エピローグ

次の日の昼頃、警察が館に到着した。昨夜までの雪が嘘に思えるほどの快晴で、溶けていく雪に反射した陽光が眩しかった。漸く禁錮状態から解放され、館内には流れ込むように無数の人間が押し込んできた。全員がダイニングルームに集められ、そこには真希と俊典、美香、そして灰原の姿もあったが、昨夜灰原が娘を前に何を話したのかは分からない。


事件のあらましが岸辺によって説明され、灰原はこれまでの一連の犯行や、動機を自白した。昨夜と同一人物には思えない程窶れ、弱り切っていた。


館の玄関口付近の雪溜まりの中からは、ブルーシートに包まれたリュックが発見された。


中にはスノーブーツやコート、非常食、ライターなどの、島外への逃走のために用意した品々が詰め込まれていた。


事情聴取が終わると、捜査は一応の収束を迎えた。


より詳細な聞き取りは本土で行われるということで、全員が警察用船に乗せられ、緑青島を後にした。徐々に輪郭が小さくなっていく緑青島は、非現実的とも云える煌々とした日光に照らされ、島全体が輝きを発しているようだった。


「どうでした?」


携帯電話を警察に返し、甲板に戻ってくる岸辺に向かって三宅は尋ねる。


「ああ、何故か感謝されたよ。何度も何度もね」


そう云って岸辺は鉄柵に手を置き凭れ掛かる。


「それはそうでしょう。汚名を着せられてしまっていた娘の無実を晴らしたんですから」


「どうだかねぇ」岸辺は不満げに呟く。


三宅は抱いていた疑問を口にする。


「ところで先生。結局、VHSをレンジに入れた犯人は先生だったんですよね?


じゃあ、どうして私に教えてくれなかったんですか?ショックですよ。助手である私ではなく、多田さんに協力を頼むなんて」


岸辺はハハッと笑うと、


「だって君、嘘がつけないだろう。君が小山内さんに云ったことを忘れたのか?——あなたが犯人じゃないんですか、なんて。そんな君が犯人を騙すなんて到底不可能だと踏んだんだよ」


「あれは反省していますよ。思わず声に出ちゃっただけですから。でも、どうしてVHSをレンジに入れた人物を探そうとしていたんですか?先生が多田さんに頼んで入れてもらっていたのに」


「そりゃあ当然だよ。仮にも犯人を追う立場の者として、犯人の手前探す素振りを見せなければ、怪しまれてしまうかもしれないのだから」


成程と、三宅は頷き、視線を周りに向ける。


甲板には人が疎らに立っている。今でも灰原楓は警察から事情聴取を受けており、姿はない。俊典と真希、美香も船内にいるらしい。


「岸辺先生、三宅さん」


その声に背後を振り向くと、小山内と隆平が立っていた。


「ああ、二人とも。聞き取りは終わりましたか?」


「ええ、まだ話はあると思いますが。それより岸辺先生、この度はどうも有難うございました。これで姉も、雪子の無念も晴らされると思います」


深く頭を下げた小山内の前に、岸辺は大袈裟に手を振る。


「いやいや、とんでもない。でも、これで借りは返したとさせて下さい」


「借り?」


小山内は頭を上げると、首を傾げる。


「昨日の朝、事件の発覚後間もなく私達が犯人と疑われた時、あなたがいなければ弁解はさらに困難だったはずです」


「ああ。そういえば、そのようなことを仰っていましたね」


小山内は朗らかな笑みを浮かべた。


「どうしたんですか」


三宅は、突然頭を下げた隆平に尋ねた。


「申し訳ない」


隆平は改まった調子でそう云うと頭を上げ、


「昨夜は少し、いえ、かなり張り詰めていたのか取り乱し、あのような無礼を演じてしまいました。申し訳ない。小山内さんが止めてくれていなければ……考えただけでも恐ろしい。本当に感謝してます」


