第28話 カイルの馬車
そんな、カイルの誘いがあった次の休日。せっかくの休みの日ではあるが、今日も朝から畑の手入れ、刺繍の納品、昼前からコレットの所と予定が詰まっている……はずだった。
家を出た途端、リリスとマリウスは有無を言わせずに馬車に乗せられた。
「やあ、おはよう」
馬車の中にはカイルがワインを飲みながら、座っていた。
「カイル様 (海産物、塩、海運)、これはどういうことですか?」
リリスは当然の質問をする。
「僕はそれほど気が長い方では無いのでね。君にどんな予定があるかしれないが、今日は僕の予定を優先させてもらうよ。今日一日、君は僕の物だ」
グラスを持ち上げながらウインクする。
その仕草は女性の頬をピンクに染めるのに十分だった。普通の女性であれば。
そして馬車の中のテーブルには、アンチョビとキャベツのサンドイッチやニシンの塩漬けと玉ねぎのサンドイッチなど、海産物が名産のファイド家らしい食事が用意されていた。
「さあ、港に着くまで少し時間がある。食事でもしながら、ゆっくり話をしようじゃないか」
一流のシェフに作らせたであろう、料理は簡易ながら美味しそうだった。普通に誘われていたならば、それだけでリリスは上機嫌になり、楽しい時間確定の内容だった。
しかし、相手の都合も気持ちも無視したこのような誘い方は、リリスが一番嫌うやり方だった。
そのため、リリスは料理に一切手をつけること無く、非常に冷めた声でカイルに言った。
「カイル様 (海産物、塩、海運)、申し訳ありませんが、しばらくは無理とお話ししたと思いますが?」
「そうやって、ぼくをじらそうとしても無駄だよ」
「そういうつもりはありません。本当に用事があるのです」
ジルに対しては全く遠慮が無かったのだが、リリスにとってカイルは重要人物である。リリスが欲しくてしょうが無い海上航路、塩の精製方法、魚介類の保存方法を持っている。そのため、言葉を選んで口にする。しかし、カイルの強引さに、言葉の端々からトゲが顔を出す。
「なんだい、今日はジルとデートの約束だったのかね?」
「そんなのではありません。殿下 (軍事)とはそのような間柄ではありません。誤解です」
「じゃあ、良いではないか。それとも、ぼくには言えない用事かい?」
コレットの病気のことは結局、王家の者以外、リリス達とシャーロットしか知らない。
元気になりつつあるとは言え、簡単に話していい内容ではなかった。
リリスは黙って伏し目がちに頷くだけだった。
「ちなみに君が庶民のように畑仕事をしたり、市場で買い物をしたりする事を隠し事というのなら、このぼくは気にしていないからね。いいではないか。貴族が平民の生活に興味を持ってとしても。ぼくは君たち女性の興味を端から否定する気は無いよ。ジルは気にするだろうが」
カイルはリリスの趣味に理解を示すと言ってくる。
リリスが畑仕事や市場に出入りするのは興味本位では無い。領主として領地のために行っている仕事の一環だ。楽しくないかと言えば、そんなことは無い。十分楽しい。しかし、それは遊びでは無い。そこをカイルは勘違いしている。
そしてもう一つ、カイルは思い違いをしていた。
少し前のジルであれば、畑仕事などをしているリリスのことを貴族らしく無いと叱りつけるかもしれない。しかし、今のジルは違う。そんなリリスのおかげで愛しの妹が助かったのだから。リリスの畑仕事も市場に出入りすることも、リリスを構成する一部だと認めている。決して趣味や遊びではなく、必要不可欠なこととして受け入れている。
「別にわたしは、そのことを恥じるつもりも、隠すつもりもありません」
「そうかい……しかし、そんなことばかりでは楽しくないだろう。たまには息抜きも必要だろう。あの堅物のジルと一緒にいても、息抜きにならないだろう。今日は一日、ぼくと遊ぼうよ。遊覧船で釣りをして、その場でシェフに料理をしてもらおう。自分で釣った魚は格別に美味しいよ。ジルならこんな遊びに誘ってくれないだろう」
リリスにとって、その誘いは魅惑的だった。しかし、それ以上にカイルの言葉にひっかかる。先ほどから、頻繁にジルを引き合いに出す事が多い。
いくら鈍いリリスも気がついた。
カイルにとってリリス自身は興味の対象ではない。あくまでジルが特別扱いをするリリスに興味があるだけだ。つまり、コレットの病気が治れば、お役御免となるリリスはジルと元の関係に戻る。そうすれば、カイルもリリスに対する興味を失うだろう。
そんな薄っぺらな関係。
そんなもののために使う時間は今のリリスにはなかった。そして、気づいてしまった以上、自分の気持ちを無視できるほどリリスはできた人間ではなかった。
「カイル様 (塩、海産物、海運)、馬車を止めていただけますか?」
「どうしてだい?」
「わたくしはジル様 (軍事)とあなた (塩、海産物、海運)の鞘当ての道具ではありません。そもそも、わたくしにちょっかいを出しても、ジル様 (軍事)は何も感じませんよ。もしも、馬車を止めていただけないのであれば、このまま飛び降りさせていただきます」
「リリス!」
リリスなら本当に飛び降りることを知っているマリウスが、思わず呼び止める。
「自分の身を危険にさらす方法で、ぼくの気を引こうとするのは良くないな」
カイルはリリスの言葉を冗談だと思い込んでいる。貴族だからとか平民だからとか、男だから、女だからとか関係なく、走る馬車から飛び降りて無事で済む人間などいない。つまり、その言葉は脅しとしてしか使用しない。カイルはそんな風に頭から決めつけていた。
世の中にはそんな常識を無視する人間がいるなんて全く考えていなかった。その時までは。
「それでは、ごきげんよう」
リリスは動いている馬車のドアを開けると、マリウスが止める間もなく、床を蹴って外に飛び出した。
「賢者の石よ、その身を守れ!」
「あぶない! 馬車を止めろ!」
マリウスの呪文はカイルの叫び声にかき消された。
カイルは慌てて馬車を止めて降りると、そこには胸の部分が小さく輝いているリリスが、服の砂埃を払っていた。
「それではまた、学院で……さあ、マリウス、行きますよ」
ちょっと転んだ程度といった風に、身だしなみを整えたリリスはにっこりと笑って、カイルにあいさつをする。
そして唖然としたカイルを残して、リリスとマリウスは去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます