第51話 配送係に薬湯をぶっかけられて風呂に入ったら、全裸に“いい身体”って言われました

 夜更け。

 診療所の灯りは、まだ消えていなかった。


 俺は机に向かい、古びた術理書を睨んでいた。どうしても、“双環式第三配置”の構築理論がわからない。


「……ちっ」


 本の隣に置いた紙にメモを取っては消し、また首を捻る。

 もう何度となく繰り返している。紙も積みあがっている。なのに、偏位環と内包式との関係性がどうにも腑に落ちない。


 “構築式”とは、魔力を安定的に循環させるための術的骨格だ。基本的には、魔力を取り込む「流入点」、制御する「制御環」、そして結果を出す「出力核」の三つの要素でできている。 その周囲に「共鳴層」や「封止結界」といった補助的な術式が重ねられ、全体でひとつの働きをなす。


 今回必要なのは、“魂を通して魔力を誘導する”タイプ──いわゆる“魂導型”だ。 人の魂の残滓や記憶に干渉しながら、術を完成させる高等技術。そのため、構築式にも精密な“位相調整”が求められる。


 そして、その中核を成すのが──“双環式第三配置”。


 俺は額を押さえる。 一見シンプルだが、偏位環の位相がわずかにズレるだけで、術式全体のバランスが崩壊する。……まさに今、そのズレをどう収束させるかで行き詰まっていた。


 ──そのとき。


「セレンさんっ……」


 やたらと不安定な足取りとともに、アルターが湯気の立つ器を運んできた。


「薬湯、いれたのでっ……夜遅くまで作業、お疲れさまで、あのっ、よかったら飲んでくださ──きゃあっ!?」


 ズルッ


「おい!──って、熱っ!!」


 薬湯が盛大に俺の脚にこぼれた。


「うそっ、ごめんなさいごめんなさいっっ……!!!」


 慌てて布で拭こうとするアルター。 だが、その手は震えていて、逆に熱を押し広げるだけだ。


「いや、大丈夫。風呂、行ってくる!」


「はいぃ……ご、ごめんなさい……っ」


***


 風呂場に入り、脚を水で冷やしていると、後ろから声がした。


「あの、拭く物を……」


「ッ……おま、なぜ入ってきた」


「あ、あのっ……拭くものをお忘れてでしたので……!」


 慌ててバスタオルで顔を覆うアルター。 それでも、ちらりと視線が動いた。

 頬が、わずかに染まっている。伏し目がちに、長いまつ毛が揺れた。

 唇がちょっとだけ開いて、何か言いかけて──


「えと……セレンさん、けっこう……」


 小さな声で、ぽつりと呟く。


「いい……身体、してるんですね……」


 耳まで真っ赤になり、「ち、ちが……そういう意味じゃ」と口ごもったまま、バスタオルで顔を覆う。でも、指の隙間から、ちらちらとこっちを見ていた。


 ……やめろ、そんな顔で、そんなこと言うな。

 てか、そういう意味ってなんだよ。

 こっちは全裸だぞ。

 しかもその視線、照れてるようでどこか真剣で、なんかこう、余計に困る。


 何なんだこの雰囲気。

 風呂だぞ?

 理性の砦、風呂だぞ?


「ち、違います、そういう意味じゃ──いや、ちょっとはあるかもですけど……」


「……出てけ」


「で、でも! 脚、ちゃんと冷やさないと火照りが残っちゃうから……っ」


 俺はタオルをきつく巻き直しながら、深く息を吐いた。


「自分でやるからいい……とにかく、風呂は俺の聖域だ。悪いけど、出てってくれ」


「は、はいぃ……」


 しゅん、と肩を落とし、アルターはくるりと背を向けた。小さな足音が遠ざかっていく。


 ……やれやれ。


 ようやく静けさが戻った浴場で、俺はもう一度、脚に水をかける。

 さっきの言葉が、耳の奥に残っていた。


(……いい身体、か)


 無自覚に言ったのか、狙って言ったのか。

 どちらにせよ、あの顔で言われたら──どうしたって意識してしまうだろ。


 地味な服や三つ編みとは不釣り合いな、見目麗しい顔立ち。

 くりくりと大きな瞳と、小ぶりでふっくらとしたピンク色の口元。

 湯気越しに揺れる濡れ髪と、火照った頬に貼りついた前髪に縁取られて──


 ……なんか妙に色っぽかったな。


(なんなんだ、あいつ……)

(てか、本当にスパイなのか?)


 ──まぁ、もう少し様子を見るか。

 そう判断しながら、俺は風呂を後にした。


***


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