第6話

浦賀沖──蒸気が静まり、海だけが語る時


 灰色の霧が垂れこめた湾の奥を、四隻の蒸気艦が静かに滑るように進んでいた。

 その中心に位置する艦の名は——USSサスケハナ号。


 甲板に立つマシュー・カルブレイス・ペリー提督は、じっと前方を見据えていた。

 巨大で白く、煙も帆もなく、波を切る音すら立てずに近づいてくる艦影は、彼の知るどんな船とも異なっていた。


 “It does not breathe like a vessel… It glides like something from a dream.

 Are we still in God’s time—or another?”

「あれは船とは思えない……まるで夢の中から現れたかのようだ。

 我々は未だ神の時の中にいるのか、それとも、別の時代に来てしまったのか?」


 乗組員たちは言葉を失い、誰一人として声を発せずにその艦影を見つめていた。

 ペリーは帽子を胸に抱え、無音の甲板を歩き出す。やがて、落ち着いた声で呼びかけた。


 “I would like to speak with you. May I have your permission to be heard?”

「お話をさせていただきたい。こちらの声に耳を傾けていただけますか?」


 その声が霧の向こうへ届いた瞬間——

 巡視船「しゅんこう」の艦橋では、与那嶺艦長が双眼鏡をゆっくりと下ろし、短く指示を出した。


 “This is the captain of the Japan Coast Guard vessel.

 Your request is acknowledged. However, this is not the best place for conversation.

 If you are willing to trust us, we invite you aboard our ship to speak in our conference room.”

『こちらは日本海上保安庁の巡視船艦長である。ご要望は受け取りました。

 ただし、ここはお話をするには適切な場所ではありません。

 もし我々を信頼していただけるなら、艦内の会議室で改めて対話させていただければ幸いです』


 その返答を聞いたペリーはわずかに目を細めた。

 その声の調律、その語彙の選び方、秩序と敬意を含んだ応答に——

 彼は驚きすら覚えていた。


 “They offer structure… hierarchy… They are not shadows. They are a nation.”

「彼らには秩序がある……階級もある。幻ではない。これは国家だ」


 そして、帽子をとって静かに応じた。


 “Very well. I accept your invitation. I will come unarmed, with only one officer.”

「承知した。そのお誘いを受けよう。私は武器を携えず、士官一名のみを伴って伺う」



 それは、大砲ではなく言葉によって結ばれた対話だった。

 過去と未来がぶつかるのでも、融合するのでもなく——

 時代と時代の狭間に小さく架けられた、最初の橋だった。

 

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