うんうん、それは相談相手が悪いね

アレク

1.

 日差しが夏の本番を現している。汗が脇や背中を支配し、服に染みていないか心配になる。


 あなたは講義に出ていた参考書を借りるために図書館に行っている途中なのだが、この暑さにやられて帰ろうかと思っている。しかし、ここで引き返しても仕方がない。


 しばらく歩いて図書館の扉を開き、中に入る。涼しいエアコンの風が迎えに来る。汗ばんだ身体に癒しを与えてくれる。


 そして入り口から奥に向かう。手前には絵本や雑誌、漫画など取り付きやすいものが置かれていた。あなたが探しているものは難しい講義に出てくる頭の硬い本だ。


 奥に進むと、無数の本棚から目当ての本を探す。柔らかい絨毯が足の裏から疲労を癒すようだった。このジャンルの棚だろうと思った本棚から下から上まで隅々まで探す。


 違う、違う、これは……違う、これも違うけれど今度の講義に出てきそう。あ、あった。


「人違いでしたらすみません。もしかして…」


 横からあなたの苗字を呼ばれた。振り向くと、その柔らかい声質の男性は真屋マヤトオルだった。いいブランドのアイボリー色のシャツに、彼らしい柔らかな茶色のスラックスを着ている。懐かしさを感じる。


 高校生の時に大学受験をサポートしてくれた塾講師である。あの時にこの先生がいなければ、あなたはこの大学の地を踏めていないだろう。


「真屋先生? お久しぶりですね」

「お久しぶりですね…その呼び方も懐かしいですが、私はもう塾講師を辞めたんですよ」

「なら真屋さん」


 そう呼ぶと彼のツリ目がちな瞳は細くなり、少し赤くなった。


 そういえば塾内でモテそうなのにモテないランキング一位に彼が居たのを思い出した。明らかに女性に不慣れなのが面白いという理由だったような気がするが、彼の様子を見てるとあながちこの記憶は合っているのだろう。


 話を戻そう。この話は失礼である。


「真屋さんは普段図書館に来られるんですか?」

「えぇ、本は好きですから。君は?」

「この参考書を探してて…」


 スマホを取りだし、参考書を見せる。すると彼はすぐにあなたでは背伸びをしても届かなさそうな所の本を取りだした。


「今は二年生でしたっけ、この時期にこの人を取り扱うなんて中々難しくなりましたね」

「色々と難しいですよ。学業もそうなんですが、人間関係の方も恋愛も…そういえばお仕事は今日お休みなんですか?」



 彼から本を受け取る。


「完全週休三日制だからね。自分でも言うのはアレだけどホワイト企業から内定を貰えまして」

「へ〜そうなんですか」


 しばらく二人で話していると、司書から静かにしろとお怒りの注意を受けた。そして本を借りた後はあまりの暑さに負けて涼しいカフェに寄った。


 金曜日の昼下がりに紅茶とケーキをいただく。彼もまた紅茶であった。砂糖とオシャレの甘さ、店内のちょうど良い騒がしさはあなたにとってとても心地よかった。


「すみません、私のせいで怒られてしまって。ここは払います」

「え、そんないいですよ、私の方がうるさくて怒られちゃったから」

「お気になさらず。大学生および六つも年下の子に出させる方が恥ずかしいじゃありませんか。それより悩んでいる事というのは? 君は受験生の時からモテますし、ストーカー被害にあったりしていたら元講師として放っておけません」


 あなたは受験生の時、告白を受けたことがあった。その相手は容姿も性格も良かったし人気もあった人だが受験に集中したかった為フッたらクラスの中でハブられてしまった事がある。


 その時はとても辛く、毎日瞼が痛く腫れるまで泣いていたが、真屋が合格して見返そうと言って励ましてくれた。彼はとても真摯な顔であなたのサポートをずっとしてくれた。


 今も教え子のために悩みを解決しようとしてくれるのだろう。あなたは最近行き詰まっている課題や好きになった人について話した。特に好きな人に関しては彼も恋愛経験は豊富ではないにしろ、本当に真剣に聞いてくれた。


「その好きな人のSNSがこれなんだけど、どう思う? 友達からは絶対に脈アリだよって言われてるんですけど…」

「これは俺からの視点で、偏見も混ざってるけど彼は様々なコミュニティに居るから好きになる人の範囲も狭いと思うね。今はまだ友達として接している感じかなぁ」

「友好関係が広いタイプってストライクゾーンは狭いですもんね…真屋さんは? 恋人は出来たんですか?」

「理想が高くてね、ははは」


 彼は苦い顔をしている。カップの中の紅茶の香りは薄れ、もうなくなっているようだった。ここまで真屋と話し込んだのは久しぶりで時間が過ぎるのがあっという間である。


 結局代金は相談相手に支払ってもらい、あなたは心のモヤが取れた気持ちで帰った。その姿を見た後に真屋はあなたが見せていた好きな相手のSNSアカウントを検索した。そして彼は可愛らしい清楚な女の子のアカウントを作成し、接近する。


(こういう奴って単純に可愛いくて馬鹿な女の子が好きなんだよな。ネカマの写真は全部AIで作ったけど加工すればバレる事はないか。はぁ、君のように理知的で努力家がどうしてこんなつまらない奴のために変わろうとするのか。理解が出来ないが、いじらしい心というのはそういうのを表すんだろうね。それを俺に向けさせるためには…)


 人よりも高い背丈の男は先程までの甘ったるいほどの無害な優しさを捨て、様々な未来の計算をする。夕方の日差しはやけに眩しく感じた。

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