第3話

政府機関の喧騒:霞が関、午前9時14分


 東京が“沈黙”してから、まだ16分しか経っていなかった。

 しかし、霞が関の地下深くに設けられた内閣官房の危機管理センターでは、平時の運用マニュアルも有事訓練のプロトコルも、すでに追いついていなかった。何十年にもわたって蓄積されてきた有事シナリオは、ことごとく「接続されている世界」を前提としていた。今、国家の中枢を支える全機構が、その前提ごと崩れ落ちようとしていた。


 国土交通省の官僚が震える指で管制網にアクセスし、羽田空港との通信状態を確認する。しかし応答はなく、“既定時間超過”のアラートが、まるで心電図のようにモニター上を静かに点滅し続けていた。

 気象庁も異常を報告する。関東広域のレーダーサイトから送られてきたのは、データとは呼べない“白紙”。海抜・気圧・気流のパターンがすべて空白化し、まるで東京という都市が衛星視野の“下敷き”から抜け落ちてしまったかのようだった。


 防衛省では、統合幕僚監部の通信班が次々に端末を切り替えては、首都圏に配備された衛星端末部隊との同期を試みていた。だが、どの中継波も反応を返さなかった。まるで誰も、誰の音声も、受け取ろうとしていない。


 その瞬間、もっとも“事態の象徴”として不気味だったのは、官邸直通の衛星電話が沈黙したことである。

 あの回線は、常に生きているはずだった。たとえ全てが止まっても、そこだけは、通信の生存証明であるはずだった。だが、それすらも無音。

 そのとき、情報機関出身の国家安全保障局統括理事が、小さく呟いた。


「これは……テロか? ミサイルか? いや、違う」

 彼は座ったまま、わずかに首を振った。

「これは、“概念の消失”だ」


 その言葉が放たれた瞬間、地下室に充満していた騒がしさが、一瞬だけ止まった。

 誰も理解できず、しかし誰も否定できなかった。“東京が消えた”という実感は、もはや「地理」の話ではなく、「秩序」そのものの行方だった。


 通話記録は途切れ、航路は寸断され、都市という概念が音もなく滑り落ちた。

 会議室の壁に掛けられた日本地図は、まだ何も変わっていない。

 だが、その中心に、確かに「在るはずのものが応答しない」ことだけが、あまりにも静かに、人々の胸を締め付けていた。



  国家不在下の列島──境界を越えた共生の兆し


 2025年、列島が世界から消失した直後、誰もが「国家とは何か」という問いに直面していた。

 中でも、在日米軍はその象徴的な存在だった。


 ちょうど米国独立記念日を祝う式典に伴い、第七艦隊を含む戦力の約80%がグアム・ハワイ方面に展開していた。

 そのため列島内に残されたのは、司令部・兵站部隊・非戦闘部隊を中心とした約6,000〜8,000人の軍人とその家族。

 日本政府との連絡経路がすべて絶たれたことで、彼らは「本国なき軍人」として、未知の道を歩むことを迫られた。


 やがて在日米軍の上層部、佐官クラスの判断により、事態は静かに動いた。

「我々は命令の下ではなく、人間としての信義で生きる」との声明とともに、一部部隊が自律的な対日防衛協力を提案。

 これはもはや地位協定を超えた、**“国家という制度の不在下で交わされる市民間信頼”**だった。


 燃料や医療資源、衛生物資などが日本政府から提供される代わりに、米兵たちは被災地での交通誘導、発電補助、インフラ再建に協力し始めた。

 一部の兵士たちは「祖国が存在しないなら、この列島を第二の祖国としよう」と市民との共同生活に入った。

 医師免許を持つ者は避難所医療に携わり、整備兵は診療所の電源供給ラインを修復した。


 特に象徴的だったのは、横須賀と三沢に残された米軍家族の子どもたちが、日本の小学校に編入されたことだ。

 子どもたちは互いの言語を混ぜながら、学校の屋上で「自分たちがどこにいるのか」を語り合った。

 その姿は制度の枠組みを超えた、“再信頼の萌芽”そのものであった。

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