第2話

浦賀沖——1853年にも似た海


 そして、海の沈黙は三陸沖だけではなかった。


 浦賀の海でも、潮の流れがぴたりと止まり、風の向きすら曖昧になっていた。まるで時間が水面に膜を張り、世界を隔てているかのようだった。


 霧の帳の奥から、四隻の黒塗りの蒸気艦がゆっくりと現れる。

 その中心を進むのは、USSサスケハナ号。


 甲板に立つマシュー・ペリー提督は、視界の先に佇む異様な艦影を見つめていた。白く、巨大で、煙も帆もない。波を切る音すらしない。それは、「海に浮かぶ存在」であっても、「船」ではなかった。


 “That ship moves without sail or smoke… What world have we entered?”

「帆も蒸気もなく、静かに滑るあの艦……我々は、何という世界に入りこんでしまったのだ?」


 それこそが、日本の巡視船『しゅんこう』であった。


 ---


  しゅんこう艦橋にて


 しゅんこう艦橋では、与那嶺艦長が政府からの緊急電文と目の前の現象とのあまりの乖離にしばし黙していた。

 艦長は任務要綱に目を落とし、やがてこう呟いた。


「……模造でも演習でもない。本物の黒船かもしれん」


 そして、全乗員に向けてこう告げた。


「これは偶発的な事件でも遭難信号でもない。

 歴史そのものとの“邂逅”になる可能性がある。

 通信は逐語で記録せよ。これは報告書ではない、“証言”だ」



 

  両艦の交信——奇跡の第一声


 スピーカーが鳴る。


 “This is the Japan Coast Guard patrol vessel. You are currently navigating within Japanese territorial waters.

 Please state the purpose of your voyage.”

『こちらは海上保安庁巡視船です。現在、日本の領海内を航行しています。航行の目的をお答えください。』


 一瞬の沈黙のあと——黒船の甲板にいた士官たちは、硬直したまま返答を待っていた。

 ペリー提督は静かに帽子を取り、まっすぐ艦首へと歩む。


 “We are officers of the United States Navy. We carry a letter to the Emperor of Japan.

 But this… this is not the Japan we knew.”

「我々はアメリカ海軍の使節である。日本国の皇帝に親書を届けに参った。……しかし、ここは我々の知る日本ではないようだ」


 彼は続けて士官に合図する。


 “Raise the flag. No aggression. Only parley.”

「旗を掲げよ。攻撃の意志はない。交渉の意志を示せ」


 ---初交信:旗と声と


 しゅんこう艦橋の通信士が声を上げる。


「艦長、相手は名乗りました。信号旗で和平の意思を示しています」


 艦長は双眼鏡を静かに下ろし、短く命じた。


「わかった。こちらも応答せよ。通訳を介し、提督との直接交信に移る。……これは“歴史”と対話する機会だ」


 両艦長の言葉が交差する


 Captain Yonamine:


 “This is Captain Yonamine of the Japan Coast Guard. You may not recognize this world,

 but I assure you—we did not expect yours either.”

「こちらは日本海上保安庁、与那嶺艦長である。

 貴殿にとってこの世界が異質であるなら、我々にとっても同様だ」


 Commodore Perry:


 “Then let us begin as seamen should—in peace, with clarity.

 Whatever world this is, we share the same sea beneath us.”

「ならば、海の者らしく始めよう。平和と明快さをもって。

 世界は異なれど、我々は同じ海に立っているのだ」


 --こうして二人の艦長の間に交わされた最初の言葉は、

「国家」でも「時代」でもなく、「船」と「人」としての誠実な対話だった。


 それは、かつて歴史の一頁に記された出来事の再演ではなく、

 まったく新しい航路の幕開けを告げる、世界の静寂のなかの第一声だった。

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