「そんな。それよりもう具合は大丈夫なんですか」


「ええ、ひとまず落ち着きました。両親のことは、これから少しずつ受け入れていきたいと思ってます」


「隆平さん、ずっと気にしていたみたいで。先程からずっとタイミングを伺っていたんですよ」


隣の小山内はまるで母のような視線を隆平に向ける。


二人を呼ぶ警察の声が響き、「では」と、二人は身体を翻す。


隆平はその途中で動きを止め、再びこちらを見遣ると、


「本当にどうも、どうも有難う」


そう云って船内へと戻っていった。


二人の背を目で追っていた矢先、二人を迎えにきた長身の警官と目があった。


あ、あれは……。向こうも驚愕の表情を貼り付けたまま、こちらへと歩いてくる。


「おい、大丈夫だったか?」


警部は目を見開いてそう云うと、すぐさま身なりを正して岸辺の方へ向き直り、


「久しぶりです、先生。娘が大変お世話になっております。こいつ、先生に迷惑かけたりしませんでしたか?」


人前だと一丁前に父親ぶるのが嫌いだった。


「いえ、いつも助けられてばかりですよ。お父さんに似たのか、かなり頭のキレる頼もしい編集者です」


二人してこちらに視線を向ける。


「もう、やめてよ。それに先生も変なこと云わないでください」


三宅は赤らめた頬を控えめに膨らませる。


「悪い悪い。しかし、まさかこんなところで再開するとは」


父はまだ何か話したそうだったが、仕事を思い出したのか首を振ると、


「兎に角、二人とも無事で良かった。では業務に戻りますので、また後で話しましょう」


岸辺に向かってそう云うと、父は踵を返した。


数歩歩いたところで、彼は再びこちらに向き直り、


「何かあったらすぐ父さんに電話しろよ」


右手を上げながら微笑むと、船内へと戻って行った。


「はあ……まさかお父さんも来ていたなんて」


「相変わらずエネルギッシュな人だね。見ていると元気をもらえる」


「そうですか?」


三宅は不満げに俯く。


「そういえば、隆平さん、かなり元気になっていてよかったですね」


居心地の悪さを払拭すべく、三宅は話題を変えた。


「ああ。まあ昨日の行動も無理もないと思うね。人間、本当に追い込まれた時にどんな行動を取るのか分からない」


「そうですね。でも、少し灰原さんにも同情してしまいます。さっき警察の方から少し話を聞いたんですけど、彼女、小さい頃に父親が蒸発してしまったらしいんです。お母さんと二人で暮らしていたみたいなんですけど、その後母親が再婚して再婚相手の連れ子と共同生活を始めてから、両親のいない間義姉四人にかなり陰湿な嫌がらせを受けて失踪したこともあったみたいで。そんな時に兼光氏と会ったのかと思うと、なんかこう……」


三宅は同意を求めて岸辺の顔を見たが、彼は不服そうだった。


「四人の義姉?さながら『灰かぶり姫』みたいだ」


「はいかぶりひめ?なんですか、それ」


「『シンデレラ』だよ。去った恋人を探していたのは、姫の方だったみたいだけど」


岸辺はそう云って、視線を水平線に向ける。


「でもどうだかね。そうやって彼女を美化するのは頂けないな。事情はどうあれ、人の命を奪うのは到底許されることではない」


「犯罪がいけないのは私も分かってますよ。でも思えば、灰原さんは電話線を切ってしまうこともできたんですよね。でも、そうしなかったのは、持病を持っている真希さんにもしものことがあった時のため、だったのかもしれませんよ」


三宅もまた、去りゆく緑青島の方に視線を向けた。


「それが正体に繋がる証拠になってしまったとは皮肉だね。でも、犯人の心理を探るというのも不埒だよ。彼女の思考に環境的要因が影響はしているのは否定できないが、彼女の全てを説明できるわけでもないのだし」


そう云って岸辺は煙草を欲したのか、ポケットを漁り始めた。


しかし、そこから出てきたのは煙草ではなかった。


「それ、『大江戸惨殺譚』のポスターじゃないですか。持ち出しちゃったんですか」


「ああ、入れたままだったか。悪いけど、多田さんか小川さんに返してきてくれないか」


三宅は風に揺られるポスターを受け取った。


「皮肉だな」


岸辺は横目でポスターを覗き込みながら云った。


三宅は、ポスター中央、題名の下に掲げられた惹句に視線を向けた。


———『愛は悠久の時を超える』

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緑青島の殺人 岸辺 @nigezakana

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