第5話
政府危機管理部 地下司令室(通称:Kシェルター)
霞が関——旧首相官邸跡地下深部
奇妙な報が到着したのは、管制卓に沈黙が戻り始めたその矢先だった。
「こちら気象庁……ひまわり9号から観測データを受信、継続中です」
「……ただし、観測情報に構造的異常が確認されています」
通信士の声は、低く震えていた。
思わず周囲の職員が身を乗り出す。
(……ひまわりが生きていた?)
(タイムスリップしたのは我々だけではない……?)
即座に若い分析官が立ち上がり、端末に向かって叫んだ。
「列島と軌道衛星が同一座標で遷移していたなら、軌道傾斜・地磁気・放射粒子・クラウド層……全てを比較できるはず!
これで“我々がどこにいるのか”、位置だけでなく“時空の密度”まで逆算できる!」
熱を帯びた空気を切るように、室内最奥で控えていた重鎮官僚が静かに口を開く。
「期待は構わん。だが、地に足のついた観測結果を優先しろ。
偵察機の映像が、“今、そこにある現実”だ」
午前10時12分
統合防衛指令室|東京西部 通信棟 B4F
機影は静かに雲を割り、太平洋沿岸の旧台湾地域へと差し掛かっていた。
その機内では、搭載オペレータがドローン群の制御ログを走らせていた。
「航続時間残り4時間17分。燃料系良好。地形検知レーダー、反応不十分です」
「いい。カメラは光学・赤外とも稼働させろ。見た“こと”を記録するんだ」
午前11時03分
政府危機管理部(Kシェルター)
防衛省幹部が地図上を指差し、提案を提示する。
「台湾が20世紀初頭の姿であったならば、次に確認すべきは“その隣”です。
仮に、時空の“鏡像分布”があるとすれば、中国大陸もそれに近い状態で存在しているはず」
閣僚のひとりが即座に反応する。
「それは……中国本土上空への侵入を意味します。厳密には重大な越境にあたります」
静寂。
その言葉の意味が、場全体に染み渡る。
だが、総理の反応は一切の逡巡を見せなかった。
「問題は、それが“誰の空”なのか、定義が消えていることだ。
我々が存在しているこの空間は、すでに現代の主権国家の枠組みでは扱えないのかもしれない」
防衛省側の担当が渋い顔で答える。
「中国軍による航空行動は観測されていません。
しかし、仮にあちらが主権国家として実在している場合……強硬な抗議、あるいは軍事対応の可能性も否定できません」
沈黙が返る。
それは現実的な軍事衝突への恐怖ではなく、
“未来が過去を侵すことへの倫理的葛藤”という、静かな叫びだった。
午後12時20分
政務首脳会議、簡易ブリーフィングルーム(Kシェルター内)
総理は会議室の中心に立ち、まっすぐに全員を見渡して言った。
「それでも行け」
「国家というものは、“確定した状況の上でのみ成り立つ”と我々は信じてきた。
しかし今は、土台が抜け落ちている。
我々は、手を伸ばして、確かめに行かねばならない。これは“侵犯”ではない。
……世界の断面に、触れに行くのだ」
午後1時58分
偵察機は、旧香港圏を通過し、低速旋回モードに移行した。
モニターには、かつての高層ビル群ではなく、蒸気と帆船の港湾都市が広がっていた。
航空兵装管制士がそっとモニターを指差す。
「……空港がありません。フェリーだけ。あれ……1880年代以前?」
「間違いない。列島と同じ“時層反転”現象が広がってる」
そのわずか数時間前——
同じ頃、列島の南の海、浦賀沖にもまた、別の“断面”が静かに口を開こうとしていた。
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