研究施設として稼働し、ある実験が行われていました。あまりに非人道的だということで十五年ほど前に実施を取り止めたそれは――人体実験でした」
何人かが息を呑んだ。さっきまでの柔和な笑みはどこへ行ったのだろう。先生は一体何を話そうとしているのだろう。
その場にいた生徒も補佐の教員たちも、全員が校長先生の挙動に釘付けになった。
「私は今やこうして教員として皆さんの前にいますが……教育委員会にいるときに、その研究施設の見学に派遣されたのです。どこに連れていかれるかなんて知らされないまま、目隠しをされバスに乗せられて……ね」
確か、校長先生は着任時の挨拶で「教育委員会から来ました」と言っていた。子供に対し話に信憑性を持たせるのが上手すぎる。
「施設に立ち入って、最初に違和感をもったのは「臭い」でした。生肉が古くなって腐る、独特の臭いです。理科の授業で習いましたね、腐卵臭とも言います。私は何の肉が腐っているのか、はあえて考えないようにしました。二回ほど吐いたら慣れましたから」
体験談だとしても生々しすぎる。校長先生の見た目と相まって、淡々とした語りは真実味を帯びていく。
「建物の中は本物の小学校のようでした。でもね、教室には皆さんが座る席の代わりに、ずらりと棚が並んでいたんです。理科室にあるような、背の高い棚です。棚いっぱいに大小様々な瓶が詰まっていました。何が入っていたと思います?」
誰かがごくりと生唾を呑む音がした。自分だったかもしれない。普段ならうるさいくらいにふざけて挙手する男子たちも一様に黙りこくっていた。
「瓶の中身を覗き込んで、私は叫びそうになりました。黄色いホルマリン液の中に、人間の眼球がぎゅうぎゅうに詰められていたからです。隣の瓶は歯、その隣は人差し指……瓶のラベルには、瓶の中身になった人々と思しき名前がたくさん書かれていました。棚の瓶すべてですよ。はは、几帳面ですよね」
その場にいる誰も笑わなかった。
窓を伝う雨だけが、筋を作って静かに流れていった。
「次に案内されたのは、プールでした。皆さんが夏になったら授業で使うのと同じ、二十五メートルプールです。プールいっぱいにピンク色の保存液が溜められていて……所狭しと、人の死体が浮かんでいました」
雨がざあざあと窓を叩く音だけが、部屋にしていた。そこに集まった百名近い子供と大人たちは、身動ぎの音も立てられないほどに凍りついていた。
このまま永遠に雨が降り続いたら良いのに、と思った。
「人間の身体ってね、水を吸うと膨らむんです。皆さんもお風呂に長く入ると、手がふやけたりするでしょう? あれが過ぎるとぶくぶくになってね、はんぺんみたいに柔らかくなって……元の形が分からなくなるくらいに、全身が腫れ上がるんです。おまけにね、肺やお腹に腐敗したガスが溜まるから、浮き袋みたいにぷかぷか浮くんです。今でも夢に見ます、桜みたいに綺麗なピンク色の保存液に浮かぶ、死体の数々。こう、指でつついても沈まないんですよ」
他にも体育館だとか校庭だとかの話があったような気がするが覚えていない。小学生の私のライフはもうホルマリン漬けの話の時点でゼロだった。
「今では研究施設としての役目を終え……すべての実験内容は闇に葬られました。今ではあの施設のことを、どれほどの人が覚えているのでしょう。どれほどの人が黙っているのでしょう……私もこの話をしたのは今夜が初めてです」
しん、と静まり返った大広間に、校長先生はふっと息を吐いた。笑ったようだった。
「それでもね、地元の方々は仰るんです。夜遅くや雨が強く降る日なんかにはね、誰かの啜り泣く声が聞こえるんですって。あの校舎跡から――」
余韻たっぷりに語り終えた校長先生は、手にした懐中電灯で顔を下から照らした。めっちゃくちゃベタだ。ベッタベタな怖がらせ方だ。
それでも、誰も声を上げられなかった。
茶化していた男子は真っ青になって黙り、半分くらいの女子はあまりの恐怖に泣き出し、過呼吸を起こして倒れる者までいた。教員陣もドン引きだった。いま思い返してもR指定だ。小学生には刺激が強すぎる。
校長先生は懐中電灯を消すと、両手をひらひらと振って誤魔化すように微笑んだ。
「あら皆さん、嘘嘘、嘘ですよ……「どこが嘘か」って? ……さあ、どこでしょうね? 皆さんのご想像にお任せします」
この期に及んでダメ押しを図るな。小学生の想像力は良くも悪くも無限大だ。
「さあて……ちょうど雨も止みましたし、肝試しに行きましょうか。折り返し地点からね、懐中電灯を照らすと見えるんですよ、その小学校が」
校長先生は懐中電灯の光をおもむろに窓の外に向けた。ここからは見えないはずの廃校が、そこにある気がして私たちはまたしても悲鳴を上げられなかった。
数泊遅れで学年主任の先生が「こ、校長先生の怖い話でした! 皆さん拍手〜!!」と滑り出て来たのだが、遅すぎた。何もかも。
最悪だ。最悪の締めだ。マジでこの死んだ空気の中やるのか、肝試しを。
ぱち、ぱち、とまばらな拍手をしながら肝試し会場へ追い立てられる私たちが最後に見たのは、思ったような反応が子供たちから来なくて凹んだ校長先生の横顔だった。
そのあと本当に肝試しが行われたのだが、百人近くいた好奇心旺盛なはずの子供たちが、誰一人として折り返し地点まで行けなかったのは言うまでもない。
校長先生からお話があります 月見 夕 @tsukimi0518
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