最終話
最後の航跡
届いたのは、まるで時を旅してきたような小さな小包だった。
封蝋の施された重厚な表紙には、墨でこう書かれていた。
「この日記を開封してはならない。許されるのはただ一人——
日本船舶 航海長 与那嶺に限る。
2025年6月20日以降、私の子孫に命ず。どのような手段を取っても構わない。
とにかく彼に届けて欲しい。これは私の厳命である」
— マシュー・ペリー
差出人の署名には、“E・T・ペリー”とあり、その下に「七代目」と小さく記されていた。
同封されていた手紙にはこう書かれていた。
「この日記は、代々我が家で封を守り抜いてきました。
我々もその中身を開いたことはありません。ただ、いつかあなたという名の艦長が現れることを、信じるように命じられておりました。
ようやく、私たちはその約束を果たせます」
与那嶺は無言で小包を開いた。
—
ページは風に焼け、綴じ目はほつれかけていた。
だが、そこに記された筆跡は驚くほど静かで確かなものだった。
「私はこの記録を、自らの死後も封じるつもりだ。
私が遭遇した“未来から来た巡視船”と、その艦長との会話は、
歴史に記してはならぬ。少なくとも、いまのこの時代では——
だが、私は願う。いつか私の時代が、彼の時代と再び重なる瞬間を。
それを、私は『交わりの灯(the Meeting Flame)』と呼ぶことにした。与那嶺。
貴殿との対話は、私の人生において最も“不思議で静かな戦い”だった。
試すでもなく、裁くでもなく、ただ“信じ合おうとする意思”だけが通じた。
私は、あのとき知ったのだ。時代の違いは隔たりではなく、橋になり得ることを」
そこには、驚くほど多くの想いが記されていた。
出航の朝、艦の煙突から昇った第一の蒸気を見つめながらペリーが何を想ったか。
帰国後、誰にも語らなかった「もう一つの航海」の記憶を、どのように封じたか。
誰かに伝えたい衝動と、それでもなお歴史を“黙して待とう”と決めた自制。
ページの最後には、こう締めくくられていた。
「これは、海を越えた約束ではない。
これは、“時をまたいだ友情”である。
与那嶺、もしこの日記があなたに届いたなら、
あなたの時代が、私の願った未来になっていることを、
私の魂に教えてほしい。
そして、
かつて私が感じた“あなたのまなざし”が、
この日記を読むあなたの中に、まだ在ると知れたなら——私は、ようやく海の底で、安らかに錨を下ろせるのです」
—
読み終えたその夜、与那嶺艦長はひとり、艦の甲板に立った。
風が静かに頬を撫で、遠くには、里山の灯がまたたいていた。
「艦長……届きましたよ」
星を見上げ、彼は敬礼した。
かつて、時の霧の中で交わした、言葉なき約束。
それが今、ようやく結ばれたのだと。
空には星が瞬いていた。
過去と未来の両方から、静かに航路が交差するように——。
—完—
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